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根城 ねじょう
- 別名
- 糠部城、八戸城
- 時代
- 平安時代末期~江戸時代
- 分類
- 中世群郭式平山城
- 規模
- 総面積:31万㎡、標高:20m
- 現状
- 国指定史跡/史跡根城の広場、住宅地
- 場所
-
青森県八戸市根城字根城
- 最終訪城日
- 2011年5月3日
南部師行が整備した根城南部氏の代々の居城。現在は城址公園の「史跡根城の広場」と住宅地。
城史
年代 |
出来事 |
平安時代末期 |
発掘調査によればこの頃の遺構、遺物が出ており、この地方の豪族の住居があったのではと考えられている。 |
鎌倉時代 |
1189年の奥州合戦の結果、陸奥国糠部郡の周辺には工藤祐経や工藤行光の一族が郷単位の地頭を任じられて配置されており、八戸も工藤氏一族が管理していたとされる。このため、根城の前身は工藤氏の居館とする説もある。 |
1334年 |
鎌倉幕府滅亡後、北条氏の影響が強い陸奥国を平定するために北畠顕家が陸奥守として奥州に派遣された。顕家は南部師行を国代に命じ、師行は甲斐国波木井より陸奥国糠部郡八戸に下向して石懸村の八森に城を築いて居城としたという。 『八戸家伝記』 |
1338年 |
南北朝の対立の中、南部師行は度々遠征に参加し、弟の政長が根城を守っていた。師行が遠征先の石津で戦死すると政長が跡を継ぎ、糠部や津軽の北朝勢と戦った。 |
1341年 |
北朝の足利尊氏は曽我師助に南部政長の討伐を命じたため、曽我氏は南部領へと攻め込んだ。 |
1342年 |
南部政長は居城の根城まで曽我氏の侵攻を許してしまうが、根城の攻防戦で曽我師助を討ち取り、さらに曽我貞光にも深手を負わせた。結局、この戦いでは曽我氏は城を落とすどころか大将を失い撤退する羽目となった。 |
1365年 |
南朝の衰退により南部信光は陸奥国から本貫地の甲斐国波木井へと引き上げた。この時、城がどうなったか定かではないが、北朝に付いていた三戸南部氏によって管理されたという説もある。 |
1392年 |
南北朝合体後、南部政光は本貫地の甲斐国の所領を幕府に明け渡し、奥州に下向して根城に戻り、糠部郡の八戸を新たな本貫地としたという。 |
1591年 |
「九戸の乱」では南部氏の家中が九戸勢と三戸勢に別れて争ったが、根城南部氏は三戸勢に付いたため、九戸勢の櫛引氏の攻撃を受けることとなった。根城の攻防戦では根城南部氏が勝利を収め、逆に返す刀で櫛引城を攻め落とした。 |
1627年 |
南部直政と嫡子・久松の急死により根城南部氏は危うく断絶しかけるが、藩主の南部利直の配慮で直政夫人の清心尼が跡を継ぎ、後に一族の新田直義が根城南部氏を継ぐ事で落ち着いた。ただ、この配慮には裏があったようで、替わりに根城南部氏は八戸から遠野へと所領替えすることになり、根城南部氏が去った城は廃城となったという。 |
1941年 |
国史跡に指定される。 |
縄張り
城は馬渕川右岸の沢に挟まれた台地に築かれており、西端部の本丸を始めとして、中館、東善寺館、岡前館、沢里館などの郭群から構成されている。各郭は空堀で区切られており、さらに東西の外側には外堀となる沢があった。
【本丸】(復元建造物)(有料区域)
本丸の内部には主殿の他に馬屋、工房、板倉、そして竪穴式の納屋が復元してある。他にも常御殿、奥御殿や櫓台跡等が平面復元されており、西側には用途不明の台座跡がある。本丸周囲は木柵で囲まれており東側に2つの門からなる大手口、西側に搦手口がある。なお、本丸だけは有料となっている。(大人250円:博物館共通券400円、大学・高校生150円:博物館共通券240円、小中50円:博物館共通券80円))
【本丸内堀】
本丸の周囲は空堀で囲まれており、西側はさらに外側に西の沢があるため巨大な二重堀のようになっている。ただ、搦手口がある関係なのか西の沢に出れるような切り口があり、堀底も通路のように使用されていた形跡がある。
【大手門】(現存城門)(市指定文化財)
城址の東端部に現存する大手門があるが、この門は現存する八戸城東門を移築したもので、そもそも根城が廃城になった際に大手門が八戸城に移築されて東門として利用された伝承があり、結果的に再移築で元の場所に戻ったことになる。ただし、元の大手門はここではなく馬渕川側にあったとされている。
【三番掘】
根城の岡前館の郭の外側には幅の広い空堀(三番掘)が巡っており、岡前館の郭が住宅地化して消滅した今でも堀だけは住宅街を縫うようによく残っている。
【沢里館】
根城の南側の高くなった場所に沢里館の郭があり、この郭は中央に社がある他は空き地と化している。ただ、この郭を囲む横堀がある程度残っており、住宅地の中にしては遺構が良く残っている場所である。
【西ノ沢】
城址の西側には西ノ沢と呼ばれる沢があり、ちょうど根城の縄張りの境界となっている。なお、根城の東側にも似たような沢があってこの2つの沢に囲まれた台地が根城の縄張りだったが、東側の沢は市街地化で判りづらくなっている。
関連施設
【八戸市立博物館】
八戸市の歴史と生活、風習などに関する資料を展示。
<開館時間>9:00~17:00(入館16:30迄)
<休館日>月曜日、祝日の翌日、年末年始
<入館料>250円、大学・高校生150円、小中学生50円
<駐車場>無料
<場所>青森県八戸市大字根城字東構35-1
アクセス
- JR東北新幹線、青い森鉄道の八戸駅から「司法センター経由」のバスに乗り、「博物館前」で下車して徒歩1分。
- JR東北新幹線、青い森鉄道の八戸駅から「田面木経由」のバスに乗り、「馬場」で下車して徒歩2分。
関連リンク情報
- 八戸市の公式サイトの「教育・文化・スポーツ」-「文化」-「掘りdayはちのへ」-「遺跡紹介」ページで根城を確認できます。
- 八戸市博物館の公式サイトの「史跡根城の広場」に根城についての記載があります。
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