天恢の霊感遍路日記 (阿波編)

 

1回・2日目 8番:熊谷寺〜11番:藤井寺  2007530(水)

タイム

ポイント

備考 (見処&移動機関)

7:15

 

寿食堂

8:459:10

8番:熊谷寺

四国最大の仁王門 多宝塔 小石仏 

9:4010:20

9番:法輪寺

本堂内の奉納草履 本堂の天女像

11:1511:50

10番:切幡寺

是より333段の石段 大塔と景観 はたきり観音像 

13:10

吉野川

大野島橋と川島橋

14:3015:10

11番:藤井寺

本堂天井の雲龍 遍路ころがし入口

15:20

 

旅館吉野

 

あぁ、胎内さんが遠く、遠く・・・

普段よりはチョウ早で、今朝は5時に起床して、620分から朝食。第一番にお礼参りに向かわれる胎内さんの出発を見送る。宿の親父さんに記念写真撮影を依頼するが、シャッターを押し間違え、見事失敗していた。あぁ、胎内さんは遥か彼方に・・・。同宿の娘さんは、ご飯も食べずにもっと早く立たれていた。どうやら遍路に旅立つ娘さんをご両親が初日だけ同行されたようである。お世話になった宿を出発 「南無大師遍照金剛(3回) 有難うございました。」を唱える。

 

昨日の第六番、第七番の札所を通り過ぎて、若い娘さんに抜かれる・・・。ほどなく宮川内谷川に架かる御所大橋を渡る。この時遍路は橋の上では金剛杖をつかない習いは習慣として身につけるしかない。遍路道をさらに西に向かうと、周りの景色には風情があり、歩きやすい遍路道が続きます。札所近くになって、つい車道を歩いたために仁王門をくぐり損なってしまいました。

 

 

8番 熊谷寺

中門から33段の石段を上れば本堂

さらに石段を上れば大師堂が・・・

 

そもそも熊谷寺は、 弘法大師の開基と伝えられ、大師が寺のやや奥にある閼伽ヶ谷で修行中、紀州の熊野権現が現れ、高さ一寸八分の黄金の観世音菩薩を授かる。大師は、堂宇を建て、自ら刻んだ等身大の千手観世音菩薩の胎内に納めて本尊にしたと伝えられる。

さてさて、ここの見所は? 

 

四国最大の仁王門といわれている・・・

四国最大の多宝塔といわれている・・・

熊谷寺のキャッチフレーズは、「田園に悠然と建つ重層の仁王門と多宝塔は四国最大」とある。本堂へ行く途中、ひときわ色鮮やかに目を引く多宝塔は、安永3年(1774)の建立で、本瓦葺き屋根の装飾九輪が美しい。同種の塔としては四国最大を誇る。二層屋根の上部裏の多彩な細工と彫刻は見事という言葉に尽きる。また仁王門は、参拝が終わり寺を出てから、田園のなかに古色悠然の仁王門がドーンと出現した。これも四国最大の仁王門だそうで、田舎の一本道に仁王立ちしているように構えている。 

札所巡りをしていて、本堂、次に大師堂とお参りするだけで、見るべきものも見ずに、ついつい急ぎ過ぎる嫌いがある。ここの住職がおっしゃる「急ぎ過ぎた人生をゆっくり振り返る」の心境には未だ至っておりません。

 

熊谷寺から歩き始めて30分、法輪寺に程近いはずであるが、辺りは広い田畑ばかりである。にわか雨が激しく降り始める 先の若い娘さんより先になった、縦山嬢である・・・。強く降る雨、田園地帯の中にある森影がある。 そこが法輪寺と狙いを定めて、雨の中を歩いた。傘は余り役に立たない。まもなく簡素な作りながらも、長年の風雪に耐えてきた風格が漂う山門に着いた。

 

 

9番 法輪寺

簡素な山門と静かな境内・・・

雨降る中で、本堂と大師堂が並んで・・・

 

普段は、のどかな田園の中にあるため「田中の法輪さん」と呼ばれ親しまれている。小さいながらも掃き清められた境内には、庶民的で親しげな雰囲気が漂う。雨の中での参拝で苦労するが、ここでは団体さんも立ち往生である。縦山嬢も雨で衣服を濡らして、白衣を脱いで、それで衣服を拭いていたら、地元のお婆さんに「ちょっと、あなた、それじゃ・・・」と、言われて、彼女が「いいんです」と、答えたら、「あなたじゃなくて、白衣が・・・」と、叱られていました。後で知ったのですが、白衣って尊いもののようで、洗濯する時も下着などと一緒に洗うのは厳禁だそうだ。 「それでもねぇ〜?」

 

そもそも法輪寺は、弘法大師の開基と伝えられる高野山真言宗の寺で、大師が刻んだとされる釈迦如来像は、八十八ヵ所中ただ一つの涅槃像で、珍しい寝姿の仏像が祀られている。

仁王門に奉納されている草鞋

さてさて、ここのご利益は? 

ここは足の悪かった人がお参りした後、歩けるようになったという昔話があります。山門には1m弱のわらじが一対あります。また、本堂にも健脚祈願のわらじが奉納されています。長い道中で足に自信のない方は、どうぞお願いしてください。

初めて快適ポンチョを着装して、出発。雨も上がる。農作業に勤しむ主婦から「雨の中大変ですね!」と、声もかかるが、渇水の徳島を思えば「恵の雨です」と答えるしかない。雨はすぐに上がり、お天とう様が顔を出した。

 

 

 

10番 切幡寺

是より333段との道標が立っている

奥行きのあるおおきな境内が・・・

  

これまでの札所と違って、奥行きの深い、大きな境内を持つお寺である。山門をくぐると遍路泣かせの「是より三三三段」との道標が立っている。 「女やくよけ坂」、「男やくよけ坂」などの階段を上るには相当堪える。それを上りきると境内。正面に本堂、右手に大師堂である。 

 

そもそも切幡寺は、山麓の貧しい村に機織り娘がいた。立ち寄った弘法大師が、ご自分の衣服の破れを繕いのための布を所望したところ、娘は織りかけの白布を惜しげもなく切り裂いて、差し出した。大師は、父母の菩提を弔いたいという娘の願いを聞き入れ、千手観世音菩薩を一夜で刻んで贈った。そして娘を得度させ、秘密潅頂を授けると、娘はたちまち即身成仏して観世音菩薩に姿に変えた。そこで大師は、この地に堂宇を建立し、山号を得度山、寺号を切幡寺としたと伝えられる。

 

徳川秀忠寄進の二重塔を移築・・・

境内からの吉野川、平野の眺望が・・・

さてさて、ここの見所は? 

第一番霊山寺を発願して、第9番札所までトントン拍子で巡ってきたお遍路にとって、初めて体験する難行が待ち構えている。山門をくぐると切幡山の中腹まで、急勾配の長い石段が参道である。これが遍路泣かせの「是より三三三段」の石段である。車道もあるが、ここはやはり石段を選ぶ。

 

途中にある「是より224段」

その途中には石仏が祀られておりたくさんの塔婆が奉納されている。一段一段踏みしめてお参りできるありがたさを噛みしめたい。それと、はさみと長い布を持った「はたきり観音」の大きな銅像は、本堂裏手にあるため見損ねてしまった。もう一つ、本堂の上から石段を100段以上さらに上れば、本瓦葺きの二重の大塔がある。二代将軍徳川秀忠が大阪の住吉神社の神宮寺に寄進した塔を、明治初年の神仏分離令で同寺が廃寺となった際に、切幡寺が購入したそうである。移築時のままの姿を残しており、建築史的にも貴重な二十塔である。この古塔を背に、ここからの吉野川流域の景観は素晴らしい。阿波23ヶ所の寺の中でも印象に残るお寺の一つである。 帰路にお遍路さんのために奇跡を呼び起こした「杖無し橋」で記念撮影。

 

切幡寺の大塔は山腹の中央にあるため、遠くからもでも眺望が出来て、吉野川を渡りきるまで見え隠れしていた。 遍路地図がスタンドにあって、これが後々役立った! 昼時になったので、途中にあったうどん亭八幡で昼食 トンカツ定食をいただく。 トンカツに辛子が無かったが徳島の方は付けないのですかね? いつもだったらここでビールもいただくのだが、未だ11番の札所が残っているので我慢、我慢。 快晴の青空の下、吉野川への堤防に到着する。

 

振り返れば山腹に切幡寺が・・・

吉野川、大野島橋を渡り善入寺島へ

川島橋を渡ると鴨島町へ・・・

 

先ず沈下橋の大野島橋を渡る。ここは「四国三郎」吉野川の中流域に浮ぶ善入寺島(島粟島)で、吉野川と善入寺川(古くは粟島川)との中にできた日本一の川中島だそうである。この島には吉野川改修工事が行なわれる大正初期1916年まで5063000人の人々が住んでいただけあって、確かにだだっ広い田畑が流域に広がっている。後で知り合う和歌山の有田氏の後姿を見つけたが、追い着くことはなかった。時々車とすれ違い、潜水橋の川島橋を渡りきり、対岸の堤防に到着した。昼食後は、ほとんど休み無しで歩く。 どうしてこんなに、それも早く歩けるのか不思議だ! 川島橋から藤井寺は通常1時間半はかかるらしいが、1時間もかからなかった! 

 

 

11番 藤井寺

 

そもそも藤井寺は、弘法大師42歳の時、三方を山に囲まれ、渓流の清らかな霊地に心ひかれて、足をとどめ、諸人と共に厄難を除くため薬師如来を刻み、この像を本尊として堂宇を建立したと伝えられる。境内から山に入ると、八畳岩がある。大師はここに護摩壇を築き、17日間修行をして金剛不壊の秘法を修め、境内の堂塔の前に五色の藤の苗木をお手植えしたという由来から、金剛山藤井寺の号したと伝えられる。

 

素朴な風格が漂う仁王門・・・

こぢんまりまとまった大師堂・・・

睨みをきかせる龍の本堂天井画・・・

 

さてさて、ここの見所は? フジの花は終わっていたが、初夏の藤棚に、見事な、きれいな花房が1mも垂れ下る。その色香に仁王門をくぐったお遍路は感嘆の声を上げるそうだ。もう一つ、本堂の天井に描かれた雲龍は必見である。この龍は、昭和の大改修の際に地元出身の林雲渓によって描かれたもので、30畳くらいの大きさ。本尊の護り龍として睨みをきかせる迫力には誰もが圧倒される。私も恐る恐るデジカメのシャッターを押した。団体さんのいない夕方近い札所はどこも静かなもので。明日の焼山寺への道は、藤井寺の境内から入るので、登山道入口を売店のお婆さんが親切に教えてくれた。 藤井寺を出て、10分位離れた旅館吉野へ向かった。

 

明日はここから難所越えが始まる・・

 旅館吉野は大変良い旅館であった。まだ建物も、施設も新しく。何よりもオカミサンが親切だ! 藤井寺まで約10分かかるが、それでも余りあるものがある。二階に飲み物が入った冷蔵庫があり申告制で、洗濯機の使用も申告制となっている。遍路宿として、先ず客を信じる姿勢が見える。 絶対にお勧めの宿だ! 本来は藤井寺門前近くのふじい本家旅館に泊まるつもりであったが、シーズンオフなので営業はやってないので、そこで紹介されたのが旅館吉野である。夕食時に「儲からないので営業しないのはケシカラン」と、ほざいていたら、遍路宿にも老齢化や後継者問題などご多分に漏れずいろいろあるようである。オカミサンは笑いながら「うちは借金があるので、どの時期でも頑張って営業しています」との頼もしい発言があった。息子さんと頑張っていらっしゃるようで、ますます宿が発展されることを祈る。

旅館吉野で出会った人たち・・・。 仏木寺から発願したお嬢さんで彼女は元気者でどんどん先に進みそうだ。明日、13番から17番を回って、なべいわ荘に向うお爺ちゃん。 最終日まで一緒だった和歌山の有田氏。 大阪の天満橋に住む70歳の方であるが私よりしっかり、早く歩く。これまで東海道、熊野古道を走破したそうで、確かに鍛えれば年齢は関係ないようだ。

 

 

参考文献『週間四国八十八ヵ所遍路の旅』(講談社)