2008年9月25日(木)  写真の裏側

夏休みに入る前のワークショップで、写真家の先輩たち、荒木経維と篠山紀信について話した。ふたりは同世代にもかかわらず、それぞれの写真は対極にある。だから比較するととてもおもしろい。
荒木さんの写真はわざわざ見なくてもある程度想像ができる。篠山さんの写真もそういう言い方をすれば確かに想像はつくのだけれど、あらためて見てほしかったから話のあとで5、6冊の写真集を持ち出した。若かりし頃から一番油が乗った頃までの写真集だ。
荒木さんの活躍ぶりは今更書くまでもない。しかし篠山さんは誰でも名前を知っている写真家でありながら、正当な評価がなされていないとぼくは思っている。あらためて写真を見ることでそれを認識してほしかったのだ。
ぼくが見せた本の中には彼らが初めて見るものがあったらしく、塾生たちは予想以上に真剣に見始めた。ぼく自身も見るのは久しぶりだったから、とても新鮮だった。それぞれの感想を話しながら写真集を見るのは、とてもおもしろい体験だった。

そのときのことを書いた相原のレポートは読み応えがあった。篠山さんの『晴れた日』から感じたことを綴り、そして西井一夫、牛腸茂雄、中平卓馬らの言を引きながら彼は自分の篠山論を展開していた。
そのときぼくは思った。篠山さんから直接話を聞いてみたいものだ。

20年ほども前のことだ。ぼくたち若手の写真関係者が集まって「写真フォーラム」という会を開いていた。
その会は、写真家をゲストとして呼び、当人の写真を見せてもらいながら話を聞き、参加者たちは写真家に質問や疑問を投げかけるというおもしろいものだった。ぼくは設立当初からの参加ではなく、会がまだ始まって間もない頃に、最初はゲストとして呼ばれたのだ。
場所は渋谷駅に近い飯沢耕太郎さんの奥さんがやっていた編集事務所の一室だった (のちにその事務所はフォトプラネットとなり、写真雑誌『デジャヴュー』を創刊した)。なぜその場所なのかといえば、その会は飯沢さん、宝島出版編集者の宮永秋彦さん、そして写真家の富山義則さんというメンバーが発起人として誕生したからだった。
6畳ほどの狭い部屋は10名余りが入ると満員状態だった。写真家、出版社の編集者、写真オタク、写真評論家を目指す人、そんな人たちが待ち構えていた。そこでぼくは写真を見せ、写真について語り、様々な質問を受けた。会のあとは二次会に繰り出して、また盛り上がった。
当時そんな会はもちろん他に類を見なかった。その会の熱気のようなものにぼくは取り憑かれ、翌月から欠かさず参加するようになった。参加者はいくらかの会費を払い、そしてゲストの謝礼も5千円と安かった。それにもかかわらずゲストとして声がかかった写真家は、みんな二つ返事で引き受けた。
間を置かず、飯沢さんが多忙で世話人を降りることになり、代わってぼくがその役を頼まれた。その主たる役目は次回のゲストを決め、交渉することだった。顔の広い飯沢さんほどではなかったが、幸いにも当時のぼくは同世代の写真家たちと顔なじみになっていた。そうは言っても限界はあった。主宰する三人が誰も面識がなく、それでも呼びたいと思う写真家がいた。そういうときには大抵ぼくが交渉の窓口になった。
自分たちと同世代の30代を中心に、ときには40代の幅広いカテゴリーの写真家を呼んだ。しかもゲストは写真家だけでなく、東京都写真美術館キュレイターの笠原美智子さんだったり、日本ポラロイドの社員を招き、8x10インチの大型ポラロイドカメラを使ってみんなで撮影実習のようなことをしたこともある。
会は盛況で、若輩から年輩まで、参加者は増え続けた。写真美術館のキュレイターたちも参加するようになっていたし、朝日新聞、日本カメラ、筑摩書房、白水社、みすず書房、小学館、平凡社など出版社の編集者たちも常連となり、あるいは突然姿を見せた。それはゲストの作家に負うところが大きかったと思う。将来は日本を背負っていくだろうと思われる写真家を招いたつもりだったが、果たして彼らはその通りとなり、後に世界で知られるようになった写真家たちもいる。
参加者の増加に伴い、会場は文京区の六義園近くの画家のアトリエ、代々木上原にあった写真ギャラリーと変遷しながら、5年ほど続いただろうか。フォーラムをやめた理由は思い出せない。ゲストが底をついたのか、参加者が減少したのか。世話人たちが多忙になったのか。

あのレクチャーや質疑をまとめて出版でもしていれば、どんなにおもしろく、しかも時代の貴重な記録になったかと残念に思う。しかし当時はそんなことを誰も考えなかった。だからあの会はぼくたちの頭に残るだけである。

写真家は自分の写真についての思想を、何らかの形で残しておく義務があると思っている。命が失われれば、写真家の想いも永遠に失われる。
写真をどう見るか、見て何を考えたか、それらは見る人の自由である。写真家の想いを超えて、ただ写真を見ればよいのである。
しかし、写真家が何を考えて写真が生まれたのかを知りたいと思うのも事実だ。写真家の考えが浅かろうが、深かろうが、そんなことはどちらでもいい。写真の背景を知ることは、写真を楽しむことのひとつである。そしてまた、写真のコンセプトや写真を裏打ちする技術的な背景を知ることが、写真家を志ざす若者に特別な何かをもたらすことは自分の経験でも明らかだった。

篠山さんの写真集を見て、あるいは写真フォーラムを思い出すうちに、ぼくも自分の写真について、想いの丈のすべてを若い人たちに語っておかねばと考えた。今月のワークショップで提案すると、塾生たちは是非にと言ってくれた。
これまでワークショップでも、写真学校でも、写真集の中でも、写真フォーラムでさえも自分の写真についてきちんと述べたことなどなかった気がする。いや、これまで話さなかったことも含めて今回は話したいのだ。そんな話をするには、現在のワークショップが最適に思えた。
10月のワークショップが楽しみだ。オリジナルプリントを見せながら、写真について存分に語りたい。

ワークショップOBや一般の方で、もし参加を希望される方がありましたらこちらをご覧下さい。


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