天恢の霊感遍路日記 (松山〜結願編)

 

3回・5日目  66番:雲辺寺70番:本山寺  2009528(土)       

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

6:30

民宿岡田 

遍路最高所(927m)の札所へ 息切れ+筋肉痛で絶不調

8:509:10

66番:雲辺寺

仁王門 本堂 五百羅漢像 お頼み成す マニ車 びんずる様

9:20

 

ロープウェイ経由7分 

11:4512:30

67番:大興寺

カヤ・楠巨木 仁王門・金剛力士像 大草鞋 手水場 七日燈明 

タクシー移動

12:4513:05

70番:本山寺

国宝・本堂 五重塔 円柱の仁王門 馬の像 みちびき弘法大師

14:1015:00

68番:神恵院    69番:観音寺

一寺二霊場の山門 68番アジサイ寺 回遊式庭園巍巍園   69番重文の本堂 彫刻の鐘楼 楠の大木 銭型砂絵 道に迷う

 

観音寺駅

JR 観音寺発16:19→みの着16:37 タクシー10

17:30

 

ふれあいパークみの 

岡田のお父さん、ご講義有難う。    いつまでもお元気で!・・・

 

朝、6時半に民宿岡田を出発。宿の前でお父さんとの記念写真を撮らせていただく。いつまで、元気で頑張ってもらいたい。雲辺寺までの道中に飲食店などは一軒もないので、昼食用のおにぎりを持たせてくれる。その心遣いが嬉しい。いつもながらの「南無大師遍照金剛(3回) 有難うございました。」を忘れずに唱える。

宿泊者は67名ほどだったが、歩きはマイペースが大事なので、とくに皆が連れだって歩くことはない。並足クラス同士だと見え隠れする間隔で進むことになる。民宿岡田の標高は240m、雲辺寺は910mの高所、その高低差は670mもある。歩き始めて、徳島自動車道の高架をくぐるといきなり急坂が続く。昨日は合計で1200mの登山だったので、足もかなり痛くなってきており、おまけに息切れ・動悸が激しくなってくる。10歩以上続けて歩けなくなって、

 

息絶え絶えで、やっと仁王門へ・・・

休み、休みしながら登っていくしかないのである。「ハァ、ハァ」、「ハァ、ハァ」、「ハァ、ハァ」と、喘ぎながら、心臓パクパク、荒々しい息づかいとなる。どうやら一等ビリになったようで、心細いけどゆっくり登るしかない。ふと、もしかしたら雲辺寺に着く前に、あの世に逝っちゃうかもしれない・・・。この登りの辛さは、これまで焼山寺でも、横峰寺でも経験しなかったことで、体調不良が一番の原因である。やっとの思いで曼蛇峠からの分岐(合流)点に到達したが、ここは標高665mである。幸いここから緩やかな尾根道となったので、残りの2kmは何とか歩き続けることができた。そして、宿を出て2時間20分後に雲辺寺仁王門が迎えてくれた。

 

 

66番 雲辺寺

 

四国88ヵ所で最高所の札所で四国高野とも呼ばれている。徳島、香川両県にまたがる標高927mの雲辺寺山の山頂付近にあって、「涅槃の道場」の打ち始めの札所である。運悪く、お天気は曇り気味で、本堂は工事中のため仮本堂でお参りをすませた。杉やヒノキなどの巨木が生茂り、森閑とした霊山の趣が漂う霊場も、やはり工事中ともなると、緊張感が少々薄れることも仕方がないことである。

 

雲辺寺本堂は、ただ今工事中・・・

大師堂は石段を上って、大木に囲まれ

おむかえ大師が優しくお迎え・・・

 

そもそも雲辺寺は、開基は弘法大師で、16歳の時に、大師がこの山に登って霊気を感じ、堂宇を建立したことに始まるといわれる。その後、嵯峨天皇の勅願により大師が再訪し、自ら千手観世音菩薩を刻んで本尊とし、護摩修法を行い仏舎利を修め、ここを霊場に定めたという。

この遍路日記を書くにあたって各札所の「縁起や歴史」について、いろいろ資料等を拝見した。その中で、土佐の豪族・長宗我部元親の存在が大きく浮かび上がった。天恢は「四国の歴史史上で最高のワル」と言っても決して過言ではないと思っている。戦国時代に長宗我部元親が雲辺寺に登り、阿波、伊予、讃岐の平野を眼下に見て四国平定の野望を募らせたとき、住職が思い止まるよう諫言した話が「裏山問答」として伝わる。しかし、元親は聞く耳を持たず、阿波、伊予、讃岐へ攻め込み、このため多くの寺々が兵火によって焼失した。とくに讃岐では、ほとんどの札所が寺宝ともども灰燼に帰している。この元親については、いずれ別の機会に・・・・。

さてさて、ここのご利益は? 

本堂の左側に、ナスの形をした、ブロンズ製の腰掛けがある。咲くとひとつ残らず、必ず実になるナスの花と成すをかけて、願いを込めて腰掛けると叶うという「お頼み成す」である。

 

願を込めて腰掛けると叶うかな?・・・

マニ車一回まわすとお経一回分・・

等身大の羅漢さんはリアルである・・・

 

もう一つ、大師堂のそばに、奉納されているマニ車。マニとは如意宝珠の意味を持つ。マニ車の中にはお経が納められており、それを回すと、お経を一度唱えたのと同じご利益があるという。

おまけに、「あなたに似ている羅漢さんはいずこ?」。境内のあちこちで等身大の五百羅漢の石像が、愛嬌たっぷりの表情で出迎えてくれる。羅漢さんとは、お釈迦様のもとで修行し、悟りを開いた高僧のことであるが、彼らの姿かたち、喜怒哀楽の表情はさまざまで、楽器を奏でたり、書を読んだり、なかには酒びんを抱えた羅漢さんまでいる。

 

今朝の難所コースで、かなり体力を消耗してしまった。今日のスケジュールをこなすために参拝後は、ロープウェイで一気に下ることにした。7分の乗車時間であるが、「瀬戸内海の島々や瀬戸大橋を望む絶景が広がる」はずであったが、やや視界は不良である。山麓駅から大興寺へ向かうには萩原寺を経由するコースと林道を通るコースがあるが、距離的に林道コースの方がやや近いと判断して大興寺を目指した。

 

下りは一気にロープウェイで、観音寺市が・

小川に架けられた石橋を渡って・・

静寂な道で、緑あふれる下り道である。遍路道が途切れたところが大興寺の裏側のようで、そこから回り込むように坂を下れば、大興寺の入り口である。重厚な仁王門の前にはのどかな田園が広がり、門の前を流れる小川に架けられた石橋を渡ると修行大師像が迎えてくれる。

 

 

 

67番 大興寺

うわさの小松尾寺のカヤ・・・

 

仁王門の左右に立つ2体の「金剛力士像」は、檜材の寄木造りで身の丈3mを超える「仁王立ち」で、鎌倉時代、運慶の作と寺伝にあり、四国一の大きさを誇るそうである。仁王門をくぐって、右手に樹高20m、幹周り4m、樹齢1200年の大師お手植えとされる「小松尾寺のカヤ」が目に入る。そのやや上段の石段脇にカヤの木に劣らず大きい楠の老樹が頭上を覆うように聳えている。

そもそも大興寺は、中世の最盛期には真言宗と天台宗、密教の二大宗派の修行道場で大いに栄えていたそうである。大師堂は、二つの宗派が共存していた歴史の名残で、享保元年(1716)の建立の本堂を挟んで、左手に建つ大師堂は真言宗で、右手に建つ大師堂は天台宗となっている。その時、それとは知らずにお参りした私は、左手の真言大師堂の参拝のみで終わった。

さてさて、ここのご利益は? 

 

二大宗派の大師堂に挟まれた本堂・・

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 こちらは真言宗の大師堂・・・

無数の赤いロウソクの炎が揺らめく・・

 

本堂内では何十本もの赤いロウソクの炎が揺らめいている。これは「七日燈明」と呼ばれるが願掛

縁起物の三錮の松・・

けで、赤いロウソクに病気平癒、安産、良縁、断酒などの願い事を書いて奉納すると、7日間ロウソクを灯して祈祷してくれる秘法で、今もお願いが絶えない。

もう一つ、本堂の前に、お遍路さんがお守りにする不思議な縁起物、「三鈷の松」が移植され、いつしかあがめられるようになったそうである。 「ご自由にお取り下さい」と箱の中に収められており、先端が三つに分かれている松の葉を財布に入れているとお金持が増え、持っていると幸せになるとか〜?

あいにくと小雨模様となり、民宿岡田のお弁当をいただくことにした。境内は訪れる参拝客もほとんどいなくて、静寂さのみであった。

 

次の札所は第68番と第69番であるが、小雨の中、観音寺市街を抜けきる自信がないので、山門下へタクシーを呼んで、第70番札所本山寺を打つことに決めた。タクシーを待っていたら、前夜の同宿舎の女性が到着した。多分、雲辺寺の山道を下り、ここまで歩き通してのことだろう。今日は観音寺までの巡拝予定と言っていた。タクシーに乗って、雨中の市街地を通り抜けていると、例の「自転車で日本一周の青年」と一瞬であるがすれ違ったようで、ほどなく本山寺に着いた。

 

70番 本山寺

どっしりとした仁王門であるが自由に・

長宗我部元親からも逃れた国宝本堂

仁王門をくぐって右手にある大師堂・・

 

寺の入り口にあたる仁王門はどっしりとした八脚門で、唐風の絵模様の彫刻が見事。国の重要文化財に指定されている。ただ、この仁王門には塀や柵が無く、ぽつねんと立派な門だけあるので、脇からスイスイ入れる門なので、どうも締(閉)まらないのである。

 そもそも本谷寺は、大師が一夜で建立、優美な五重塔と88ヵ所で唯一、馬頭観音菩薩をご本尊として祀り、戦国時代、長宗我部軍に攻められたとき、阿弥陀如来が住職の身代わりとなって刃を受け、兵火を免れたと伝わる寺である。

 

寺の象徴である五重塔・・

さてさて、ここの見所は? 

前述の仁王門と風格のある優美な五重塔である。四国88ヵ所のうちでも、五重塔を有する寺は、第31番札所竹林寺、第75番札所善通寺、第86番札所志度寺、そしてこの本山寺の4ヶ寺だけである。現在の五重塔は明治末期の建立で、盲目だった頼富住職は、四国霊場巡拝の途上で霊験を得て目が見えるようになり、その報恩のために五重塔を再建したという。それと、国宝の本堂である。こちらは正安2年(1300)の建築で、寄棟造の本瓦葺きで、外

競馬関係者に根強い人気の札所・・・

観は京都風、内部は奈良風の造りで、仁王門と同様に和様、唐様、天竺様といった建築様式が折衷されている。

そして、ご利益は? 

ご本尊である馬頭観音にお願いすれば、馬が草を貪り食うように、悪心や欲、怒り、悩みを食べ尽くしてくれるといわれている。風説では、競馬関係者や万馬券信奉者などの参拝が多いとされている。

 

参拝を終え、まだ小雨が降っており、お遍路さんに「雨宿りのベンチがありますよ」と声を掛けられた。そこが納経所の前だった。納経を終えて、今度は徒歩で、次の「一山二霊場」の神恵院と観音寺を目指すことになる。財田川を河口に向かって左岸の堤防を歩いて進めば、もう道に迷う心配はない。ふり返ると対岸の向こうにこんもり茂った森から顔を出す五重塔が、かなり離れたところからもその姿が望める。

 

順打ちだと一番目印になる五重塔・・・

八十八ヵ所唯一の一山二霊場の仁王門

順打ちなら一番目印となるランドマークである。低い予讃線の高架下をくぐり、河畔から左手に広がる観音寺(かんおんじ)市街を見遣り、財田川に架かる三架橋を渡れば、左手に標高60m弱の琴弾山である。その中腹に神恵院(じんねいん)と観音寺(かんのんじ)が同一境内に建っている。四国88ヵ所霊場では唯一の「一山二霊場」で、入口の仁王門にも、二つの寺名が大書されている。

 

 

68番 神恵院    69番 観音寺

白衣の背中に鶴亀が・・

 

仁王門をくぐって石段を上がるときに団体さんと一緒になった。彼らとは仙遊寺で同宿し、横峰山で会った、あの東京からの団体さんたちである。今日で3日連続であるから「あら、まぁ」という訳での再会である。東京から45日の日程で、計4回で88ヶ所と高野山をお参りするツアー。そうなると私も団体バスツアー並みの速さで遍路していることになる。今回は善通寺までお参りし、明日帰京だそうである。後で写真を整理していたら、石段を上る彼女らの白衣の背中には「鶴亀」のご朱印が・・・。仙遊寺のご住職が朝の法話で、東京の方は上品だと言われたが、彼女らのファッションセンスもなかなかのものがある。

 

外観は四角いビルの神恵院本堂、

中に入れば白木とのモダンな造り

 石段を上がり、神恵院と観音寺が同一境内で隣り合うように建っている。広々とした境内の中央に根を張る樹齢1000年以上の楠の大木がある。69番の本堂は、本瓦葺きの寄棟造で重文、室町時代初期の建築とされるが、68番の本堂は、平成14年に完成した鉄筋コンクリート造りで、外観は四角いビルで、内部に入って階段を上がれば、コンクリートと白木を組み合わせたモダンな造りとなっている。

 

楠の大木の前に朱色の観音寺大師堂

緑を背景に朱色が鮮やかな観音寺本堂

そもそも神恵院と観音寺は、琴弾山中腹の同じ境内にあり、琴弾八幡宮の別当、神宮寺として創建された。もともとの第68番札所は琴弾八幡宮で、明治政府の神仏分離令で八幡宮に安置の阿弥陀如来は観音寺の境内に移遷され、琴弾八幡宮と神恵院に分離し、それぞれ独立して神恵院観音寺と同居した形となり、一つの山に、二つの霊場があるという不思議な現象が生まれた。

 仁王門以外にも納経所と鐘楼が共通。二札所の納経が一緒にできるという有難い札所ですが、納経所も同じで、同じ人が書いて、2札所分の納経料を納めるとなると、得したのか損したのか変な気持ちになる方もいらっしゃるようです。

 

四隅に龍を配した雲海模様の彫刻がみごとな鐘楼。二札所共通・・・

天恢も500円でどうかと提案したい気持ちになる。

さてさて、ここの見所は? 

二札所共通の精巧な彫刻が目を引く鐘楼。四隅に龍を配した雲海模様の彫刻がみごと。横柱の間には小さな天邪鬼の彫り物があり、屋根を両手で支えているように見える。釣鐘の真下から見上げると、周りのさざ波模様と裏天井の模様も繊細で、日本の職人芸の粋を見る思いがする鐘楼である。 

そして、ご利益は? 

 

銭形砂絵を見たさに、ここまでやって来ました。もう、これからお金には困らない。

観音寺市に行ったら、ぜひ訪れてみたい必見スポットが「銭形砂絵」だ。参拝が終わったら境内のすぐ裏手に上る。観光協会の説明によると、「有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えます。一般には、寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、他に類を見ないものといえます。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなると伝えられ、多くの人がこの地を訪れています。」とある。この砂絵が風化せずに残っているのは、観音寺市の象徴として、地域の人々によって大切に守られてきたためです。私もこの「銭形砂絵」を見て以来、不思議とお金に不自由しなくなったような気がする。信じるあなたは救われる!お金に不自由されている方にぜひお勧めする。

 

「銭形砂絵」を見て、琴弾公園からJR観音寺駅へと向かったが、札所と違うところから出ようと、あせって道に迷ってしまった。そのお陰で、昔ながらの古い景観を留める、観音寺市の街並みをじっくりと散策できた。JR観音寺駅から予讃線で「みの」駅へ。乗車中、近くで本山寺の五重塔が見えた。みの駅で、明日の朝食をスーパーで買い物をして、体力的にはクタクタの状態なのでタクシーで、本日の宿である「ふれあいパークみの」へ。 ここは、第三セクター経営の温泉施設で、疲れを癒すには良いところであるが、お遍路同士のふれあいには全く期待できない宿である。 こうして、「涅槃の道場」の初日が終わった。涅槃とはすべての煩悩から解き放たれ、悟りの境地に入ることを意味すると同時に、死ぬことも意味する。食欲不振、足痛、睡眠不足・・・。結願を目指して、ここは頑張るしかない

 

                    

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)