天恢の霊感遍路日記 (阿波編)

 

1回・6日目 20番:鶴林寺〜21番:平等寺  200763(日)

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:10

 

金子や

8:158:35

20番:鶴林寺

仁王門・本堂前の雌雄の鶴像    

9:50

長井橋

 

11:0012:00

21番:大龍寺

山上大伽藍 仁王門 持仏堂龍の天井絵 舎心ヶ嶽 

14:26

大根峠

 

15:2015:50

22番:平等寺

本堂外陣の草花の天井画 水向六地蔵尊 白水の井戸  

15:55

 

山茶花の宿

 

朝食時間は6時半(遅い)ということだったが、実際は640分過ぎだった。 遍路にとって、朝の10分は貴重な時間ということが分からんのか! 何や彼やで手間取って「金子や」の出発は740分になった。 宿の待遇はどうであれ、「南無大師遍照金剛(3回)有難うございました。」と、なる。

 

振り返れば眼下に勝浦川・・・

胸突き八丁、直線的な急坂が続く・・

雨中に浮かぶ仁王門・・・

 

すぐに山道に入り、途中で、雲行きが怪しくなってきた。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ、四国霊場札所で二番目の難所といわれる。鶴林寺への道がなぜ「遍路ころがし」なのか、わかるような気がする。多くの登り道が胸突き八丁、急坂で直線的なのである。九十九折じゃなくて直線なので、お遍路さんには相当堪える道である。急坂を登り切ると、杉やヒノキに囲まれ、深山の霊気を感じさせる仁王門が雨中に浮かび上がった。

 

20番 鶴林寺 

 

この寺は、標高516m、鶴ノ嶽と呼ばれる鶴林寺山の山頂付近に建っている。太龍寺と向かい合う位置にあり、太龍寺は金剛界道場、この鶴林寺は胎蔵界道場とされている。老杉に舞い降りた二羽の鶴にゆかりの寺で、仁王門と本堂前に二対の鶴の像がある。仁王門で迎えてくれるのは、そのうちの一対の木彫りの「お鶴さん」であるが仁王様の「剛」と鶴の「柔」が好対照をなして、仁王様とペアになって鶴林寺を護っている。

 

山門からはいるとおおきな杉木立・・・

関ヶ原の戦いの頃に再建された本堂

雨で、霧にかすむ三重塔・・・

 

仁王門を入ると、小雨に煙る静寂な境内が広がる。杉木立は、「お鶴さん」の縁起を偲ばせるのに十分な年輪を感じさせる。参道を行くと右手に宿坊。右手に護摩堂、大師堂、本坊が並ぶ。護摩堂横の石段を上れば本堂である。ほかに境内には、六体の地蔵菩薩像と大師像が納められた六角地蔵堂、忠霊殿、鎮守堂、鐘楼、三重塔などがあり、また仁王門の仁王像は、運慶の作といわれている。

そもそも鶴林寺は、恒武天皇の勅願により、弘法大師が開基した。大師がこの地で修行中に雌雄の2羽の白鶴が杉の古木に舞い降り、翼を広げて黄金の小さな地蔵菩薩を護っているのを目にした。歓喜した大師は三尺(1メートル)の地蔵尊を刻み、その胎内に降りてきた金色の地蔵菩薩を納め、本尊としたといわれる。

 

さてさて、ここの見所は?

 

シンボルの鶴さん・・・

本堂両脇には、ご本尊や巡礼者を見守るかのように青銅製の「鶴一対」がある。高さ3mの大きな鶴。右は羽を広げ、天に向かって飛び立つような姿。左は、くちばしを閉じて静止。昔から「お鶴さん」とよばれるこの寺のシンボルである。本尊が降臨した杉の木は、現在も本堂の左手にあり、信仰の篤い人は白鶴を見ることができるといわれている。

近年、「鶴は千年、亀は万年」で、第20番鶴林寺の鶴さんと第39番延光寺の赤亀さんがすこぶる人気の的となっている。 どういう風に表現するかというと白衣や笈摺の背中に「鶴」と「亀」のご朱印をいただいて、それをさり気なく着こなすのが流行っているようである。

  ここで再会した有田氏に記念写真を1枚所望する。どうも雨の中でのこと背景がはっきりしないのが残念である。昨夜、有田氏のアドバイスで急きょ平等寺まで打つ計画に変更したために先を急がねばならない。

 

水井橋を渡れば太龍寺への第一歩・・

厳しい、苦しい急坂が続く・・・

鶴林寺の宿坊横の急な階段状の山道を下り、那賀川の畔まで下り、水井(すい)橋を渡る。大龍寺への道も「阿波の三大難所」の「遍路ころがし」である。最初はなだらかな林道だが、山中に入ると険しい登り坂となる。 途中、宿で一緒だった「女丈夫さん」を追い抜いた。小雨が降りしきる中、苦しい歩行の末に、太龍寺の山門に辿り着いた喜びは、また格別なものがある。

 

 

21 太龍寺 

長い参道を登りつめて、山門へ・・・

西の高野山と呼ばれるだけあって・・・

写真左の黒門をくぐると本堂が・・・

 

太龍寺は、標高520mの山中にあって、老杉の大木におおわれ、「西の高野山」と呼ばれるにふさわしい霊気につつまれている。 鐘楼門、本堂、大師堂、弁財天堂、庚申堂、多宝塔、本坊、持仏堂などで、堂々たる「山上の大伽藍」を構え、圧倒されるものがある。

 そもそも太龍寺は、

延暦17(798)に開基された古刹で、山号は舎心ヶ嶽(太龍嶽)の修行にちなみ舎心山と号し、寺号は求持法修行中の大師を守護した大龍(龍神守護)にちなみ太龍寺と名付けられた。縁起は、恒武天皇の勅願により弘法大師が自ら本尊虚空蔵菩薩を刻み本堂に安置し開基したといわれる。

 

持仏堂の廊下の天井画だけは・・・

さてさて、ここの見所は?

納経所の右手に建つ持仏堂の廊下の天井に、明治34年(1901)、高知県安芸市出身の四條派の画家、竹村松嶺が描いた龍画が納められている。その姿は、修行中の大師を守護した大龍を思わせ、この天井は「龍天井」と呼ばれている。天恢も納経を済ませ、隣の持仏堂の廊下の天井に描かれた今にも動き出しそうな、迫力ある龍を拝見した。 これを見ないことには、せっかく太龍寺に来た甲斐がない・・・。

 

梯子を上れば舎心ヶ嶽の修行場が・・・

納経所の傍らでお昼の弁当を食べる頃、雨は本降りになった・・・。 先に有田氏と縦山嬢が連れ立って平等寺に向った。境内に大師修業の場・舎心ヶ嶽があって、ここにも立ち寄った。19歳の青年空海が厳しい修行をした場所で、虚空蔵求聞持法を修めたとされる。虚空蔵菩薩の御真言を一日に二万回、五十日間、100万遍唱え続けると、超人的な記憶力が身につく秘法である。大師は、百日間の修業を重ねても悟りを開けず、谷に身を投げて悟りを得ようとしたと伝わる。修行の岩場まで鉄梯子で登って行けるようになっているが、高所恐怖症の身としては、岩場の大師修業像の後姿を想像するだけで終わってしまった。太龍寺は金剛界道場と呼ばれるだけあって、今でも虚空蔵菩薩の真言を何万回と唱える荒行を修めに修行者が訪れるという。

 

歩き遍路を除くと、大龍寺にはケーブルでの参拝が一番であるが、車の場合は途中までで降ろされて、1キロ以上の山道を歩かされることになる。迷惑な話であるが、マイクロバスも無理な細い車道と遍路道が一緒であるが、車で来る人は少ないようである。何しろすれ違うのもちょっと厳しい道である。やはり、ロープウェイ会社の陰謀か?この道は将来的に発展しそうもない。雨は小雨であるが降りしきっていた。しかし、ポンチョとゴアテックスの靴で、雨中の歩行の方が、軽快で、むしろ爽快な気分で歩いた。途中、うわさの顎鬚君を追い抜いた。 阿瀬比の遍路小屋で休憩・お茶があって、助かった。

 

阿瀬比の遍路小屋ではお茶の接待が・・

大根峠を越えれば平等寺はもうすぐ・・・

そうする内に顎鬚君もやって来た。この雨に打たれて、かなり体力を消耗したようで相当疲れたようだ。登山や山歩きなどと同様で、ポンチョや靴の装備は大事である。顎鬚君に別れを告げて、先に一人で出発した。 低い峠であるが大根峠を越える。 

今日の難所に比べれば低山だけど、登りではだんだん堪えてくるが、いいあんばいにいつしか雨も止んできて、空が幾分明るくなってきた。竹林が続く。ここはタケノコの産地と知られている阿南市南西部である。 雨上がりの、のどかな田舎道を進むうちに22番札所が近くなるのが気配でわかる。こうなると自然に元気が湧いてくる。赤、黄、緑、紫、白の五色の幕がかかる仁王門。仁王さまは2体そろって赤い上半身をさらけだして、「隠さず、包まず」開放感にあふれている。

 

22番 平等寺 

五色の幕がかかる仁王門が・・・

厄除けの男坂を上れば本堂が・・・

 

仁王門をくぐり境内に入る。向かって左に大師堂、正面に42段の「男坂厄除」と本堂。石段上り口の左わきには弘法大師が杖で掘ったと伝わる「鏡の井戸」。井戸の脇から「く」の字に折れた33段の「女坂厄除」もあり、それを上ると不動堂。境内の真ん中に立てば、すべての堂宇が見渡せるほどの小さな札所である。それも井戸や納経所も含めて、主だった堂宇には、五色の幕が張り巡らされているのが平等寺の特徴である。

そもそも平等寺は、弘法大師がこの地で修行中に、大師の母の玉依御前が厄年にあたるため、一心不乱に厄除祈願をしていたところ、空中に五色の雲がたなびき、雲間に金色の梵字が浮かび、見る間に薬師如来の姿になった。大師は感じ入って、100日間の修行ののちに薬師如来像を刻み、伽藍を建立して本尊として安置したという。また、金色の薬師如来像が落とした影の場所を掘ると、乳白色の霊泉が湧き出たという伝説もある。この乳白色の霊水によって、人々が平等に救済されるようにと、寺号を平等寺としたともいわれる。

 

大師堂にも五色の幕が・・・

本堂外陣の格天井に草花の絵が・・

さてさて、ここの見所は?

本堂外陣の格天井には、数多くの草花を描いた天井画が見える。いつの時代に、誰によって描かれたかのか不明である。ただ、この天井画の真下で、本堂に向かって経を唱えるお遍路の姿がマッチする時、遍路情景の最高の場面となる。

 

 

 

そして、ご利益は?

堂まで行く石段の上り口に、万病に効くという「白水の井戸」(鏡とか開運鏡の井戸とも呼ばれている)があり、日照りでも枯れることなく、今なお水がこんこんと湧き出ている。金色の薬師如来像が落とした影の場所を掘ると、乳白色の霊泉が湧き出た井戸である。その時は乳白色の水だったそうだが、現在では無色透明になっている。万病に効くという霊泉信仰は現在も生きている。お参りの人から崇められ、汲んで帰る人も多いという。

 

今日は日曜日なので、バスによる団体遍路さんが多い。団体さんはどっと来て、潮が引くようにいなくなって、また次の団体さんがどっとやって来る。隣の山茶花の宿に入る直前に、側溝の濡れた金属蓋に足を取られて転んでしまった。ちょうど団体の遍路さんたちが見ていて心配したようだが、怪我はなかった。やはり、今日のしんどい行程で足腰がフラフラの状態のためである。

山茶花の宿では、有田氏が既に到着して、入浴していた。縦山嬢とは阿瀬比で別れたそうである。山茶花の宿のオカミサンは働き者で、親切で、雨に濡れたものを手際良く片づけてくれた。昨夜の宿と違って、有田氏共々満足した。

 

 

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)