天恢の霊感遍路日記 (阿波編)

 

1回・4日目  13番:大日寺〜17番:井戸寺  200761(金)

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:00

 

なべいわ荘

 

 

バス 鍋岩7:25⇒寄居中7:35 7:45⇒一宮札所前8:30

8:358:55

13番:大日寺

しあわせ観音 大師堂内陣 オガタマノキ

9:4010:00

14番:常楽寺

アララギの霊木の大師像・流水岩の庭 

10:2010:40

15番:国分寺

七重の塔の心礎・枯山水 烏瑟沙摩明王堂

11:0511:20

16番:観音寺

仁王門 夜泣き地蔵 炎に包まれた女人の絵

12:0512:25

17番:井戸寺

仁王門の仁王像 面影の井戸

14:30

徳島駅

JR 徳島15:08⇒南小松島15:30

16:15

 

旅館みどり

 

今日も快晴のようである。 7時過ぎに、なべいわ荘を出発。 いつもながらの「南無大師遍照金剛(3回)有難うございました。」も慣れてきた。今日は13番札所前までバスを乗り継ぐので楽チンである。昨日の「道の駅」に戻る。ここでの立派な建物は旧左右内小学校で写真を1枚。バス停で吉野でも一緒だった年配者の方に写真を撮られた。お元気で・・・。彼は、これから焼山寺に向うことになる。

 

左右内小学校は閉校とのこと・・・

遍路ころがしの逆打ちも、また良し!

皆さんの足、頼りになる町営バス・・・

 

嬢ちゃん達がどうやら道を間違えたと引き返してきた。植村旅館の方の道で、途中に番外霊場鏡大師があって、阿野橋で道は合流することになっている。 町営バスで 焼山寺下を出発、寄井中から徳島バスに乗り換えた。途中、バスは青年達や和歌山の有田氏を追い抜く、申し訳ない気持ちで「悪いなぁー」と、思わず座席に身を沈めた。歩けば半日近く掛かる道のりも、バスにのれば1時間で一宮札所前に到着する。ここは、徳島市内に入って最初の札所となる。

 

13番 大日寺 

 

バスを降りて、大日寺は県道21号沿いに建っていて、見過ごしてしまい危うく次のお札所へ向うところだった・・・。この寺には、つい最近までこの寺には山門がなかった。多くの紹介記事の写真には確かに山門がない。新しい山門を入ると、左手に本堂が本堂の正面に大師堂がある。境内はこぢんまりしており、参拝に時間はかからない。

 

ピカピカの山門が完成していた!

静かな境内も、団体さんが来れば・

そもそも大日寺は、弘法大師がこの地を訪れ、境内の北にある「大師の森」で護摩修法をしていると、紫雲が舞い降りて大日如来が姿を現した。そして「この地は霊地なれば、一宇を建立すべし」と告げた。感得した大師は尊影の大日如来を刻み本尊とし、堂宇を建立して安置、霊場に定めた。

 

幸せになろうねと祈らずには

さてさて、ここのご利益は? 

本堂のすぐそばに、合掌をしているユニークなデザインの観音像がひときわ目を引く。合掌しているその両手の中で、蓮を持って笑みを浮かべる小さいカラフルな観音像である。これは「しあわせ観音」と呼ばれている。その名の通り幸せを祈願すると御利益があるといわれ、多くの参拝者訪れている。この愛らしい観音様をみていると、家族の幸せを祈らずにはいられなくなる。ここは、「しあわせ」を呼び込む参拝写真を撮る、格好の場となっている。

 

納経をすませて、次の第14番札所常楽寺へ向かう、田んぼの中を歩いて、鮎食川の堤防沿いから一宮橋を渡れば常楽寺である。途中で、遠足の小学生たちと一緒に行動することになった。徳島の小学校では社会勉強の一環として「遍路」を取り上げているようだった。

 

14番 常楽寺 

岩盤を削ってつくられた石段・・・

アララギ霊木を中心に、本堂、大師堂・・

 

自然石と岩盤を削ったものとが入り混じる石段を上る。上りつくとそこには山門はなく、眼前には大岩盤が露出した天然の岩肌「流水岩の庭」がお遍路を迎え入れてくれる。境内の奥に本堂。本堂を覆うようにそびえるのは、あらゆる病気に霊験を発揮するというアララギの霊木である。常楽寺の本尊は弥勒菩薩で、四国八十八ヶ所霊場では唯一の寺である。弥勒菩薩は、釈迦の救いに漏れた人たちを救済する仏といわれている。

 

そもそも常楽寺は、弘法大師がこの地で17日間にわたって修法をしている時、多くの菩薩を従えた弥勒菩薩が現れ、大師に説法を行ったという。感得した大師は弥勒菩薩の姿を霊木に刻んで堂宇を建立し本尊として安置したという。

さてさて、ここのご利益は?

 

霊木の股に小さなお大師さまが・・・

あらゆる病気に霊験を発揮するという「アララギの霊木」である。この木の股にかわいい木彫りの大師像があると、団体さんを引率してきた先達さんの説明で聞いた。見ると、確かに木の股に小さなお大師様がいらっしゃる。これは「アララギ大師」と呼ばれ、「お大師さんに、また会えた」と、人目を引いている。

この札所で、広島からの団体さんのご夫人達が納札箱に手を突っ込んで「銀札」、「金札」、「錦札」探しをやっていた。 賽銭箱じゃないので犯罪にはなりませんが・・・。 とくに錦札はご利益があるそうで、この業は、いずこの札所にあっても尽きそうも無い。

 

 

ここが第一番札所の仁王門・・・

 ここ徳島市国府町には第14番から第17番までの4ヵ寺が、6km余りの範囲に集中しており、一気に歩くことにする。遠足の生徒さん一行と一緒に札所を出たが、親切なお爺さんに脇道を教えて貰いながら先回りした。

目指す国分寺は、常楽寺から北に800mと近距離にある。周辺に田園風景の広がり、どこからでも見える高い本堂ですぐわかる。そして瓦葺きのどっしりとした山門が現れる。風格のある山門の「薬王山」の扁額がまぶしい。

 

 

 

15番 国分寺 

 

山門をくぐると、今度は正面に本堂がドーンと見える。これは、なかなか絵になるシーンである。文化文政年間(180430)に再建されたと伝わる。

 

山門から見る境内・・・

重層入母屋の本堂

そもそも国分寺は、天平13(741)、聖武天皇の勅命により、天下泰平を祈願するため国分寺・国分尼寺を全国に六十六ヶ寺建てた。この寺は、阿波の国分寺として行基により開基された。その後、弘法大師が四国霊場として開創したと伝えられている。

引率の先生が、「聖武天皇が諸国に命じ、天下泰平の世を願う国分寺・国分尼を全国66ヵ寺建立した一つで、寺として現存するのは大変珍しい」との説明をされていた。 

 

さてさて、ここのご利益は?

ここが鳥瑟沙摩明王堂

境内にある鳥瑟沙摩明王堂は、国分寺の中で唯一戦国時代の兵火を逃れ、不浄除けの仏様である鳥瑟沙摩明王が祀られている。弘法大師が十七日間にわたり修した後、自ら刻んだもので、願いを一つだけ必ず叶えてくれるといわれている。また眼と下半身の病に霊験があると言われ、一般にトイレの神様と信仰され、別名不浄金剛とも呼ばれている。納経所では鳥瑟沙摩明王の礼も置かれているので、トイレの入口に貼っておくと下の病気や子どものおねしょを治し、目にもご利益があるといわれている。

往時を偲ばせる礎石やふだんは非公開の桃山様式の枯山水の庭がある。ただ、遠足の小学生が去った後の寺は静寂で、納経所はひっそりしていた。

 

由緒ある国分寺を出て、観音寺への真直ぐの道をどこまでも進むことになるが、わずか1.8kmはどの道のりでも、単調過ぎて少々心配になってくる。

 

16番 観音寺 

 

寺は県道沿いにあり、商店、民家が軒を並べる古い町並みに溶け込むように建っている。狭い通りにあっても堂々とした立派な山門、山門から十数歩しかない新しい本堂。この近さが気軽さとなって、門前を往来する地元の方たちが親しみやすく、気楽に参拝されて行くそうである。 「かんのん寺」じゃなく「かんおん寺」と読む。 近くにJR徳島線府中駅があるが「こう駅」と読む。

 

古い町並みに溶け込むような山門・・・

山門から十数歩の本堂・・・

山門を入って右側にある大師堂・・・

 

そもそも観音寺は、聖武天皇の勅願道場として創立された。その後、弘法大師がこの地を訪れ、自ら等身大の千手観世音菩薩像を刻み本尊として安置し、脇侍に不動明王は悪魔降伏のため、また毘沙門天は鎮護国家のために、一刀三礼(一刀刻むごとに三度礼拝)で刻まれた。

 

さてさて、ここの見所は?

薄暗い本堂に向かって右上に、炎に包まれた女人を描いた絵には、少々怖いエピソードがある。その昔、淡路島から訪れた6人連れがこの寺で雨宿りをし、雨に濡れた白衣を焚き火で渇かしていた。ところが、一人の女性の白衣に火が燃え移り大やけどを負った。じつはこの女性、姑との仲が悪く、姑を柱に縛り付けて、燃えた薪で叩いて虐めていたという。しかし、この日のやけどをお大師さんの戒めだと悟り、深く反省をして、その女性はこの絵を奉納したといわれている。

 

炎に包まれた女人の絵

大師堂の脇にある「夜泣き地蔵」・・・

そして、ご利益は?

境内には、岩に囲まれた「夜泣き地蔵」が祀られている。この地蔵尊は子供の夜泣きに御利益があり、困った親御さんがお参りに来る。御利益をいただいて願いが叶うと、お礼に赤いよだれかけを地蔵に奉納するのが習わしとなっている。地蔵尊には何枚もの赤いよだれかけが掛けられている。また、お年寄りの、夜よく眠れるようにという願いも叶えてくれるという。

 

親切なお爺さんに、井戸寺の方向を教えていただいて出発。井戸寺までは地図を見なくても何とか行けたが、はっきり言って、徳島市内の遍路案内は不備・不安・不統一のような気がする。昨日は難所コースだったので、今日は無理しないつもりだった。お昼を回ったところで井戸寺の仁王門に着いてしまった。

 

17番 井戸寺

 

武家屋敷風の朱塗りの大きな仁王門が参拝者を迎えてくれる。門をくぐると正面に本堂が建っているが、これも天守閣を切り取ってきたようなユニークな堂である。井戸寺は、「井戸のお薬師さん」「井戸の観音さん」「井戸のお大師さん」と、地元では3通りの呼び名で親しまれている。初夏の陽光が絶え間なく差し込み、境内は明るかった。 

 

殿さまの別邸の長屋門を移築・・・

広々とした境内に、本堂、光明殿・・・

由来の井戸のある日限大師堂・・・

 

そもそも井戸寺は、天武天皇の勅願寺として開基された。当時は、妙照寺と号していた。本尊は、七仏薬師如来座像は聖徳太子の作とされる。脇仏の日光・月光菩薩は行基の作とされる。その後、弘法大師が来錫し、十一面観世音菩薩を刻んで安置した。

 

さてさて、ここのご利益は?

水面に自分の姿が映らない場合は3年以内の不幸が訪れるといわれる・・・

この井戸寺には、寺号の由来になっている伝説の井戸である「面影の井戸」がある。大師は水不足に苦しむこの地の人々を憐れみ、手にした錫杖で一夜のうちに井戸を掘り、清水が湧き出したといわれる。この井戸は本堂そばの日限大師堂の中にある。大師は、その水に映った自分の姿を刻んだものという石像が、井戸の傍らに安置され、「日限大師」として祀られている。3日、1週間と、日時を限って祈願すれば必ず願いが叶うと、信仰を集めているのが「日限大師」の由来。井戸を覗き込んで水面に自分の姿が映れば無病息災。だが、映らない場合は3年以内に不幸が訪れるといわれる井戸でもある。

面影の井戸があって、ちょうどお昼になって参拝者も皆無。 私だけバスに乗った負い目もあって、果たして井戸の水面にわが身の姿が映るのか?心配だったが、・・・・はっきり映っており満願成就、あぁ良かった! 遍路するのもまた楽しい?一面がある。この寺の七仏薬師如来は全国でも珍しく、霊験も「七難即滅」、「七福即生」と「七」という数にまつわる寺である。

 

中鮎喰橋を渡れば徳島市中・・・

参拝を終えて、徳島駅に向かう。お昼は近くの中華「チャイナ」で徳島ラーメンに餃子、今日は打ち止めなのでビールもいただく。ラーメンに詳しくないけど、徳島で食べるラーメンはみな「徳島ラーメン」に違いない! 徳島駅方面に遍路道を外れて歩く。中鮎喰橋を渡ると有名な眉山も見えてくる。

佐古町を歩いていたら、お婆さんにバナナ3本いただいた。 お礼にお札を渡すと、横浜にはお孫さんが住んでいるそうです。 感謝・感謝。阿波おどり会館にも寄ってみたいが、道を急ぐことにした。午後2時半徳島駅に到着。 南小松島駅着、時間があるので、初めて四国銀行ATMで現金を無事に?引き出した。小松島市内を少し散策して、ビールを買い込んだ。

午後4時過ぎに、旅館みどりに到着。 宿は市内随一の繁華街にある。一番風呂に入って疲れを取る。洗濯機や乾燥機は見当たらず、どうも洗濯は出来そうもない。利用は近くのコインランドリーかも。 「みどり」の夕食は、さすが料理旅館だけあって豪華で美味しい。 夜中、外国人ホステスさんの嬌声で目を覚ます。 今夜は「花金」だぁ! 久しぶりに浮世の現実に戻された。もう何年前にもなる華やかな?現役時代、終電車が無くなるまで飲んでいた時代がふと懐かしく思い出された。

                                

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)