天恢の霊感遍路日記 (阿波編)

 

1回・5日目 18番:恩山寺〜19番:立江寺 200762(土)

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:30

 

旅館みどり

8:158:40

18番:恩山寺

千体仏・大師像・御母公堂 大師御手植えのビランジュ

9:35

番外・お京塚

お京塚:不貞の戒めを顕す祈念塚

9:4510:30

19番:立江寺

阿波の関所寺 黒髪堂・本堂の板戸絵&方丈の襖絵 

 

 

バス 立江小10:45→萱原10:30 沼江不動前11:57→中角12:05

13:0513:50

星の岩屋

空海が秘法を行った番外霊場 裏見の滝 

15:00

 

金子や

 

旅館みどりを出発。 いつもながらの「南無大師遍照金剛(3回)有難うございました。」 ここは港町ですが、土曜日の朝の小松島市街は静かなものです。ここに宿にしたのは、恩山寺まで歩いて3キロの短い距離で、国道55号線に合流する前に、番外霊場の「弘法大師お杖の水」があって、お参りすることができた。

 

宿のすぐそばは海、小松島港が・・・

大師が杖を突き、真水を求められた・・

参道の脇にポツンと山門が・・・

 

バス停恩山寺前から右折して田舎道に入る。大草鞋で飾られた古い山門の脇に出た。どうやら車で直接境内に入るようにしたため、今やこの山門は用を果たさぬものとなった感がする。この山門の近くに県の天然記念物となっている見事な枝振りの毘蘭樹(バクチノキ)が根を張っている。

 

18番 恩山寺

 

山門をくぐって参道を上がると「本堂エ二丁」(約220m)の道標が立つ。台座を含めると4mを超える、見上げるほどに大きい「修行大師像」が出迎えてくれる。石段を上がると、左手に大師堂があり、その大師堂と肩を寄せ合うように御母公堂が建つ。大師の母の玉依御前が剃髪して、その髪を納めたと伝えられるお堂である。本堂はさらに40段ほどの石段を上がった高いところにある。

そもそも恩山寺は、聖武天皇の勅願により、行基が本尊の薬師如来を刻み安置したのが開基。当時は、大日山密厳寺と号したと縁起にある。それから半世紀を経て、弘法大師が修行中、母の玉依御前が訪ねて来たが、この地は女人禁制だったため、大師は秘法を修して女人解禁を祈願して、母を寺に招き入れて孝養をつくしたという。

 

4mを超える、おおきな修行大師像・・

石段を上がれば本堂が・・・

バクチの木と呼ばれる毘蘭樹・・

 

さてさて、ここの見所は?

赤い朱塗りの橋を渡った山門の近くに、毘欄樹(びらんじゅ・天然記念物)の赤褐色の樹皮は人々の目を引きつける。樹皮がはげ、木肌があらわになる姿が、賭け事をして身ぐるみはがされ、丸裸になった人のように見えることから、別名「バクチの木」と呼ばれる。葉は濃い緑色の長楕円型でこの葉からとった水は咳止めに効くといわれている。玉依御前の来山を記念して大師が自ら植えたといわれている。みごとな枝ぶりで、県の天然記念物に指定されている。

 

母を慕う大師の優しさが偲ばれ、心が洗われるような恩山寺を後にして、次の札所・立江寺に向う。細い遍路道に入ると趣のある竹やぶがずっと続く。この山道を歩き続けると、有名な番外霊場「釈迦庵」があるのだが、見過ごしてしまった。釈迦庵にある四国最古の仏足石を見ることができなかった。足が一番の遍路に

 

草生す地にひっそりと佇むお京塚・・・

立江川に架かる赤い橋が見えてくると・・

とって、裸足で仏足石の上に立つとご利益があるとのこと、ぜひ試したかった。

細い遍路道を離れて、県道136号線を歩いていくと、道路脇に番外霊場お京塚がある。不貞を働いた者への戒めを顕す祈念塚である。草生す地にひっそりと佇んでいる。ここから1キロ余りで、立江川に架かる赤い橋が見えてくる。寺の周辺は、賑やかな門前町となっている。

 

 

19番 立江寺 

 

罪深いお遍路、邪心のあるお遍路懺悔、改心しなければ先には進めない「関所寺」の一つ立江寺である。 かつてのお遍路は、この寺を過ぎると、一息ついたという。 88ヶ所にはこのような関所寺が阿波、土佐(神峯寺)、伊予(横峰寺)、讃岐(雲辺寺)に一つずつある。 門前町を擁するだけあって、立江寺はなかなかの古刹である。 仁王門を入ると、本堂をはさんで左に観音堂、右には護摩堂と三つの堂が連なる。大師堂は本堂と向き合う位置に建ち、その隣に多宝塔がそびえる。

 

関所寺の仁王門が行く手に・・・

邪悪な人は寄付けない風格漂う本堂・・・

大師堂は本堂と向き合う位置に・・・

 

そもそも立江寺は、聖武天皇の勅願寺。行基が光明皇后の安産を祈念して一寸八分の黄金の地蔵菩薩像を刻み、本尊として安置したのが開基とされる。その後、弘法大師がこの寺に留まり、行基が刻んだあまりにも小さい像では後々紛失の恐れがあると、大師が六尺の延命地蔵菩薩を刻んだ。そして、行基作の地蔵尊をその胎内に納め、霊場にしたと縁起にはある。

 

ひっそり佇む「黒髪堂」の中には・・・

さてさて、ここの見所は? 

大師堂の近くにお社風の「黒髪堂」がある。お京という女の黒髪が納められている堂である。お京については、この地につぎのような逸話が残されている。亨和3年(1803)の頃、大阪の新町で芸者をしていた「お京」はなじみ客の要助と結ばれて駆け落ちし、お京の郷里に帰って夫婦になった。しかしお京は、鍛冶屋の主人と密通。この男を手引きして夫を殺してしまう。そして、讃岐の国丸亀に逃れてきた二人は、四国巡拝を思いつき、立江寺までやってくる。ところが本堂の前で真言を唱えると、お京の髪が逆立って梵鐘の尾に絡まり、不義の天罰を受けた。懺悔したお京は庵を結び、一心に地蔵尊を念じ、この地で一生を終えたといわれている。天恢も「お京の黒髪」が巻きついた鐘の緒が納められている黒髪堂も覗いてみた。恐る恐る写真撮影を試みたが、残念ながらそれらしきものは何も写っていなかった。

 

そして、ご利益は? 安産を祈願して始まった寺なので、境内には子授け地蔵尊があり、地元の人から「子安の地蔵尊」として親しまれている。

 

「たつえ餅」の酒井軒本舗・・・

 さて、立江寺を出発するにあたって、門前の酒井軒本舗に急いだ。名物「たつえ餅」は売り切れ御免であるが、後10分後しか出来上がらないそうで、バスの時刻が迫り、泣く泣く柏餅にした。立江小学校前からバスで萱原へ、萱原から沼江不動前まで歩き、途中のローソンで帰りの高速バスのチケットを購入した。 それから沼江不動前から中角までバスにまた乗車する。

今日の日程で、バスを利用したのは体力の消耗を少しでも抑えるためであった。往復5キロの寄り道になるが、ぜひとも訪ねたい番外霊場「星の岩屋」である。中角のバス停から星の岩屋へ向う。勝浦川を渡って、昼時なので、休憩を兼ねて昼食の代わりの柏餅をいただく。食べ終わって、歩き始めて、すぐに金剛杖を持っていないことに気がついた。まだ杖が身体の一部になっていない。まだ修業が足りないと痛感する! 

星の岩屋への道のりは結構険しいものがある。徐々に坂道が急勾配になってきて、大きな谷から山中に入る。途中に細い石橋があって、高所恐怖症の私にとって渡ることができなくて、水の無い谷川を歩いて渡り切った。こうやって苦労した甲斐もあって、筆舌尽きがたいほどの静寂と幽玄の世界の中にある「星の岩屋」があった。星の岩屋には、滝の裏側からから見ることのできる「裏見の滝」があるが、渇水期なので滝水が乏しいのが残念であった。この霊場を訪れる人もほとんどなく、ここでの写真を撮ってもらえなかった!

 

石段を上ればお堂や庵が・・・

静かな幽玄の世界が広がる星の岩屋

渇水期で裏見の滝が恨みの滝に・・・

 

四国巡礼の歩き遍路は、バスやハイヤーをつかった分刻みの移動では到底味わえない感動がある。また、歩き遍路でも、詰まるところ88の札所巡りに集約されていて、番外霊場はまさしく「番外」なのかも知れない。

 

今夜の宿は「旅館金子や」・・・

 星の岩屋から同じ道を下り、中角に戻り、生名へ。 3時前に「旅館金子や」に到着した。 宿の前で、和歌山の有田氏がいた 3時前には「金子や」には入れないとのことで、時間潰しにビールを飲んでいたのだ。 3時になったので、宿に入れてもらって、しばらくすると小雨が降りだした。今夜の泊まりの若い男性に見えた?「女丈夫さん」が入ってきた。その後、最後の同宿者は、なべいわ荘いっしょだった縦山嬢が雨の中到着した。

 

20番札所鶴林寺、第21番札所大龍寺までは、約11キロの山道の間に宿はない、そのため多くのお遍路さんは一軒宿「金子や」に宿泊せざるを得ない。競争原理が不在で、やる気が見られない。いつか遍路のホームページ作りたいと言ったら、和歌山の有田氏が、この宿は最●と記載して欲しいと頼まれた。

3時前に客は宿に入れない。 お風呂でシャワーのお湯が出なかった。後で文句を言ったらスイッチを忘れていたようだ。朝夕の食事は不味く、品数は極めて少ない。布団にシーツが無い。洗濯するには最低400円(500円は必要)。靴の乾燥機使用は100円。トイレは和式のみ(確認は2階のみ)・・・。

 [後述] この頃は天恢も修行が足りず、未熟者でした。雨露をしのぐどころか、お風呂や食事までお世話になって、それも低料金ですから、本当は文句なんか言えたものじゃありません。一夜の宿が得られただけでも感謝すべきと悟ったのは、ずっと先のことでした。

 

 

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)