天恢の霊感遍路日記 (松山〜結願編)

 

3回・3日目  59番:国分寺64番:前神寺 2009526(火)      

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:45

仙遊寺宿坊 

出発(今治市)

9:309:55

59番:国分寺

七重塔の礎石 握手修行大師 薬師の壺 七福神 唐椿

 

 

JR 伊予桜井発 10:55→石鎚山着 11:32

11:4512:10

64番:前神寺

深山幽谷の趣 本堂(青い銅板屋根) 御滝行場不動尊 道に迷う

13:2013:40

63番:吉祥寺

素朴で端麗な本堂 お迎え大師 くぐり吉祥天 成就石

14:0014:15

62番:宝寿寺

最古の遍路標識 門前の石標 旧本堂 安産観音

14:3515:00

61番:香園寺

大聖堂 金色の大日如来像 百度石 子安大師像 慰霊塔

16:30

 

栄家旅館 

 

まだ明けきれぬ夜明け前、ホトトギスの「テッペンカケタカ」「テッペンカケタカ」の鋭い鳴き声で目を覚ました。生まれて初めてはっきり聴くホトトギスの鳴き声であった。3年目となる四国遍路で宿坊に泊まったのは初めてである。ほとんどの宿泊者が朝のお勤めに参加する。ご住職の法話は午前6時からたっぷり1時間を要した。

 

本堂で朝のお勤めに・・・

法話の内容は、四国では、「熊野古道」に次いでユネスコの世界文化遺産にしようと市民運動が盛り上がっている。ご住職は、その発起人で活動のリーダである。それから、この寺の副住職として採用され、皇居と同じくらいの広さのあるところで、しかも山中なので、何かと苦労された若き修行僧時代のこと。そして、現在はいろいろな人生を背負った修行者たちを受け入れて、一緒に生活することで彼らの復帰・再生への道を体験的に話された。法話が終わって、朝食だが、この宿坊での食事は精進料理だが、それが美味しい。

 

ふり返ると作礼山上の仙遊寺が・・・

ご住職のお話では副菜の野菜・山菜は自家製のものも多いそうである。

法話、朝食、身支度で時間を要し、どんなに急いでも出発は745分になった。モタモタしていたので、私一人が取り残されたようだ。早足で下りて、山門のところでの国分寺への分岐点もすぐに分かった。山をどんどん下りて、真っ直ぐな道を進む。時々、後ろをふり返ると必ず仙遊寺が見えた。頓田川を渡ったところで、大阪さんと広島さん追いついた。

 

 

59番 国分寺

 

風光明媚な、白砂青松の唐子浜に近い唐子山の麓、かつての伊予の国府があった地域に、国分寺は建つ。

そもそも国分寺は、聖武天皇の勅願により、国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽を祈願して一国に一寺建立された国分寺の一つで、行基が開創したと伝えられる。第三世住職智法大師のとき、弘法大師が滞留し、五大明王の画像一幅を書き残して霊場と定めたと伝えられる。

 

幾たびもの災禍を経て建つ本堂・・

右手に宝珠の屋根の大師堂が・・

それにしても全国で70近い国分寺があったが、他国の国分寺の多くが衰退したが、四国の札所となった徳島県の第15番、高知県の第29番、愛媛県の第59番と香川県の第80番の四つの国分寺は、いまも健在で諸堂が整っている。境内は、正面に本堂。右手に大師堂がある。 

 

さてさて、ここのご利益は? 

境内入口の右手に、お目当ての握手大師がある。等身大の修業大師像で、願いを込めて握手すると願いが叶うそうだが、願い事は一つにしてください。あれもこれもはいけません。お大師様も忙しいですから! と、注意書きがある。 この世に生きていれば、あれやこれやとお願いしたい事はたくさんがあるが、お大師様もお忙しいので、確かに一つだけで我慢しなきゃあ!

 

握手だけでも大感激、お願は一つ・・・

境内右奥には可愛い七福神が並んで・

もう一つ、握手大師像の隣には、「薬師のつぼ」が置かれている。黒光りする大きな壺で、希望する体の部分の健康を願い、ご真言を唱えながら撫でると、どんな病気でも治るそうである。「薬壺(やっこ)」となづけられた壺は、病気を治し、悩みを解放する本尊・薬師如来のご利益を説いた縁起の壺である。

おまけに、境内右奥にある可愛い七福神。以前は揃いの赤い前掛けをしていたという。それを持って帰れば願いが叶うという言い伝えが広まり、願いが叶ったら新しい前掛けを供えに来るようになった、とか。今朝は前掛けのない七福神が並んでいらっしゃる。大変なご時世なので願い事はすぐには叶わないとみえる。

 

f44a-PA.jpg

駅にツバメの巣、親鳥がせっせと

 思い出の壬生川駅で一時停車・・

まだまだ国分寺跡の七重塔の礎石など見たいものがあるが、先を急がねばならない。広島さんは歩き遍路であるが、一駅だけ乗って時間と体調を整えるそうで、伊予桜井駅へと同行する。2kmほどの距離なので、30分で駅に着いた。のんびりした駅舎で燕の巣があって、親鳥がせっせと餌を運ぶ姿は微笑ましい。広島さんは伊予三芳で下車した。途中の壬生川駅で列車が時間待ちでかなり停車していた。 かつての周桑郡壬生川町は、勤務先での大先輩の故郷で、私の学生時代のガールフレンドの故郷でもあった。JR石鎚山駅で下車して、石鎚神社の鳥居を過ぎて、右折すれば青い銅板葺きの屋根の堂宇が見えてくる。

 

64番 前神寺

 

この札所は、奈良時代から日本有数の修行場であり、江戸時代には霊峰石鎚山の別当寺として、石鎚権現信仰の中核となっていた。毎年71日からの「山開き」には、前神寺から石鎚山の山頂に登る道筋は、白衣に身を固めた信者で埋め尽くされるそうである。

 

下車して、石鎚神社の赤い鳥居が・・・

静寂な境内に凛と佇む入母屋造の本堂

山門を入るとすぐに宝形造の大師堂・・

 

そもそも前神寺は、元来、石鎚山中腹にあった寺で、奈良時代初期に、役行者小角が開基したと伝えられる。小角が、石鎚山頂で修錬中に現れた石鉄蔵王権現を祀ったのが始まりという。その後、桓武天皇が病気平癒を祈念し、七堂伽藍を建立し、勅願寺と定めて金色院前神寺とした。この地に移されたのは明治初頭の神仏分離令後のことである。

 

岩肌に張り付けばご利約

境内は奥に長く延びており、山門から入ると、納経所の先に宝形造の大師堂。浄土橋を渡って石段を上がって進むと、まさに深山幽谷の静寂な境内に凛と佇む入母屋造の本堂に着く。

さてさて、ここのご利益は? 

かつては滝行が行われ、水が湧き出して流れる岩場であるが、岩場に彫られた「御滝行場不動尊」の怖そうな石像ある。この黒光りするお不動さんの周りに1円玉がキラキラ張り付いている。硬貨を投げて岩肌に張り付けば、「福」が舞い込むといわれているが、岩肌に張り付けるのは至難の技。ときには手で張り付けている御仁もいらっしゃるが、これは禁じ手で到底ご利益は望めそうもない。

 

 もう一つ、毎月20日に権現様縁日があって、3体の小さな蔵王権現が開帳される。身体の悪い部分や痛い箇所の加持を行者に頼み、平癒を祈願するそうである。

 

坂村臣民氏の念ずれば花開くの碑

道に迷って大きな民家に出くわした

納経をすませて、逆打ちで第63番札所吉祥寺を目指すことになる。ふと、傍らに「念ずれば花ひらく」の詩で知られる詩人、坂村臣民氏の碑が見えた。この「念ずれば花ひらく」は、このあと香園寺でも見ることになる。

 県道に沿った旧遍路道であるが、伊予氷見駅付近で道に迷って、古い大きな民家に出くわして、思わず見惚れてしまった。四国は昔からお金持ちが多いとつくづく思う。私も地方の田舎育ちだが屋敷の規模が違うのである。ここから遍路道に戻り、スーパーでお昼を買って、歩いて進むと、国道のはす向かいに、ひときわ大きな楠の緑が目立つ吉祥寺が見えた。

 

63番 吉祥寺

 

山門は城門のような重厚な構えを見せているが、門前の2頭の象さんが可愛い。門柱には「四国唯一体 毘沙門天王鎮座」の文字がきざまれている。境内に入ると、素朴で端麗な佇まいの本堂、その左手に大師堂がある。

 

門前の2頭の可愛いゾウさんが出迎え

 素朴で端麗な佇まいの本堂・・・

大楠の緑葉がまぶしい大師堂・・・

 

そもそも吉祥寺は、弘法大師の開基と伝えられている。弘法大師がこの近くで、光を放っている檜を見つけた。霊感を感じた大師は、その檜に本尊の毘沙門天と脇仏の吉祥天、善尼師童子の三尊像を刻んで安置し、霊場に定めたという。また、寺には寺宝とされるマリア観音が所蔵されている。白磁の像で、像高30cm。子を連れ、慈愛に満ちた表情といわれるが、秘仏で公開されていない。元は、長宗我部元親がイスパニア船の船長から貰い受けたもの。元親の家臣が秘蔵していたが、家に不幸が続いたので、寺に預けられたと伝えられている。

 

あなたもチャレンジ、金剛杖が成就石の丸い穴に通ったら、願が叶う・・・

お参りをすませ、納経をすませて、お昼時なので、本堂の脇にあるベンチに座り、昼食のジュースとサンドをいただき、ゆっくりと休憩した。

さてさて、ここのご利益は? 

ぜひ「運試し」にチャレンジしてもらいたいのが、石鎚山麓の滝壺にあったという成就石。高さ1mはどの下部に丸い穴があいている。本堂の前から目をつぶって願い事を念じながら成就石に近づき、金剛杖を直径3040cmほどの成就石の穴へ。穴に通ったら願いが叶うといわれている。

 

くぐるなら、くぐり吉祥天女

目を閉じて、周りの「右」「もう少し左」などの声援があっても、本堂からの距離からして、成就は至難の業だが、だからこそ、やる価値があるのだ。

もう一つ、「皆さんご苦労様です 私も毎日修業しています」とあるお迎え大師像の隣が、「くぐり吉祥天女」である。この札所のご本尊・毘沙門天の妃が吉祥天であることから、この像の下の台座の部分をくぐれば、福を呼ぶご利益があるとされるのもなかなか説得力がある。

 参拝をすませて、次の札所に向かう。逆打ちであるが国道11号に沿って西に1.5km進み、北へ回り込むように路地に入ると、そこは宝寿寺の境内である。

 

 

 

62番 宝寿寺

門前左手に古い4基の道標が・・・

「一国一宮別当宝寿寺」の門柱が・・・

特徴のある宝珠の屋根の本堂・・・

 

境内の入口には、「一国一宮別当宝寿寺」と刻まれた古い石柱が、門前左手に残る古い4基の道標。香園寺や吉祥寺、第60番札所の横峰寺への道のりや方角が示されている。ここから入ると右手前から大師堂とひときわ特徴のある宝珠の屋根の本堂が建つ。正面奥の旧本堂は、長年の風雨で傷みが激しく立ち入り禁止となっている。

 

宝寿寺の屋根の宝珠は寺のシンボル

そもそも宝寿寺は、聖武天皇の勅願により、伊予国一宮神社が造営されたが、宝寿寺は、その別当寺として創建され、当初は金剛宝寺と号していたという。その後、弘法大師が四国霊場開創の途上、この地を訪れた際、聖武天皇の后である光明皇后の姿を模して、本尊の十一面観世音菩薩を刻んだものと伝えられる。その時、寺号を宝寿寺に改められたという。

 

優しい素朴な観音菩薩像

さてさて、ここのご利益は? 

宝寿寺は「安産の観音様」として知られている。大師が霊場と定めた頃、難産に苦しむ国司夫人に、弘法大師が境内の玉の井の水を加持して与えたところ、無事に男の子を出産したという伝説が残り、以来、本尊は安産の神様として信仰されている。大師堂の手前には、微笑みをたたえた観音菩薩の像が立つ。足元の石碑には「一切女人」「国家安穏」「諸願成就」に加えて「安産守護」と刻まれている。「子安大師」とも称される同じ町内(西条市小松町)の第61番香園寺も安産に霊験あることで世に知られているが、この優しい・素朴な観音菩薩像がある限り、これからも信仰を集めるであろう。

 早々に参拝をすませて、ここから目と鼻の先である今日最後の札所・香園寺へ急ぐこととした。

 

61番 香園寺

 

閑静な境内に巨大な鉄筋コンクリートの建物が「褐色の大聖堂」と呼ばれる本堂。これまでの札所とは趣を異にした、現代感覚の寺である。

 

真っ白の鐘楼も他寺とちょっと違う・・

 こんなお寺もあるのか? の本堂

黄金色の輝きを放つ大日如来像・・・

 

そもそも香園寺は、父、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子の創建といわれる。その折には、黄金の衣をまとった白髪の翁が飛来し、本尊の大日如来を安置したと伝えられる。弘法大師が訪れたとき、この寺の近くで難産で苦しんでいた一人旅の女性に出会ったという。大師が加治をすると、女性は無事に男の子を出産した。この時、大師は、寺の本尊の胎内に、唐より持ち帰った大日如来の金像を納め、栴檀の香を焚き護摩秘法を修したという。香園寺が、山号を栴檀山と号し、本尊である大日如来の脇仏として「子安大師」と呼ばれる大師像が配されているのは、こうした言い伝えによる。

お参りするために左右にある階段で上がると、2階に本堂と大師堂がある。その内部は柱一本もなく、広い空間に700以上の席が設けられ、座ってお参りすることができる。それ以上にアピールするのが、大聖堂の真ん中に、黄金色の輝きを放つ光々しい大きい大日如来が鎮座していることである。この大聖堂に関して、お遍路さんからも賛否両論があるようだが、ご住職が国内外を行脚して「子安講」を広め、全国規模で広く信仰を集めた結果である。

 

f44-santouka.jpg

ご本尊より人気を集めている安産の「子安大師像」・・・

さてさて、ここのご利益は? 

構内の一隅にある子安大師堂。堂内には等身大の立像で、ゴザを背負い、微笑みをたえ、左手で赤ん坊を抱いた子安大師像がある。本尊の大日如来より多くの信仰が集まっているとか。家内の親しい知人の出産を控えているので、私も安産祈願を子安大師像に熱心にお参りした。納経所では安産利益にあやかってお守りや札などいろいろな可愛い「安産グッズ」が売られていて、お土産に私も購入した。納経所で頂く「おすがた」も、もれなく「子安大師」がもう一枚ついてくる。

その他、横峰寺への参拝者で利用される大宿坊、山頭火の句碑、苔むした太平洋戦争犠牲者の慰霊塔など見どころもたくさんある。

 

3時になったので、札所へ急ぐことにした。本日の宿は、当初の予定通りに栄屋旅館に予約を入れておいた。香園寺を出て、ほどなく」国道11号を右折して、田畑の広がる田舎道で、中山川、崩口川を渡って、西条市西署を右折して、県道48号を進めば丹原町の町中で、コンビニに寄って、そして丹原高校の近くに栄屋旅館であるが、ここまで結構な道のりである。

私が最後の宿泊者のようで、お風呂は一番後になる。悪いことに両足の親指と小指にマメができて、破れて、血だらけになって、当座の応急処置をするために、自転車を借りて薬局へ急いだ。栄屋さんのお母さんと懇意という薬局のママさんに大小のバンドエイドを選んでいただく。それにしても自転車での移動は、早くて、楽なので、緊急時には助かる。栄屋さんでは、洗濯物はお接待でやってくれたり、明日の横峰寺には参拝に不必要な荷物は、次の宿泊先まで無料で送るサービスまでもあって、至れり尽くせりの宿であった。札所のスケッチをしながら遍路される、現代の川端龍子さんも同宿されていたが、明日は名うての「遍路ころがし」の難所・横峰寺である。ほとんど交流がないまま終わってしまったのも、まっ、仕方がないか! 

 

 

考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)