天恢の霊感遍路日記 (土佐〜松山編)

 

2回・4日目 35番:清瀧寺36番:青龍寺   2008527日(火)

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

6:15

 

よし幸 088-894-3940 春野町仁ノ3698

6:45

種間寺

道を間違えて、アジサイ街道を往く

9:4510:15

35番:清瀧寺

八丁坂 薬師如来像 仁王門天井の龍 道に迷う

14:2515:00

36番:青龍寺

朝青龍がトレーニングした長い石段 伽藍配置 仁王門屋根の龍

 

36番奥の院

 

15:30

 

国民宿舎土佐

 

朝、「よし幸」の親父さんに種間寺まで、車で送って貰った。もう一度「子育て観音」様をお参りする。 7時前だったので納経を待つお遍路さんに挨拶をする。

種間寺を出発して、すぐに「清瀧寺」という大きな道路標識があって、私も釣られて右折してしまった。 旧春野町役場、春野高校を経て、仁淀川大橋を渡る道で、279号線の遍路道よりやや遠回りになる。春野町は、今は高知市に合併吸収されたが、昔から高知を代表する農業地帯で、米作りやビニールハウスでの野菜作りなど盛んで「土佐のデンマーク」とも呼ばれている。 そして、この地の開発にも、かの野中兼山が大きく関わっていた。兼山は、春野町の西の境にある四国第三の大河、仁淀川から水路を引き、新田を開発した。用水路が一帯に張り巡らされ、この豊かな農業を支えているのである。

 

道を間違えて春野町のあじさい街道へ

 花の盛りはこれからであるが・・・

用水路に沿ってあじさいの花が続く・・

 

実は、道を間違えたために、運よく春野町の「あじさい街道」を歩くことになった。 花の盛りはこれからであるが、色とりどりのアジサイが用水路の水面に美しく映えていた。この用水路も兼山が築いたのであろう。土佐藩家老として土木工事、新田開発、様々な産業の活性化を図り、土佐藩の財政に貢献した兼山は、後に失脚し、失意の内に急死。 遺された家族への報復は過酷で、男系が絶えるまで一族への幽閉は続くのである・・・。 彼についての興味は尽きない・・・。 

「あじさい街道」筋にある春野高校への登校時間と重なって、生徒の多くは自転車通学のようである。 登校の人波は仁淀川大橋近くまで続いた。 徳島の吉野川を越えた時は川中島を通ったので大河という感じがしなかったが、堤防を含めた仁淀川を渡るにはかなりの時間を要する。

 

これが四国の大河・仁淀川である。

お接待の83歳のお婆さんの車を見送る・・

橋を渡り切ったところで、軽自動車に乗った83歳のお婆さんに、車の窓から封筒に入った500円硬貨をお接待でいただくことになった。すっかり恐縮しながらお礼を言って、お礼の「納め札」をお渡ししたら、「最近は納め札をくれる人も少なくて・・・」。 運転台を見ると数枚の御影札ばかりであった。お婆さんは、いつも「500円のお接待」を続けられているのだ・・・。感謝しながら車を見送った。いつまでも長生きしてくださいね!

 

樹木の生い茂るなか、堂々たる山門が・・

昔のお遍路さんと違って、現代の歩き遍路さんは道に迷うことが頻繁に発生する。地方でも沢山の道路が新設されて、筋や角を一つ間違えればとんでもないところへ出てしまうのである。 今日も、三嶋神社で右折し損なって、大回りしてしまった。清瀧寺は、山の中腹、標高150mのところにあって、曲がりくねった八丁坂の急坂を上がると、樹木が鬱蒼と茂るなか、堂々たる佇まいを見せる仁王門が現れる。 

 

 

 

 

35番 清瀧寺

唐破風付きの本堂の前に薬師如来立像・・

「高岡のお大師さん」の大師堂が・・・

 

境内にはひときわ目を引く銅製の大きな薬師如来立像がある。多くの人の目にふれてもらえるようにと大きく作られたそうで、地元の製紙業者の寄進によるものである。高さが15mあって、真言を唱えながら胎内の108段を「戒壇めぐり」をすることで、厄除けのご利益にあずかろうという参拝者が、後を絶たない。また 「高岡のお大師さん」とも呼ばれ、安産祈願に訪れる人も多い。

そもそも清瀧寺は、行基が薬師如来を刻んで本尊とし、「景山密院釈本寺」と称して開基した。弘法大師が寺の北方へ300メートルの山中で修行し、7日目の満願の日に、五穀豊穣を祈願。金剛杖で大地を突くと、清水が涌き出て滝となり、鏡のような池ができたと伝えられる。「医王山清滝寺鏡池院」に改め、同時に四国霊場札所に定めた。

本堂の右奥には、清水が落下する滝があって、縁起に伝えられる「清滝」であるが、これは残念ながら見損なってしまった。 納経を済ませて、展望所から眺望が広がる高岡の街並みや田園風景、遠くはこれから向かう宇佐の海まで見ることができる。今日は天気もよく、見える景色はなかなかの絶景である。

 

どこから見ても龍の眼と視線が合う・・・

さてさて、ここの見所は?

仁王門の天井に、地元の画家・久保南窓が描いた「どこから見ても、龍の眼と視線が合う不思議なダイナミックな龍の天井画である。天恢も参拝を終えて仁王門を出る時、思い出して、しばし見入って、撮影した 眺望も含めて、なかなか見所もご利益も多い札所である。

 

仁王門を出てすぐに、野辺の石仏が見送ってくれた・・

次の札所へ、今度は慎重に遍路道を選びながら高岡の町を歩いた。 ATM利用で、スーパに入って、出たところで方向音痴となって、親切に教えてくれる方もあったが、39号線を進むところ、遠回りの282号線に入ってしまった。 戻るのも面倒なので、この道も宇佐の方へ出るので構わず歩くことにした。 お陰で「しおり手作り弁当」は食べ損なうし、旧遍路道でも有名な塚地峠は超えることができなくなった。こちらの道は平たんで歩き易いのがあり難い。新居小学校前を通り過ぎて土佐湾にぶつかって、宇佐漁港方面に歩くと、荻岬にある海賊料理で有名な「萩の茶屋」である。 ちょうど昼時で、カンカン照りで喉もカラカラ お大師様には申し訳ないのですが、お店の方に訳を言ってビールを注文した。 お店の方から「道を間違えたからこそ、ここに来れたんです!」って言われ、特別冷えた美味しいビールをゴクンゴクン一気に飲み干した

 

遠くに宇佐大橋がはっきりと・・・

宇佐くろしお公園のクジラの親子像・・

宇佐大橋から昔の渡し船の名残が・・

 

快い?食事を終えて、また歩き始める。塚地トンネルからの39号線と交差すれば、

 

お揃いの赤いよだれかけをした六地蔵

宇佐漁港である。宇佐くろしお公園にはクジラの親子像、そして浦ノ内湾を東西にまたぐ宇佐大橋が見えてきた。橋長645m、海面からの高さもかなりある。1983年に竣工する前までは、青龍寺参りのお遍路たちは、小さな渡し船でのんびり湾を渡って詣でていた。今も、その名残が橋の上から見ることができる。渡りきって、横浪黒潮ラインと呼ばれる県道47号の美しい海岸線をしばらく歩く。お揃いの赤いよだれかけをした六地蔵、88ヵ所ゆかりの石仏群が続いて、そして36番札所青龍寺が現れた。

 

 

 

36番 青龍寺

 

仁王門から本堂までは百七十段の急な石段が続く。ようやくたどり着いた境内には本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並んでいるが、これは伽藍配置といい、唐の青龍寺を模している。本堂には本尊の波切不動明王と共に、寄木造りの愛染明王像も安置されている。愛染明王は家庭円満、縁結びの信仰を集めている。鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。

そもそも青龍寺は、空海が唐の長安に留学し、そこで青龍寺の恵果和尚に真言密教の奥義を伝授された。大師は後継者として真言第八祖となり、その報恩の意で、日本にも青龍寺を建立したいと考え一宇を建立しようと誓願した。有縁の霊地を求め唐から独鈷杵を投げると、紫雲に包まれて東方に飛び去った。帰朝した後、四国巡錫のとき、当地の山上の老松に独鈷杵が留まっているのを見て、大師は嵯峨天皇に奉聞した後に、 そこに堂宇を建立して、不動明王の石像を安置した。

 

若き朝青龍の修行の石段・・・

唐の青龍寺を模して伽藍配置が、本堂

大師堂、薬師堂が一直線に・・・

 

さてさて、ここの見所は?

仁王門から本堂までは百七十段の急な石段である。横綱朝青龍が高校時代、連日トレーニングに励んだという急な石段である。この長い石段を前にして、「過去を追うことなかれ。未来を思い煩うなかれ。過去は過ぎ去り、未来はいまだ来たらずなり。ただ今日なすべきことを、心をこめて行うべし。」と釈尊の言葉を説く先達もいらっしゃるそうだ。天恢もこの石段を上り詰めて、本堂に辿り着いた。歩き疲れた足をゆっくり休めるために、ベンチにリュックを下ろしてお参りする。お参りが済んで、三重塔の脇を通る道で下りて、納経を済ませた。 どうも身も心も軽すぎるのと思ったら、本堂前のベンチにリュックを置き忘れているのに気がついて、慌ててあの石段を駆け上がることとなった。 この石段のお陰で朝青龍関の大変さがちょっぴり体験できたかも。

 

履物を脱ぎ、裸足でお参りする奥ノ院・・

 眺望もお風呂も申し分ない国民宿舎土佐

今日の宿である国民宿舎土佐は、青龍寺から600m離れたところの36番奥の院・不動堂の近くである。 険しい山道を上って、奥の院に辿り着いた。ここでは、決まりにのっとり履物を脱ぎ、修業に臨むように裸足でお参りした。 宿の国民宿舎土佐は、居心地の良い、親切で、おまけに眺望もお風呂も良いホテルであった。今朝ほど種間寺で挨拶したお遍路さんと再会できて、明日の日程と宿のことでお世話になった。

 

 

              参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)