天恢の霊感遍路日記 (阿波編)
いよいよ今日で、阿波一国参りの遍路も最終日となった お天気にも恵まれたようである。7時半に山茶花の宿を出発する。同宿の有田氏などは、今日のコースは楽勝とのことでゆっくりの出発のようである。 お世話になったオカミサンに宿の前で写真を撮ってもらう。 「南無大師遍照金剛(3回)有難うございました。」 新野駅に向うが、すぐに輪袈裟を部屋に置き忘れたことに気がついて、慌てて戻ってオカミサンに取って来てもらった。不本意ながらまたまた迷惑をお掛けしてしまった。いつの日か、この宿にはまた戻って来たい。それも、2巡目の遍路が許されるなら、「利益救済」(恵みと救い)を「平等」にとの願いから、「平等寺」と名づけられたこの札所から発願したいものである。 朝で、調子も出ず、新野駅までの約30分の道のりは遠い。どうも時間的にゆとりが無いと身も心も乗ってこない。何とか新野駅に到着したが、列車からはかなりの高校生が降りてきた。地方の列車は高校生の通学が主で、通勤客はあまり見かけない。
由岐駅に到着、今日はここから薬王寺まで歩くことにしている。田舎の駅?にしては、明るく洒落た感じもする。駅舎内にミニ水族館があった。 由岐駅を出発、天気も良くて、昔ながらの遍路道もあって、できるだけ風光明媚な海岸線を歩くことにした。そういえば、遍路に出て、初めての海、それも紺碧の海と青い空である。由岐→田井の浜→木岐→日和佐を経て、途中、主に野宿をしながら歩き遍路する同年輩の方と一緒になった。今日で10日目。野宿遍路の場合一番大変なのは洗濯とお風呂だそうである。それに、遍路道での案内不備と不徹底での被害。二人で行政・県民の散々悪口を言いながらしばらく一緒に歩いた。お遍路さんは二面性を持たざるを得ない。一面はお接待に感謝しつつ、もう一面は遍路のつらさと不満を。
白波の立つ紺碧の海原と青い空、遍路最終日は最高です。ウミガメの産卵地で知られる日和佐町(合併して町名変更)大浜海岸まで来ると遠く薬王寺のシンボル・高さ29mの瑜祇(ゆぎ)塔が見えてくる。 大浜海岸は、ウミガメの産卵地として有名で、国の天然記念物として指定されているとのことである。
第23番 薬王寺この薬王寺は「おやくっさん」の愛称で親しまれ、厄除けの寺として全国的にも有名で、年間の参拝客100万人を超える。
阿波一国の札所を巡って、規模や風格から代表的な札所であることは間違いない。吉川英治の『鳴門秘帳』の舞台になったのも頷ける。男女の厄年にちなみ段数合わせした厄坂があり、まず「女厄坂」が33段、つぎに「男厄坂」が42段、いずれも真直ぐに伸びた石段が、両脇瓦屋根付きの土塀に囲まれて続いている。 そもそも薬王寺は、 聖武天皇の勅願により行基が開基。後に弘法大師が42歳の時、厄除けを祈願し、薬師如来を刻んで本尊としたという。 さてさて、ここの見所とご利益は?
厄除け橋を渡って仁王門をくぐると厄坂がある。厄坂は三つからなっていて、女厄坂は三十三段、男厄坂は四十二段、還暦厄坂は六十一段ある。石段の下には薬師経が一石に一字記されて埋められていて、一段ごとに賽銭を置きながら上がっていくのが習わしとなっている。また、階段を上りきったところの絵馬堂には厄除け臼があり、自分の歳の数だけ厄除けを祈願しながら杵でつき鳴らす。広場には厄除けの小さな鐘があるので、これも自分の年の数だけ打つと厄が鳴り落ちるといわれている。
本堂、大師堂の場所から「還暦厄坂」61段を上れば、薬王寺の象徴的存在である朱と白の鮮やかな瑜祇塔がそびえ立つ。高さ29mもあり、真言宗の経典の一つ、『瑜祇経』の教理を形に表したものといわれる。ここから見る城下町日和佐の町並みや日和佐海岸は格別である。 阿波一国参りを終え、納経所で感慨深く第23番目のご朱印をいただいた。阿波一国参りは、ここ23番札所で終わりだが、夜の徳島発夜行バス発車時刻まではたっぷり時間もある。そこで、接待で有名な牟岐町接待所と、その先にある鯖大師まで行くことに決めた。 日和佐駅を列車で出発して、牟岐駅に着いて、駅前レストランでオムライスを食べる。いつもながら、歩き遍路と違うので、駅から遍路道に入るポイントがわかりにくい。事前に遍路道を教えてもらって歩き始める。 有名な牟岐町接待所を拝見した。お接待は、残念ながら5月末日までで、現在は休業中であるが、やっていても接待所は月曜日定休だそうだ。
旧遍路道に入って、内妻海岸を経て、かつては入り組んだ海岸線に8ヵ所の坂と8ヵ所の浜が連続する難所、八坂八浜を無事に通過できるようにと、大師座像が祀られている「草鞋(わらじ)大師」がある。現在は道路も整備されて、美しい海岸線を難なく歩くことができる。サーフィンが盛んなところである。白波が次から次へと押し寄せていた。初夏の陽光を浴びながら、そう暑くもない天気だったので、遍路最終日として軽快に歩くことができた。ほどなく、鯖を運んでいた馬子と大師にまつわる伝説で名高い「番外霊場鯖大師本坊」に到着した。後で知ることになるが、鯖大師は四国別格二十霊場の一つなので納経所がある。 平日の夕方近くにもなると訪れるお遍路さんも少ない。
区切りの区切りみたいな遍路であるが、阿波のここ地まで来たことを感謝したい。鯖瀬の無人駅で着替えを済ませ、夜行バスが出る徳島駅へ向かった。途中乗換駅の牟岐駅近くでビールとチュウハイを購入して、無事に一国参りできたことを祝って車中での乾杯となった。徳島駅で銀行ATM利用 駅ビルレストランでの夕食は、和風ステーキにビールとした。 お土産はお饅頭525円だけ。高速バスを待っていたら、白装束は着なくても菅傘や金剛杖で、遍路について訊ねられた。やはり関心は費用のようである。 「まぁ、1日1万円位は掛かるでしょう」と答えている。高速バスは定刻に徳島駅を発車して、一路東京を目指すが、やはり眠れるものではない。
早朝、渋谷のマークシティーに無事に到着した。遍路しても決して何かが変わるものではないが、次は土佐一国を参りたいという希望の灯だけは胸の中でくすぶっている。 参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社) |
|