天恢の霊感遍路日記 (土佐〜松山編)
今日の日程は厳しいものがある。 歩けば6日間は要するところを、たったの1日で札所2ヵ所を周りきるのだ。ホテルでは須崎駅行の第2便に間に合うようにマイクロバスを用意してくれるそうだが、長旅になるので早めに出発することにした。タクシーを前日に予約しておき、7時に迎えに来てもらった。宇佐大橋を渡って、宇佐出張所から須崎駅前までの1時間近くの乗車である。バスは波静かな浦ノ内湾に沿って走る。歩きお遍路の多くは、47号の横浪スカイラインを進むようであるが、こちらもリアス式海岸なので変化に富んだ景色が広がる。
途中から浦ノ内小学校へ通学する生徒さんが乗車してきた。小学校の前がバス停で先生方が生徒さんを迎える。 地方の小中学校では統合化が進められているので遠距離通学は大変であろう。バスは1時間ほどで須崎駅に到着した。須崎駅は繁華街からも離れているようで、港も見えない静かな場所である。ここで土讃線の特急に乗って37番岩本寺がある窪川へと向かう。 特急列車は25分で土讃線終着駅である窪川に到着。 岩本寺は駅から500mのところで、四万十町役場の隣にある。 山門のある脇道に気付かず、ぐるっと回って裏から入ってしまった。
第37番 岩本寺 そもそも岩本寺は、聖武天皇の勅願により行基が七難即滅・七福即生を祈念し七福寺を建立したのが始まりという。のちに弘法大師が、さらに五社五ヵ寺を建立した。先に行基が建立した七ヵ寺と併せ、これを仁井田五社十二福寺と称した。それぞれに本地仏を安置して星供秘法を修めて四国霊場札所に定めた。この五仏が岩本寺の本尊である。
この寺は、知る人は知る、大師ゆかりの七不思議の寺である。すなわち子安桜、戸建てずの庄屋、筆草、尻なし貝、三度栗、口なし蛭、桜貝である。 また、ご本尊が阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩と5体もある賑やかな札所としても有名である。そのため五つの真言を唱える熱心なお遍路もいらっしゃるとのことである。 さてさて、ここの見所は?
もっとも岩本寺を代表する見処は、本堂内陣の格天井に描かれている天井画は有名である。 全国から公募した575枚の絵がはめられている。画風や手法、作者も子どもからお年寄りまでさまざまだそうである。いろいろな絵がお遍路たちの心を和ませてくれることは間違いないが、中でもマリリンモンローの似顔絵は超有名で、私もモンローに笑顔を見るのを楽しみにこの寺にやって来た一人である。これから何年後、何十年後、いつの世でも、お遍路は、和やかな気持ちでこの華やかな天井画を見上げてほしいものである。 他に仁王門の傍らには、霊場では珍しい木造円形のお堂「歓喜天」で、商売繁盛・夫婦和合のご利益があるとされる。いろいろ見処の多い札所である。 今日は移動距離200kmの長旅なので、もう少し居たいが先を急がねばならない。泣き泣き?愛しのモンローともサヨナラしなければならないのだ。男はつらいが、山門を出て窪川駅へ向かった。土讃線の終着駅窪川は、土佐くろしお鉄道・中村、宿毛方面の始発駅でもある。 国鉄時代と違って、第三セクターとJRは別々の駅舎を構えていた。窪川は、かつて窪川町であったが平成の大合併で四万十町となった。また中村駅のある中村市も四万十市に最近市名変更している。四万十町と四万十市じゃ、高知の皆さんも旅行者も紛らわしいので困ると思うんですが、むしろ最後の清流「四万十川」のネームバリューに注目すべきかも・・・。 そんなことを考えていたら、岡山発の特急南風1号がホームに入ってきた。 清潔で快適な列車である。 車窓から土佐の山々や美しい海をしばし見入っていたら、30分余りで中村駅に到着した。ここで西南交通バスに乗り換え、四国最南端にある足摺岬の金剛福寺に向かうことになる。そろそろお昼で、待ち時間もあることなので、駅でお弁当を買い込みバス停でいただくことにした。
足摺岬行のバスには、中村市内の高校へ通う生徒であろう高校生がかなり乗車した。バスはすぐに、かの最後の清流「四万十川」を渡り、堤防沿いに南下した。さすが河口付近でもあるので大河である。山道に入り長いトンネルを抜けて、真念庵辺りの山道を下ると海岸線に出る。遍路宿で有名な久百々も静かな波際にあった。美しい大岐海岸を通り過ぎ、以布利港から土佐清水へと走る。
土佐清水バスセンターでしばしの休憩であるが、トイレ以外にはどこにも行けそうもない。土佐清水港は深い湾となっているので対岸から市内を見ることができる。 バスは新道ではなく、旧道を走るので細い、曲がりくねった道をゆっくりと走ることになる。中村駅を出て、2時間近く掛けてやっと足摺岬へ。バス停からは札所は近距離であるが、山門が少し奥まったところにあるため、見落として少し先まで歩いてしまった。境内の脇を通っているようで、おかしいと気がつき慌てて戻れば、そこが金剛福寺の仁王門であった。 第38番 金剛福寺第38番札所金剛福寺は、四国の最南端・足摺岬に建つ。観音さまの浄土に一番近い寺とされ、四国の大霊場として、平安時代の終りには都にも聞こえるほどの信仰を集めている。山門を入り石段を上がると正面奥に本堂があって、左手に真新しい大師堂、弁天堂、愛染堂、鐘楼等があり、右手には源氏一門の寄進による多宝塔があって、広い境内にゆったりと整然と配置されている。
そもそも金剛福寺は、嵯峨天皇より補陀洛東門(ふだらくとうもん)の勅額を賜った弘法大師が、足摺岬を訪れ千手観音を感得し、自ら刻んだ三面千手観世音菩薩を安置して開基した。 さてさて、ここの見所は? 本堂左の手前に、こちらを睨むように「大師亀」と名付けられた石製の大亀がいるが、この大亀の頭をなでて念ずれば幸運が来るとかで、平成9年に登場したというからレビュウー間もない亀さんである。金剛福寺と亀の関係は、大師が亀を呼び、海上の不動岩に渡って修行したとの伝説による。大師七不思議(亀石、竜燈の松、ゆるぎ石、刀の石、竜の駒、名号の岩、亀呼び場)が寺の内外にある。
せっかく四国の南端・足摺岬まで来たのだから、本来ならゆっくり岬観光をしたい。それを許さないのが今日の日程である。 これから中村まで戻らねばならない。早々に札所を後に足摺岬へ。ジョン万次郎像のある展望台で、断崖に立つ白い灯台のある足摺岬を確認した 空はだんだん雲行きが怪しくなって雨が降り出しそうな天気となった。いつの日か再びこの地に来ることができますように、それも歩き遍路で・・・。 中村駅行のバスに乗って、また2時間近くかけて来た道を戻る。大粒の雨が落ちてきて、やがて本降りとなった。今日の宿は駅前の中村第一ホテルである。 かつて中村山内氏の城下町として栄えた中村(現四万十市)は、「土佐の小京都」と呼ばれ、町並みは碁盤目状になっている。 清流四万十川と併せて観光に力を入れているようだが、駅前は寂しく、おまけにこの雨である、観光どころではなかった。 参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社) |
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