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横内城 よこうちじょう

別名
堤城、鏡城
時代
室町時代~安土桃山時代
分類
中世平城
規模
現状
常福院、住宅地、畑
場所
青森県青森市横内字亀井
最終訪城日
2012年8月14日

室町時代に南部氏一門の南部康時によって築かれた堤氏の居城。現在は主郭跡に常福院があり、住宅地や畑となる。

城史

年代 出来事
1498年 南部康時(光康)は郡代に命じられた当初は湊町の堤ヶ浦に入ったが、後に内陸側の横内に新たに城を築き、堤浦城から居城を移した。
1561年 城主の堤孫六(則景)は大浦守信に従い、南部信直の援軍として九戸政実との戦いに参戦したが「桜庭」にて討死したという。
1585年 南部氏に反旗を翻した大浦為信は、外ヶ浜にも侵攻して横内城を攻め落とした。この時、横内城主の堤弾正は城を出て戦い、高陣場にて討死したという。
1585年? 外ヶ浜を制圧した大浦為信は横内城に「外ヶ浜横内城番十人衆」を置いたという。その後、藩政時代前には廃城になったという。

縄張り

城は横内川左岸の段丘の上に築かれた平城で、主郭は川に面した東側以外は堀で区切られており、楕円に近い形をしている。ただ、主郭は実際は南北別々の郭で、間の堀が埋められたため楕円形になったとされる。

【堀】
主郭の川に面した部分以外に設けられた堀がよく残っており、南西部は常福寺の庭園に改造されているが、大部分がハッキリと残っていた。文献によれば当時は水堀だったというが、水を張れそうなのは西側の部分のみで、南側は構造的に当時も空掘だったように思える。

アクセス

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