海へ 2

dead sea(Westbank)--dressed arabian & undressed judean

ひとりになりたい

こどもが生まれてから、この言葉を心の中でどれだけ繰り返しただろう。
こどもが生まれるまでは、好きなときにはいつだって「ひとり」でいられた。
こどもが生まれてからは、いつだって「ひとり」にはなれなかった。

私が私であるためには、「ひとり」の時間が不可欠なんだ。

まだ子ども達が幼い頃、夫が休みの日には「どこかへ行こう」と家族みんなででかけることがあった。私は、「いきたくない」と言う勇気がなかった。
めったにない家族全員がそろう休日に、ひとりでわがままを言う勇気はなかった。

私は、本当は「ひとり」になりたかった。
どこにも行かなくていい。ただ「ひとり」になれれば、それでよかった。
夫にこどもをまかせて、私は私のためだけのときを過ごしたかった。

1998年の春、入院した。「ひとり」だった。
体はつらくても、私は「ひとり」になれた。
私は私をとりもどさないと、また病気にやられてしまうと思った。

1998年の夏、体のためという大義名分をつくって初めて子ども達を預け、とびこみで気功の夏合宿に参加した。
「ひとり」で参加した。

初めての気功。面白かった。それまで知らなかった世界だった。
「自発動功」という、ただからだが動くにまかせる気功法があった。
私は、ちょっと前後にふらふらしてからばったりと倒れ込んだ。
畳に横たわったまま、涙があとからあとから湧きでて流れた。
そこにちゃんと私がいた。私に出会えた。もう長いこと会っていなかった私がそこにいた。
嬉しかった。今までの辛い日々、辛かった私をなぐさめ、癒し、涙が流れた。
私は私によって慰められ、満たされた。
いつまでも、いつまでも、ただただ静かに涙だけが流れ続けていた。

衝撃の体験だった。
気功。
ちょっとやってみると、いろんなことがわかった。
私が、一番元気だった頃、私が一番輝いていたであろう頃、私は気功のようなものを無意識にしていたこと。
気功は、何も特殊なことじゃない。ごく普通に存在する世界なんだということ。
なかなか気功のための時間はとれないけれど、私は一生気功の世界をみていようと思うよ。

そう、私、学生時代にやったこともないヨガのコンクールに引っ張り出されて、地区予選を経て全国大会で優勝してしまったことがあるんだ。このときもちょっと不思議な体験だったんだけど。
きっと、私は、そっちの世界に縁があるんだね。
ヨガも気功も、方法は違うけれど、どちらも同じ世界のものだと思う。

方便っていってね、辿り着くにはいろんな方法があるんだってさ。

どんな方法でも、みんなみんな、ただひとつの場所へ…
そう。                           海へ

泣かせて