HOME -> 城跡データ -> 秋田県の城跡一覧 -> 岩崎城
小野寺氏一門の岩崎氏の代々の居城だったが、最上軍の攻撃を受けて落城した。江戸時代には城跡に岩崎藩の藩庁が置かれた。現在は神社を含めた公園となっており、能恵姫伝説の舞台となっている。
年代 | 出来事 |
---|---|
鎌倉時代以降 | 小野寺氏一門の岩崎氏によって築かれたと考えられている。 |
1555年4月 | 城主の岩崎道高に姫が生まれ能恵姫と名づけられたが、100日経った頃に昼夜問わず泣き出すようになり、道高は医師や僧を呼んだが全く効果が無かった。しかし、乳母のサワが姫を抱いて庭を散歩したところ、松の大木の下で姫がピタリと泣き止んだ。この時、木下には玉のような石があり、道高はこれを「守り石」として城内の井戸に集めたという。 『能恵姫物語』 |
1571年11月 | 川連城主の道基の元へ能恵姫が嫁ぐことになったが、姫は婚礼の日にさかり淵の大蛇に連れ去られてしまった。その後、水神となった姫を弔うために龍泉寺が建立され、姫を祀った水神社が城内に建てられたという。 『能恵姫物語』 |
1595年 | 最上軍の原田大膳が岩崎城に攻め寄せ、夜襲を加えて城を攻め落としたという。以後、岩崎城には原田大膳が入り小野寺氏に備えたという。 |
1602年 | 最上氏には雄勝・平鹿郡の代替地として由利郡が与えられ、雄勝・平鹿郡は出羽国転封された佐竹氏の所領となった。 |
1620年 | 一国一城令により湯沢城等と共に一時廃城となった。 |
1869年 | 秋田藩の支藩である新田藩の藩主の佐竹義理が、岩崎城跡に岩崎陣屋を構えて新たな藩庁とした。 |
1871年 | 版籍奉還により岩崎藩は解体され、岩崎陣屋は破却された。 |
城は皆瀬川左岸の丘陵末端部に築かれており、背後の山とは深い堀切で切り離され、そこを今はJRの線路が走っている。本丸と二の丸はほぼ同じ高さだが、間は堀切で分けられており、そこから一つ下に三の丸がある。他にも大小の郭があり、丘陵の南麓には空堀が造られていた。