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源常館 げんじょうだて
- 別名
- -
- 時代
- 室町時代~安土桃山時代
- 分類
- 連郭式中世平山城
- 規模
- 標高:55m、比高:約20m
- 現状
- 神社・果樹園
- 場所
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青森市浪岡大字北中野字上沢田
- 最終訪城日
- 2012年11月25日
築城に関しては不詳だが、浪岡北畠氏の初期の居城と伝わる。現在は神社と果樹園。
城史
年代 |
出来事 |
14世紀頃 |
北畠氏が浪岡に着て最初に住んだ場所、もしくは東山根の次に移り住んだ場所とされている。 |
15世紀後半 |
浪岡氏4代目の北畠顕義が浪岡城を築城し、東山根(源常館を指すとも)より居城を移す。 『左近顕忠覚書』 |
1570~92年 |
源常氏、軽井氏、強清水氏の3人の重臣が浅瀬石方面の守りを勤めていた。 『津軽一統志』 |
中世 |
館の主として源常顕忠、浪岡吉六を名を伝えている。 『浪岡名所旧蹟考』 |
1578年7月20日 |
大浦為信によって浪岡城が陥落し、北畠顕村も大浦軍に捕まって自害して果てた。源常館は顕忠の子の顕則が相続していただろうと思われるが、浪岡陥落後は南部領へと退避しており、これ以降に廃城となったと思われる。 |
縄張り
城は浪岡川と正平津川に挟まれた舌状台地の西端に築かれており、台地を空堀で切って連郭式の縄張りを構築している。郭は最低でも大きなものが2つ確認できるが、東端がよく判らないため全体像は不明。
【郭内】
台地の西端には北畠神社があり、そこよりも東には果樹園が広がっている。画像は西端部分でやや左奥に神社の社殿がある。ちなみに画像と逆側には北中野竜神社と姥神社、それと大銀杏がある。
【空堀】
画像は神社や藪のある西端部分と果樹園の間にある空堀で、果樹園を東に行った場所にも同様の空堀がある。
【御廟館(屏風館)】
台地の西端から切り離された場所にある小高い丘で、出丸のようなものと思われる。「御廟」という名称から浪岡の伝説に出てくる藤原秀栄の子の乳母の墓所かもしれない。丘の上には社らしきものがあるが、鳥居は倒れ道は藪化して埋もれてしまっている。
アクセス
- JR奥羽本線の浪岡駅から「青森空港」行きのバスに乗り、「五本松」で下車して徒歩10分。
- 青森空港から「弘前バスターミナル」行きのバスに乗り、「五本松」で下車して徒歩10分。
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