天恢の霊感遍路日記 (松山〜結願編)

 

3回・9日目  88番:大窪寺          200961(月)       

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

6:55

 ながお路 

8:108:30

へんろ交流サロン

 

11:2513:20

88番:大窪寺

結願の寺 二天門 仁王門 水かけ地蔵

 

 

大窪寺13:30→志度BS 14:32

 

 

志度BS 14:31→大阪なんば17:16

18:00

 

BHニッセイ

 

ながお路の女将さん、ありがとう

2年余り、3回の区切り打ちを重ねて、ついに記念すべき「結願の日」を迎えた。早めに朝食を終え、身支度をしっかり整え、女将さんに見送られて、気持ちを引き締めての出発である。お隣の長尾寺の仁王門の前で今日の無事を祈る。長尾寺から県道3号線を真っ直ぐ鴨部川沿いに南へ向かう。一心庵、高地蔵を過ぎて、緩やかな坂道を上って5qほど歩くと前山ダムが見えてくる。長尾寺から大窪寺まで女体山越えコースなら12q、助光コースなら15qの道のりである。どちらのコースにするかは、体調次第である。ダムのほとりに「前山おへんろ交流サロン」が現れた。昨日別れた鈴木青年ともここで落ち合う約束であった。

 

前山ダムのほとりに交流サロンが・・

歩き遍路で、おへんろ交流サロンへ

四国の立体的なへんろ地図が・・・

 

「ながお路」から開館前の8時に宿泊者が訪れることを事前に知らされており、代表の木村照一さんらが迎えてくれた。

大使に任命されて・・・

ここには、「へんろ資料展示室」と「交流サロン」を設けて、霊場巡りの参拝者や観光客、地域住民の交流の場となっている。記帳をすると、木村さんから 「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と「同行二人バッジ」をいただくことになった。任命書に「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1,200qを完歩され、・・・」とあるので、後ろめたい気持ちもあるが、少なくとも87番長尾寺と88番大窪寺の間を歩く者の特権である。有り難くいただくことにした。センター内には、江戸時代の納め札や納経帳といった、遍路に関する資料や各札所の写真などが展示されていて、見学させていただいた。

何しろ結願を急ぐ身として長居はできない。木村さんやスタッフの方にお礼を述べて、早々に退出した。鈴木青年は、隣接する「道の駅ながお」で買い物をするということで、私は先に出発することにした。

 

江戸中期の典型農家の原型・・・

40年前まで使用された細川家

コースは無理せず、大事をとって遠回りになるが起伏の少ない助光コース選んだ。静かな山道を歩きながら峠を越える。助光の手前で、国の重文に指定された「細川家住宅」の案内があったので、休憩を兼ねて見学することにした。細川家は代々続いた古い山間部の農家。昭和41年、民俗調査で発見され、江戸中期の典型農家の原型を留め保存されている。それにしてもこの民家、40年前まで実際に住家として使用されていたとのこと、よくぞ今日まで保存されてきたものである。県道に戻り、しばらく歩くと瀟洒な建物である多和小学校が見えてきた。結願の寺まで残り5q余りである。ここから少し上りが続くが、旅館竹屋敷を過ぎれば残りは3km、大窪寺までのカウントダウンが始まった。左手に女体山、矢筈山がくっきりと見えてくる。こんな時は、気持ちは焦れどもナカナカ足が進まない、そして行く手に豪壮な仁王門が、結願の札所大窪寺である。

 

豊かな田園にある多和小・・・

あの女体山のふもとまで・・・

ついに豪壮な仁王門が現れた・・・

 

88番 大窪寺

 

一歩一歩、いろんな思いを噛みしめながら仁王門をくぐり、先ず大師堂にお参りする。(実は、大窪寺へ参拝者のほとんどは二天門から境内に入り、本堂へ向かうことで感激もひとしおとなる。)そして、胎蔵ヶ峰を背にした本堂へ回る。境内には、天恢が好きな不動明王の石像が立つ。「あなうれし ゆくもかへるも とどまるも われは大師と 二人づれなり」の歌碑がある。本堂横の阿弥陀堂の前に、漂泊の俳人として知られる山頭火が大窪寺で詠んだ「ここが 打留の水が あふれてゐる」の句碑もある。本堂前に、鈴木青年もすでに到着していた。

 

いつも結願で賑わう本堂前・・・

静かな佇まいの大師堂

ここが打留の水があふれてゐる山頭火

 

そもそも大窪寺は、行基が開基したと伝わる。その後、唐から帰国した弘法大師が、このあたりの岩窟で虚空蔵求聞持法を修め、大きい窪みに堂宇を建立して、薬師如来を刻み本尊としたと伝えられる。それで寺名を大窪寺としたと伝わる。さらに大師は唐の恵果阿闍梨から授かった天竺から中国、中国から日本に渡ったとされる「三国伝来の錫杖」を納め、四国霊場結願の札所とした。

 

二天門で記念写真・・・

「あなうれし」の歌碑が・・・

さてさて、ここの見所は?  

結願寺として見所はたくさんある。二天門は、明治33年の火災では焼失を免れ、結願を目指して年間20万人もの参拝者が苦労や喜び、感謝の気持ちでくぐる山門である。また参拝コースで見落とされそうな四国霊場最大級の仁王門もお忘れなく。大師堂脇の宝杖堂には、結願したお遍路さんの金剛杖が納められている。これらの杖は、321日と820日の柴灯護摩供で供養される。

 

 

そして、ご利益は? 

大師堂の地下には、88ヵ所全ての札所の境内から運ばれた砂を踏む「お砂踏み」も体験できる道場がある。88ヵ所の小さな本尊が祀られ、一周すれば四国霊場と同じご利益があるといわれる。詰まりは、大窪寺1ヵ所で四国八八ヵ所巡拝も可能となる。さらにハクをつけたい方は、大窪寺が発行する「結願証」をいただければ、鬼に金棒のご利益間違いなしである。結願証は、納経所で2,000円(平成21年現在)払って申し込む。その際納経帳などの提示は求められない!

 

結願できたのも、家族とご先祖様のお陰と、どーんとお線香を真ん中に

納経をすませ、鈴木青年は結願の寺での記念撮影に協力してくれた。彼は、これから霊山寺へお礼まいりに行くそうである。遍路が終われば厳しい再就職活動が待っている。なんとか頑張って自分の仕事を見つけて欲しい。「どうか、お大師さま見守ってください。」と心の中で念じる。またの日の再会を約して別れた。

四国八十八ヶ所を打ち終えて結願した身として、この胸にさまざまなことが去来する。道中のさまざまな苦労や喜び、感謝の気持ちが湧き上がってくる。特に家族への感謝の念はひとしおである。確かに私も「この日」を境に生まれ変わり、再び、新たな人生を歩き始める・・・。

 

結願祝いは、ささやかに野田屋さんで

 門前の野田屋さんでの昼食である。結願定食は予約者のみで、かつ丼とビールを飲んでお祝いする。大窪寺で結願を終えたお遍路は、習わしとして「お礼参り」をする方も多い。お大師さまに結願の報告と道中の無事を感謝し、自身の気持の整理をするためである。1番の霊山寺へ向かわれる方もいるが、天恢は高野山に向かい、奥の院にお参りすることを決めていた。

 2時間近くの大窪寺での滞在後、コミュニティーバスで志度バスストップ(BS)へ向かう。こちらのバスは、地元も含めたお参りの方で満員に近い状態である。大窪寺から約1時間で志度BS(14:32)着で、高速バスなんば方面行(14:31)発に間に合った。四国でバスに何度か乗車したが、定刻時間で発着は皆無で、通常5分遅れは常識のようである。ただ1日の便数があまりに少ないので、早めにバス停でイライラしながら待つことになる。  

 

鳴門西PAの霊山寺への出口

車窓から霊山寺の多宝塔の相輪が・・・

高速バスは一路四国の玄関口・鳴門大橋へ。途中の鳴門西PAで霊山寺への出口を確認。ここで降りれば一番さんにお礼参りできるのだが・・・。乗客が少ない高速バスなので、右の座席に移動し、霊山寺の多宝塔の相輪が一瞬見えた時にシャッターを押した。こころの中で手を合わせて結願報告をする。ほどなく鳴門大橋を渡る。これで何となく四国を一周したような気持ちになる。SAでの休憩の際にATMでピンチの財布に補充もできて、大阪なんば

 

鳴門大橋が見えてきた・・・

この橋を渡れば四国一周・・・

に午後5時過ぎに到着した。広くて活気のあるなんば駅を回り込むように南海電鉄口へ。昨夜の「ながお路」の息子さんに相談して決めた、本日の宿・BHニッセイに着く。おりしも関西地方は、新型豚インフルエンザで騒がれていた。人混みを避けるように、駅前の繁華街で夕食やコンビニで用事をすませた。

 

 

 

 

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)