海にまつわるひとりごと

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Ruined town on the hill overlook Golan Heights(Jordan)

私は、一生好きなことやっていくつもりだったよ。
どこに辿り着くかも考えずにね。
でね、ホントに好きなことだけをやってきたと思う。
失敗も多かったけれど、間違いなく前に進んでいるんだと信じていた。

それがある時、滞った。そう思った。
失敗っていう言い方もある。でも、そんな言い方はしたくない。
きっと、すべてのことがなるべくしてなっているんだから
子どもが生まれることも、結婚することも、
すべてそのまま流れにまかせようと思ったよ。

でも、そんなに簡単なことじゃなかった。
母になるって、妻になるって、私にとっては大変なことだったんだ。
信じられないことに、私は自分の中の女性性を全く育ててきていなかった。
たとえば母性というもの。
私には子どもがかわいいとは思えなかった。自分でも信じられなかった。呆然としたよ。
そんな自分に苛立った。
だから、一生懸命フリをしたよ。いい母のフリ。いい妻のフリ。
自分に嘘ついて、フリ。
なんで? だって、それは、いいことでしょう?
子どもを愛し、かわいがること、夫を愛し、つくすこと。
それは当たり前のことでしょう?

でもさ、フリはフリなんだ。
好きなことだけをする。好きなものを食べる。好きな場所へ行く。
好きなときに寝る。好きなだけお風呂に入る。
そんなことがあたりまえにできた頃があった。
そんな記憶を恨んだ。
深く深く眠らせてしまっていたはずの私は、
しばしば、制御できないすさまじいパワーでヒステリックに爆発する。
小さな赤ちゃんが目の前にいるのにだよ。
確実に、私は赤ちゃんのやわらかな心を傷つけた。

最低だよ。なんでこんなことしているんだろうって
私はどうしようもないくらい自分を嫌いになった。
悔しくてしかたなかった。世の親達は、当たり前のように、
生まれてきた子どもを愛し、微笑みかけているのに、
動物たちでさえしていることが、どうして私にはできないんだろう。
自分の頬をひっぱたいたって、大切にしている物をたたき壊したって、
髪振り乱して泣いたって、なんの解決にもならない。
闇に向かう後悔だけはしたことのなかった私が
生まれて初めてそうしてしまいそうだった。
それは、言葉に表せないほど罪深いことと知りながら。

あれから10年近くたった。今の私もやっぱり、いい母じゃないし、いい妻じゃない。
時にはヒステリックになったりもする。
ただ、ほんの、ほんの少しだけ前向きになれたよ。
いい母である「べき」でも、いい妻である「べき」でもなく、いい娘である「べき」でもなく、いい嫁である「べき」でもない。
そんな社会的な「べき」は全部捨てちゃっていいと思えるようになったから。

ほんとの「べき」は別のところにある。

私は私である「べき」なんだ。

自分の感覚に素直になろう、自分の本当の意志に耳を傾けよう。
その大きな意志に従えるよう、ニュートラルな感覚でいよう。

そんな風に思えるようになったから。

なんかね、子どもを愛せなかった私や、
そんな闇のような10年間の時をも、今は愛せるようだよ。
母性さえもが、ちょっぴり芽生えたかもしれない。
たくさんの子供達が、人々が、世界が、何もかもが、とても愛おしく感じられる。

過去の罪は消えないよ。わかってる。
大丈夫。そんな自分の罪をも、ニュートラルな感覚に耳を澄ませていさえすれば
しっかりと受け止められる。
罪を償っていくことですら、楽しみに感じられる。

水の流れは、まっすぐにいくとは限らない。淀みに暗くしずんだり、
浅瀬にまどろんだり
本流からはずれて消えてしまったり
干上がってしまうことだってある。
それでもまたいつか雨になって地上に落ち、みんな流れていく。
そしてね、流れ着くところは、きっと、ただひとつなんだ。

海へ。

海へ 2