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岩崎城 いわさきじょう

別名
明建城、岩崎陣屋(江戸時代末期)
時代
鎌倉時代以降?~江戸時代
分類
中世平山城
規模
標高:100m、比高:約20m
現状
岩崎八幡神社・千年公園
場所
秋田県湯沢市岩崎
最終訪城日
2010年5月5日

小野寺氏一門の岩崎氏の代々の居城だったが、最上軍の攻撃を受けて落城した。江戸時代には城跡に岩崎藩の藩庁が置かれた。現在は神社を含めた公園となっており、能恵姫伝説の舞台となっている。

城史

年代 出来事
鎌倉時代以降 小野寺氏一門の岩崎氏によって築かれたと考えられている。
1555年4月 城主の岩崎道高に姫が生まれ能恵姫と名づけられたが、100日経った頃に昼夜問わず泣き出すようになり、道高は医師や僧を呼んだが全く効果が無かった。しかし、乳母のサワが姫を抱いて庭を散歩したところ、松の大木の下で姫がピタリと泣き止んだ。この時、木下には玉のような石があり、道高はこれを「守り石」として城内の井戸に集めたという。 『能恵姫物語』
1571年11月 川連城主の道基の元へ能恵姫が嫁ぐことになったが、姫は婚礼の日にさかり淵の大蛇に連れ去られてしまった。その後、水神となった姫を弔うために龍泉寺が建立され、姫を祀った水神社が城内に建てられたという。 『能恵姫物語』
1595年 最上軍の原田大膳が岩崎城に攻め寄せ、夜襲を加えて城を攻め落としたという。以後、岩崎城には原田大膳が入り小野寺氏に備えたという。
1602年 最上氏には雄勝・平鹿郡の代替地として由利郡が与えられ、雄勝・平鹿郡は出羽国転封された佐竹氏の所領となった。
1620年 一国一城令により湯沢城等と共に一時廃城となった。
1869年 秋田藩の支藩である新田藩の藩主の佐竹義理が、岩崎城跡に岩崎陣屋を構えて新たな藩庁とした。
1871年 版籍奉還により岩崎藩は解体され、岩崎陣屋は破却された。

縄張り

城は皆瀬川左岸の丘陵末端部に築かれており、背後の山とは深い堀切で切り離され、そこを今はJRの線路が走っている。本丸と二の丸はほぼ同じ高さだが、間は堀切で分けられており、そこから一つ下に三の丸がある。他にも大小の郭があり、丘陵の南麓には空堀が造られていた。

【本丸】
郭はそんなに広くは無いが、北側からは皆瀬川と盆地が一望できるためかなり眺めが良い。現在はこれといったものは残っていないが、桜の木と藤棚がある。

【二の丸(妙見社)】
二の丸は細長い郭で一段高い場所に妙見社の本殿が建てられている。詳しくは判らないが岩崎氏は妙見社を崇拝していたとのことなので、当時からここにあるのかもしれない。なお、別名の明建城はこの妙見社に由来するとされている。

【三の丸(玉子井戸)】
本丸・二の丸に接する低い場所に三の丸があり、城主の屋敷がここにあったと言われ、その時の井戸が今も残っている。この井戸は玉子井戸と称され、能恵姫に纏わる物語が今に伝えられている。

【岩崎八幡神社】
西側の最も低い位置の郭に岩崎八幡神社があり、その奥の腰郭の先には水神となった能恵姫を祀った水神社が建てられている。なお、丘陵の南側には空堀があるため、八幡宮の参道が土橋のようになっている。

アクセス

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