天恢の霊感遍路日記 (松山〜結願編)

 

3回・4日目  60番:横峰寺/65番:三角寺  2009527(水)       

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

6:45

栄屋旅館 

コンビニ7:50 てんとうむし8:50 湯浪休憩所9:20

10:3010:50

60番:横峰寺

仁王門 参道沿いの石仏・鳥居群 大師像 本堂 石仙菩薩像 星ガ森

 

 

横峰寺登山バス11:00→横峰登山口 11:25 

 

 

横峰登山口発 12:29→伊予西条着 12:56

 

 

JR 伊予西条発 13:25→伊予三島着13:50

15:3016:00

65番:三角寺

山門の鐘楼を撞く 延命地蔵尊 本堂 三角の池 一茶の句碑

 

 

タクシー移動+歩き2.0K:30分 境目トンネル出口から歩く

 

 

民宿岡田 

 

お世話になった栄屋さんの女将さんのお見送。また来る日までお元気で!・

645分に、栄屋旅館のお母さんのお見送りで勇んで旅立つ。いつもながらの「南無大師遍照金剛(3回) 有難うございました。」を忘れずに唱えて、お母さんの写真を1枚撮らせていただく。また来る日までお元気で・・・。趣のある丹原町の商店街を抜けて、中山川を渡る。向こうに見える山は石鎚山なのか? お昼のお弁当を買うために大頭のコンビニに寄る。そこに、岩屋寺で見掛けた「自転車で日本一周の青年」もいた。

 

おらが町のランドマーク!

買い物をすませて、横峰の道に入る。鳥居をくぐると、国登録有形文化財(建造物)の石土神社の高灯籠(式年祭記念燈)があった。この高灯籠(たかとうろう)は、昭和6(1931)年の神社式年祭にあたり造られたそうであるが、昔は登山道の燈明、現在は電灯にかわり「石土神社の高灯籠」として毎夜点灯されているそうだ。いわば、おらが町のランドマークである。末広がりの約9.5m高,下部直径約1.5mの構造物で,頂部にコンクリートでかたどった宝珠・笠・四面開放の火袋等を頂く。お遍路にとっても、いつまでもこの場所にあって欲しいランドマークである。松山自動車道の高架下をくぐり、大郷の集落を過ぎ、妙之谷川に沿って徐々に上っていく。

 

残念、「てんとうむし」は定休日・・・

2004年の赤裸々な台風被害の爪痕

森の喫茶「てんとうむし」は本日定休日、小さな湯浪の集落を抜ければ家並みは途絶える。東屋とトイレのある湯浪休憩所があって、車もここまでである。

ここから横峰寺まで2.2km、本格的な登山で道も一気に急勾配、景色まで一変した。2004年の台風被害によって遍路道は現在修復中である。胸突き八丁の連続で。息せき切って、「ハァハァ」息を弾ませて、厳しい山道を登っていると、後ろから「自転車で日本一周の青年」にあっという間に追い抜かれてしまった。こうなったら年配者は頻繁に休憩をとりながら、一歩一歩進んでいくしかない。休憩所から1時間ちょっとで、いきなり山門が姿を現した。

 

60番 横峰寺

 

標高750mの地点に建つ横峰寺、古来、山岳信仰が盛んだった深山の霊場は、森閑として霊気が漂う。かつての神仏習合の名残も留めている。

 

やっと辿り着いた山門の向こうに車が

工事中で納経所も兼ねていた本堂

本堂から大師堂へ向かう参道・・・

 

そもそも横峰寺は、修験僧の祖とされる役行者小角が石鎚山の遙拝所である星ガ森で修行中、蔵王権現が現れ、その尊像をしゃくなげの木に刻んで安置したのが始まりとされる。のちに、行基が大日如来を刻み、その胎内に小角が刻んだ尊像を納め、本尊として堂宇に祀った。その後、弘法大師がこの寺に留まり、厄除け星供の法を修め、諸堂を整えて霊場としたといわれる。

 

自転車で日本一周の青年と・頑張れ!

本堂から大師堂へ向かう参道沿いには、数十体の小さな石仏が並んでいる。春は石楠花、秋は彼岸花で彩られるそうである。本堂では広島さんが熱心に般若心経を唱え、大師堂の傍らでは、平成の川端龍子氏がスケッチをされていた。広島さんに昨夜は栄屋さんに泊まったことを伝えたら、「それで良かったんですよ!」と、言ってくれた。以前は宿の対応がけしからんと怒ったときもあったが、今は泊めてさえ貰えれば有難いとの心境になった。運よく?あの「自転車で日本一周の青年」も境内にいたので、一緒に記念写真を撮らせていただいた。ガッチリした大男で、精神力もありそうなので、きっと目標は達成するであろう。今も彼のことを想い出すときがある、その後の消息は・・・。

 

さてさて、ここのご利益は? 寺に祀られている石仙菩薩像は、百日の行をしていた行者で、法力に優れていると評判だった。桓武天皇の脳病を加持祈祷で全快させたことから、後年脳病に霊験ある菩薩として信仰を集めている。脳病って、現代病ともいえるストレス、ノイローゼ、アルコール依存症、躁鬱病などに効能があるそうだ・・・。

それと、境内を出て林道を500mも歩けば奥の院「星ガ森」がある。大人の背丈より小さな鉄の鳥居越の霊峰「石鎚山」を一望・遥拝できる番外霊場である。ほんの少しの汗をかけば、石鎚山と対面できて、参拝のご利益が何倍も倍増できること請け合いである。

 お参りや挨拶をすませて、星ガ森へ行く前に、先に納経をすませることにして、この時、納経所は本堂で、靴を脱いで中に入るのです。通常は本堂で納経することはないのですが、きっと納経所は工事中だったのでしょう。そこでトンデモナイ悲劇が待っていたのです。納経のついでに、横峰登山口までのバスの時刻を尋ねると、係の方が「ちょうど今、団体さんが戻るバスがあるので、連絡するのでそれに乗りなさい。」と、親切気におっしゃるのです。横峰登山口から連絡する西条駅行のバスには1時間以上もあるのですが、先を急ぐ身としては詮無いことです。泣き泣き急いで更に上にある山頂駐車場へ。そこに待っているマイクロバスに乗ると、仙遊寺でご一緒だった東京のご婦人たちと再会して、しばしおしゃべりです。曲りくねった細道を下りて、15分ほどで温泉旅館京屋支店がある駐車場に到着した。

 

あの山は石鎚山とは違う山だそうで、

がっかり・・・。 上の原乗換所

ここの広場は瀬戸内バスや登山バスの乗換所のようで、レストランやトイレやベンチもありました。時間もたっぷりあるので、眼前の黒瀬湖、遠くに石鎚山(と思ったら違っていました)を望み、ゆっくりと昼食をとりました。西条駅行のバスが来る10分前頃、たった一人の乗客を乗せたマイクロバスが下りて来たのです。あの時、この登山口を1229分発と言ったのに! もう、後の祭りですが。事前に登山バスの時刻については上の原乗換所(TEL:0897-59-0151)にも電話で尋ねたんですが、どうもお寺さんに運行権があるようで、7時から17時まで随時運行ということのようです。そしてもう一つ大変なことがあったのです。ここでちょっと話した乗換所の方が、

 

石鎚山の伏流水による西条駅の噴水

「どうしてここにいるの?」と言うのです。こちらは「??」。実は「横峰登山口」バス停はちょっと下った別場所にあったのです。危機一髪でバスに間に合ったことをお大師さんに感謝するしかありません。今日の悲劇?は横峰さん相手ですから泣き寝入りするしかありません。

 伊予西条駅前広場には噴水?があった。石鎚山系を源流とした加茂川の伏流水は「うちぬき」とよばれ、市内の各所で湧き出している。 特急に乗って伊予三島へ

 

伊予「菩提道場」の締めくくりの札所となる第65番札所三角寺は、海の近くにある伊予三島駅から標高500m(へんろ道保存協力会・地図編による)にある札所まで登らねばならない。すでに今日は、難所の横峰寺(750m)にも登っており、ここまで体力の温存に努めてきたことが試される。

 

お墓の前に信念ゆかりの遍路道標が

この石段を上れば境内に・・

市街地を抜けて、標高70mの三島公園を過ぎて、松山自動車道に沿って歩いて行くと「信念ゆかりの遍路道しるべ」がお墓の前にあった。戸川公園の脇を通り過ぎる頃から、道は徐々に上りとなる。旧遍路道に入って、寂しい急な山道を登るとやっと山門前の駐車場に辿り着く。駅を出てから1時間半ほどの正しく登り甲斐のある道のりであった。

 

 

65番 三角寺

 

最後の最後の急勾配の難所の70段余りの自然石を積み上げた石段を上がりきると単層の仁王門に辿り着く。仁王門の中央に吊るされた重さ150貫(約562kg)の梵鐘で、これを撞いて境内に入るのが習わしになっている。参拝客は、罪の汚れを取り去るべく、ここで入り鐘を撞くのである。静かな境内に澄んだ鐘の音が響くと、心が洗われる心地がする。ちなみに「出る鐘(金)はご法度である。

 

梵鐘を撞いて入るのがこの寺の習わし

 ひときわ目を引く重層の本堂・・・

本堂の左手、一段高いところに大師堂

 

そもそも三角寺は、弘法大師が三角形の護摩壇を築いて秘法を修めた霊場で、寺号の「三角」はこれに由来する。仁王門を入ると、境内は南北に長く、格調の高い屋根を持つ重層の構えの本堂がひときわ目を引く。 その右隣の一段高い所に大師堂があり、本堂との間に巨大な延命地蔵の銅像が台座の上に立っている。

さてさて、ここのご利益は? 

兵火ですべての堂宇を焼失したが、難を免れたご本尊は、子安観音・厄除け観音として篤く信仰されている。このことから、妊婦が庫裏でしゃもじをいただき、子授けを祈りながら夫婦仲良く食事をすれば子宝に恵まれ、お産の時に床下に置くと安産できるそうだ。そして、出産後に二本の新しいしゃもじをお礼参りに持ってくるという風習が残っている。

ここの見所は? 本堂前に根を張った樹齢300400年ともいわれる、みごとな山桜の枝を延ばしていて、その傍らに「是でこそ登かひ(甲斐)あり山桜」と詠んだ小林一茶の句碑も立つ。

 

確かに一茶の句の通り、登り甲斐!

一茶がここを訪れたのは、寛政7年(1795228日のことで、陰暦如月は桜の季節、一茶が訪れた時も満開の桜で彩られて華やいだ境内であったと記されている。

伊予「菩提道場」の最後の札所をお参りし、納経をすませる。納経所の係の女性に民宿岡田までのタクシーの手配を頼む。仕事がすめば送ってあげられるのにと言われたが、有難く辞退した。ついでに菩提道場打ち止めの記念写真まで撮っていただいた。

どうやら夕方時の忙しい時間帯のようで、石段下でしばらく待つ。タクシーに乗って感じるのは「早さ」である。半田休憩所を過ぎ、椿堂を過ぎた。境目トンネルを抜けたところでタクシーを降りた。民宿岡田は歩きのお遍路さんばかりなので、タクシーで乗りつけるのは少々気が引けるからである。

 洗たく、お風呂をすませて、楽しい夕食の宴である。肉や魚や山菜料理が振舞われる。食後は、明日の雲辺寺への遍路道の講義を受け、さらに次の札所への道順、遍路宿、食堂などで注意があった。お酒を飲みながら楽しい語らいである。休暇を取って、区切り打ちを重ねながらの女性遍路の方、私の隣の磯子区の方もいらっしゃった。食事部屋の壁には、お父さんとお遍路さんとの記念写真が壁一面に貼ってあった。この宿ならではの会話が弾む。

 

 

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)