天恢の霊感遍路日記 (松山〜結願編)

 

3回・10日目 高野山               200962(火)       

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:20

 

BHニッセイ 7:20

7:30

 南海なんば駅

南海 大阪なんば8:12→高野山9:57 バス10

10:1014:00

高野山

奥の院バス停⇒奥の院・一の橋⇒中の橋⇒御廟の橋⇒御廟⇒            今剛峯寺⇒檀上伽藍・根本大塔⇒大門⇒女人堂⇒極楽橋           

 

 

南海 高野山14:34→なんば16:22

 

 

なんば→新大阪(御堂筋線)

 

 

JR 新大阪17:00→新横浜19:14

 

BHニッセイ・・・

今日は、高野山へのお礼参り、そして横浜のわが家への久しぶりの帰還である。高野山は二度目となるが、前回は吉野からであった。南海電鉄の特急で橋本まで行くつもりで、切符を購入して乗車したが、「関空行」と間違えて乗車してしまい天下茶屋駅で慌てて降りた。ここで「橋本行」を待てばよいのに、「なんば」へ戻ってしまった。ここが田舎者のつらさである。急行に乗って橋本へ。一緒に乗り合わせたお婆さんがお遍路姿の私に話し掛けられてきた。「お礼参りで高野山へ」と伝えた。お婆さんは明石から月参りで高野山へお参りされているとのことである。お婆さんとの会話がはずみ退屈せずに時を過ごせた。橋本から極楽橋、そしてケーブルで高野山である。本当は九度山で下車して慈尊院から山上の根本大塔まで180町石を歩いてみたい気持ちはあるが、体力的に、時間的にとても無理で諦め。せめて高野山駅から歩きたかったが、お婆さんと連れ立って、バスで奥の院まで乗車してしまった。まことに情けないことである。奥の院でバスを降りてお婆さんとお別れした。

 

高野山奥の院

 

一の橋へ戻り、お大師さまの霊廟のある聖地・奥の院へ向かう。そもそも「お礼参り」とは、四国88ヵ所霊場巡りは、お大師さんと一緒の「同行二人」の旅路である。長い遍路道をひたすら道中修行に勤めたお遍路は、無事に結願した報告とお礼に高野山に詣でる。そして、高野山からお招きした弘法大師を、ここにお見送りするという意味もあるそうだ。

 

一の橋からは死後の世界・・・

芭蕉句碑が・・・

f44-hondou.jpg

わが故郷の殿さま・黒田家の墓・・・

 

一の橋からは死後の世界とされ、ここからは結界の地とされ、渡る前に「脱帽して一礼する」習わしとなっている。樹齢400年から600年の杉の巨樹が聳える参道を進む。参道に沿って戦国武将の墓石群が延々と続く。大師への篤い信仰心と、江戸幕府の政策があいまって、奥の院は宗派を超えて、死後の安住の地とされるようになった。墓石の数はおよそ20万基といわれる。敵味方で争った織田信長と明智光秀、武田信玄と上杉謙信が仲良く同居している訳である。中の橋を渡ると、芭蕉の「父母の しきりに戀し 雉子の声」の句碑があり、緊張のなかで心を和ませてくれる。この句碑は絵師の池大雅の書によるそうだ。やがて御廟の橋に至る。この先が聖地中に聖地といわれる御廟。ここでも一礼。「これより奥注意」の立て札が、「禁煙、写真撮影禁止、飲食の禁止」などである。石段を上がれば灯籠堂である。この灯籠堂の裏手に回れば檜皮葺き、宝形造の御廟である。

 

御廟の橋で記念写真・・・

これが高野山のご朱印

静寂な中、ここで蝋燭とお線香をあげて、結願報告とお礼参りをする。

お参りをすませ、納経所の場所を尋ねると、丁寧に御廟橋の近くにある御供所を教えていただいた。納経帳の最初の頁で、最後まで残った白紙のところに高野山のご朱印をいただく。高野山の揮毫はさすが流石流れ石である。御廟橋に戻り、やはり結願のお礼参りに来られた方に記念写真を撮っていただいた。なにか肩の荷が下りたような心境である。

 

 奥の院でのお礼参りが終わり、総本山である金剛峯寺へと向かう。こちらでも結願報告とお礼参りをする。次に檀上伽藍、ここには金堂を中心に根本大塔、御影堂、不動堂などが建ちならんでいる。高野山の伽藍の特色は、弘法大師が創案した大日如来の宇宙観をこの山上に具現化しようとした密教の聖地である。そして、さらに西へ移動して、最後に辿り着いたのが総門である大門であった。本来ならば、結願報告に来たお遍路は大門をくぐって入ることになるが、高野山の西端に堂々たる瓦葺き屋根の朱色の二層の門である。なぜか訪れる人も少なくここでは静寂さのみが漂う。しばし昼下がりの午後、大門で遍路であったさまざまなことを思いめぐらした。長いようで、短い日々であった。

 

高野山真言宗総本山・金剛峯寺・・・

檀上伽藍の中心的存在・根本大塔

総門である大門、次はここに歩いて

 

これから帰路につくが昼食は未だなので、郵便局や銀行のあるところまで戻って、南海食堂という名の定食屋へ入った。結願・お礼参り祝いとして、そこでビールを飲んで食事をした。ほろ酔い加減で女人堂へ。そこからバスと高野山駅へ。ケーブルで下りて、特急電車でなんばへ。地下鉄で新大阪駅に。「のぞみ」に乗れば、黙っていても横浜である。途中の京都駅に近くなったのでデジカメを準備した。もう一つの聖地である「東寺」が見えるはずである。

 

車窓から見る東寺、そっと手を合わせ

右手の窓越しに、優美な姿を現す五重塔。高さ55mの東寺の古塔である。東寺は、空海誕生の地である善通寺、空海入定の地である高野山とともに、弘法大師ゆかりの三大霊場の一つとして知られる。江戸時代には、四国八十八カ所遍路が、この地から旅立ったという。忙しないことですが、新幹線からお参りさせていただいた。

これでやっと娑婆に戻れる実感が湧いてきた。この気持ちは、やはり「感謝」という言葉以外に見当たらい。「♪〜遍路は続くよ どこまでも・・・」、いつの日かふたたびお遍路ができますように・・・。 (完)

 

 

 

                                             参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)