児童書の世界へ

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ジャムねこさん E
作/松谷みよ子 画/渡辺洋二 (大日本図書)
これは私が幼い頃に好きだったお話。おいしそうなジャムねこさんの背中を私もぺろんとなめてみたかったし、ふわふわの子猫の感触が暖かくて大好きでした。私が幼い頃に好きだったもともとのジャムねこさんは、もともとなんという本に入っていたお話でしたっけ? ここでご紹介しているのは新装版です。(2002.12)

幼児(3〜4歳頃)から
茂吉のねこ
作/松谷みよ子・絵/辻司(ポプラ社)
 茂吉のねこは、おばけたちの使い走りをしている。茂吉はそれを知り、ねこをさりげなく救ってやる。
 たったそれだけの話なのに、なぜこれほどまでに惹かれるのでしょうか。実は、この絵本は、娘も私も大好きなのです。きっと茂吉は、私たち親子にとって、あこがれの父親像
なのでしょう。頼りがいのある一家の主、たとえ飲んべえだろうが働かなかろうが関係ない、愛情すらも感じさせないさっぱりとした男親なのだと思います。
 残念ながら私には、茂吉のように、ねこを連れ帰ることはできません。母親は、ねこと一緒に泥沼に入り込み、一緒にもがくことしかできないのです。(2004.8)

講談社カラー科学大図鑑
ネコのひみつ

今泉忠明 (講談社)
 ネコの写真がたくさん載っている図鑑です。

子どもの言葉より
 「これ、海(かい)ちゃんかな、と思ったの。だから確かめたくて借りてみたの。やっぱり海ちゃんだった。(小六娘)」岩合光昭さんの←「海ちゃん」という飼い猫の記録本が家にあります。その中にあった海ちゃんの躍動感あふれるワンショットが、この『ネコのひみつ』に載っていました。動物好きの娘ならではの観察力。敬服します。(2003.4)

ひめちゃん E
作/岸川悦子 絵/安永幸夫 (教育画劇)
 「最後にホントに心があったかくなるよ。(小5娘談)」(2002.12)

ねこのくにではみんながとても幸せにくらしています。ただ、楽しむということを知りませんでした。そこに見知らぬおきゃくさまがやってきて…。

 私が大好きなスリランカの絵本作家「シビル・ウェッタシンハ」の作品です。彼女の作品では、特に「かさどろぼう」が絵、内容ともに大好きなのですが、現在在庫切れ。あぁ、あのとき迷わずに買っておけば良かった!

絶版本を投票で復刊!

こねこのぴっちE
作/ハンス・フィッシャー(スイス)(福音館書店)
 子どもの頃から好きな絵本です。お話にしても、絵にしても暖かみがあり、小さな子から大人まで、安心して笑い、楽しむことができます。何度でも読み返したくなる絵本です。
たんじょうびE
作/ハンス・フィッシャー(スイス)(福音館書店)
 娘(4歳)は、ねこのマウリとルリがどっちがどっちだか気になって仕方ない。私は大きいトラがマウリだと思ったのですが、娘は黒い小さい方がマウリだと言って譲りません。「だってこれ、そう言っているみたいだもん。」
 息子(2歳)は「ケーキの本よむ!」と言って持ってきます。

ねこたち町E
作/わしおとしこ 画/藤本四郎 (アリス館)
娘(小4)から絶対読んでみて! と何度も勧められて読みました。「面白いの?」と訊くと「いいから読んでみて」の一点張り。読んで納得。決して”面白い”わけではないけれど、忘れられない、どうしても”気になる”本なのでしょう。娘は間違いなくこの本に出てくる「ひとねこ」です。(2002.3.29)

小学生(中学年頃)から
黒ねこサンゴロウシリーズ
作/竹下文子 絵/鈴木まもる
主人公はサンゴロウという海の男。男気たっぷりのサンゴロウがその背後に見せる哀愁が、この本の魅力です。しかし、この説明だけでは、どうして小学生のこども達に人気があるのかわからないことと思います。種明かしは、猫です。サンゴロウが猫であるがために、この本は誰の手にも取られるのだと思います。これには感心しました。だって主人公が人間の中年男で、題名が「三五郎」だったら、どれだけの子どもがこの本を手に取ることでしょう。少年の何人かは手に取ることもあるかもしれませんが、少女にはきっと受け入れにくいものとなるに違い有りません。それなのに、主人公が猫で、名がカタカナだということで、どれほど入口が広くなることか。これにはあっぱれです。やはり、どんなに良い本であっても、手に取られなければ始まりません。
それにしても、竹下文子さんは、本当に海が好きなのでしょう。海に住んでいたこともあるのではないかと思ってしまいます。本を読んでいると、私の中に密かに存在していたのであろうちっぽけな海の記憶が、大きく広がっていきます。本を手にしながら、あの広い海の、あの肌を刺すような潮風と日差しを全身に浴び、いっぱいに心を解放することができるのです。不思議な書き手だなぁと思います。
ところで、実は先日、夕食時にサンゴロウが話題にあがりました。そこで、私の中でサンゴロウシリーズとドルフィン・エクスプレスがごちゃ混ぜになっていることが判明。どちらのシリーズも他の本と混じって同時並行に借りてこられるものだから、続き物とは意識せずにその場限りで読んでいたため、宅配便をやっている猫が記憶喪失でしょう? ...などと私が言い始めたので、娘も息子もあきれて、もう大変な大笑いになってしました。

これはもったいないことです。せっかく続き物なのですから、やっぱりきちんと続き物として読んでみたいものです。そこでこの機会に、はじめから通して読んでみました。そして、これはなかなかの大作だということに今更ながら気づかされました。

このシリーズは、きちんと1冊ずつが完結した読み物になっています。どれもがサンゴロウの出会う小さな事件を扱いますが、主人公はサンゴロウでありながら、述べられているのはサンゴロウが出会う誰か別の人の人生です。ところが、シリーズ全体を通して読んだときに浮き上がってくるのは、サンゴロウそのものの人生です。そして、シリーズ最終巻である「最後の手紙」において、サンゴロウは自らの意志により自らの影、封印された過去と対峙します。ここは、ゲド戦記を彷彿とさせられます。こうしてサンゴロウはまるごと全部の自分を引き受けて正真正銘のサンゴロウ自身となり、その生活スタイルは何も変わらないだろうけれど、輝かしい未来を想像させながら満足のうちに終止符がうたれます。
そして次の時代を担うテールが主人公となる「ドルフィン・エクスプレス」シリーズが始まるのですが、こちらにも時々元気なサンゴロウがチラッと現れるのは心憎い演出です。サンゴロウは、いえいえ、竹下文子さんは引き際、引かせ際をわきまえているなぁと思います。そして「ドルフィン・エクスプレス」のテールへと引き渡された時代は、さらにまた次の時代へと引き渡される気配があちこちに見受けられます。竹下文子さんの長編シリーズは、まだまだこれからずっと先まで、私たちを楽しませてくれるはずです。

そして何よりも、小学生の頃にサンゴロウシリーズを楽しんだたくさんのこども達が、大きくなってから再びサンゴロウシリーズを手にしたとき、その時こそが本当に楽しみだなぁと思います。(2007.1)
旅のはじまり − 黒ねこサンゴロウ 〈1〉
キララの海へ− 黒ねこサンゴロウ〈2〉
やまねこの島 − 黒ねこサンゴロウ〈3〉
黒い海賊船− 黒ねこサンゴロウ〈4〉
霧の灯台 − 黒ねこサンゴロウシリーズ〈5〉
ケンとミリ − 黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈1〉
青いジョーカー − 黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈2〉
ほのおをこえて―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈3〉
金の波 銀の風―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈4〉
最後の手紙―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈5〉

中学生頃から
さすらいのジェニーE
作/ポール・ギャリコ 訳/矢川澄子 (大和書房)
 忙しくて疲れ切っているときに、ひなたでのんびり伸びている猫を見ると、あぁ、猫になれたらいいのになぁなんて思ってしまうことがあります。でも、猫になりたい...いえ、猫を飼いたいと思っていた少年が、本当に猫になってしまったお話がここにあります。

 ねこねこ子猫 どこへ行った?
   女王さまたずねて ロンドンへ.....

スコットランドの子守歌があり、そしてお話が始まります。主人公のピーターは8歳。両親は子どもに興味がなく、育ててくれているのはピーターを赤ん坊扱いしてどこへ行くにも手をひこうとするばあや。ピーターは猫が大好きで飼いたいけれどばあやは大の猫嫌いだから、そんな望みは言うだけ無駄と我慢している。ある日、ピーターは道路の向こう側でひなたぼっこをしているめすのトラ猫の方にかけよった.....。それから変なことが起きた。気がつくと、ピーターの手は白くふさふさしていて、ヒゲがあって...。そう猫になってしまっていたのです。もちろんその猫がピーターだとは誰も気がつかず、ばあやはすごい剣幕で家から追い出すし、ピーターはしかたなくあたふたと街に逃げ出します。でも、見慣れた街は、猫にとってとんでもなく恐怖に満ちあふれた街であることに気付かされます。ピーターはさすらいのめす猫ジェニーに出会い、猫として生きるためのたくさんのことを彼女から学びます。過去の苦い思い出から飼い猫になることを拒否するジェニーと、誰かの保護の元にしかいたことのないピーターとの二匹は、命をかけないと生きられない猫の世界を渡り歩きます。

 子どもの言葉より
「人間のところ以外はすごく面白い。(息子小六)」お話の始めは人間のところなのに、よくジェニーが出てくるところまで読み進められたね。と尋ねると、「だって、途中の面白いところを先にちょっと読んじゃったんだもの。」
 人間世界からファンタジーへ、ファンタジーから人間世界へ、いきつもどりつのところに作者の意図がある。それはわかる。しかし、読者には各々異なる事情があり、本を手にしてファンタジーへ入り、本を閉じてファンタジーから出ていく。だからファンタジーは、ファンタジーの世界で完結していても構わないと私は思っています。(2006.1)

猫にまつわるひとりごと
kumikoのこと

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