猫にまつわるおはなし

Kumikoのこと

トルコのそのすぐ南にシリアっていう国があって、その南にヨルダンがある。東隣はイスラエル、西隣はイラク、中東のとても不安定な地域。政治のことは、本当に難しい。何冊本を読んでも、よくわからない。
だって、キリストの時代から、いやそれ以前、旧約聖書の時代から話が始まるんだよ。その後、毎日毎日、一分一秒、途切れることなく歴史はつづられていくからもう、たいへんに複雑で長い話になってしまうのは当然だよね。

ここではそんな中東の不安定な地、ヨルダンに住む、あるいは住んでいた、一匹の猫のことを書かせてね。

その猫の名はKumiko

ヨルダンに住む知人の家に、泊まらせてもらったことがあってね、8月だったかな。1990年の夏、ちょうど隣のイラクがクウェートに侵攻した時だったよ。
深夜、窓の下を、戦車をのせたトレーラーが何台も何台も連なって、重たい地響きたてながら運ばれていくような、キナ臭い状況だった。

でもね、空気は澄んでいて空はぬけるように透き通っていたんだ。

Kumikoはそこで私と出会った。
きれいな白と黒の斑のメス猫でね、
9号館3階5号室の前で発見されたから、名前は
Kumikoなんだってさ。ね、935。でしょう?
Kumikoはその名前にぴったりの、スマートで、美人で、キュートなのら猫。定まった家をもたない、まるで当時の私みたいな猫だったよ。
あ、「スマートで美人でキュートな」はちがうからね。
私はあちこちふらふらしていて、時々S氏の家に宿を借りに行ったんだけど、
Kumikoは私がくるのをわかっているかのように、ちゃんと遊びにきてくれた。そして、ただ静かに私の傍らにいてくれる。
夜、私がベッドにしていたソファーで横になると、
Kumikoは私のお腹のくぼみにまるまって、朝まで一緒に寝たよ。
毎朝、私が目覚めると同時に、
Kumikoも起きて立ち上がり、のびをして、やさしく鳴いて私のほっぺたをなめに来る。おはようって。
ある日、いたずらでね、まだ寝ているふりをして、そーっと薄目を開けてみた。そしたらね、
Kumikoったら伸びをして立ち上がり、ニャーって鳴きながらいつものようにほっぺたをなめに来た。何で目覚めたことがわかったんだろう。おどろいたよ。
Kumikoはいつでも、美しく、高貴で、優雅だった。

日本に帰ってしばらくして、私は身籠もっていることに気付いたよ。仕事のこと、自分の人生のこと、いろいろ考えて動揺し、とまどって、どうしようもない気分のときに、ヨルダンから手紙が来た。


その手紙にね、
Kumikoが子猫のお母さんになったって書いてあったんだ。

Kumikoは赤ちゃんを身籠もっても悩まず一人きりで淡々と生んだんだろうな、一人きりで淡々と育てているんだろうな。すごく勇気づけられた。
私も、
Kumikoみたいに、すべてをありのままに受け入れようって…。
それで次の年、娘が生まれた。

Kumikoったら、あんなに小さな体で、こんなに離れた日本にいる私のことまで、勇気づけてくれる。やさしくて、暖かい。

もう、あれから10年が経つ。
Kumikoはもうヨルダンの空の下にはいないかもしれない。
でも、私は、彼女の生に従って、私の生を全うしようと思っているよ。

Thanks a lot to Kumiko.

(2002年 くみこという名の紫陽花を買った日に)

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