2001年 12月 24日 作成
スタートは「アメ横」 チョコレートや干物、数の子・・・ 「まとめて千円」といった景気のいい売り方をしていた。 安い!と思ったが、なんせ量が多い! 一人暮らしで食べきれる量じゃなかった・・・ |
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秋葉原でパソコンショップをひやかしてから、 日本橋に向かって歩いていく・・・ 道一つ入ったらとても静かな風景に出会いました。 秋葉原(あきはばら)の由来 1870(明治3年)年に、遠州(現在の静岡県)から火除けの秋葉大権現(あきばだいごんげん)を勧請(かんじょう)し、鎮火神社としてまつった。 当初は鎮火原と呼ばれたが、鎮火神社が秋葉神社(あきばじんじゃ)と改められると、「秋葉原(あきばはら・あきばっぱら)」と呼ばれるようになった。 現在、「あきば」と略されるのは、このあたりが語源となっている。 一般に、秋葉原電気街は、太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、1951年(昭和26年)の露店整理令によって、ガード下に収容されたことが始まりといわれている。 しかし、実は戦前から、このエリアで家電卸売り/小売を営んでいた会社があった。(上記リンクより勝手に抜粋) |
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日本橋に行く手前に、「江戸橋」って橋があった。 大阪同様橋(河川)の多い町やな。 |
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そしてたどり着いたのが「日本橋」 歴史をちょっとひもといてみると・・・ 慶長8年(1603)にはじめて架設された日本橋は、もうじき400年をむかえる。 日本橋が現在地に架設されたとき、日本橋のもつ意義はたいへん大きかった。それは、日本の国土計画の要を決めるに等しかった。 慶長8年の日比谷入江の埋立によって、東海道は西丸下から移動し、今の品川から高輪・芝口を経て、京橋・日本橋を通るルートに変わった。江戸湊は日本橋川を中心に設計され、江戸にとってもっとも重要な陸路と水路との交差点が、日本橋になった。 江戸に権力を集中しようとした幕府は、翌9年(1604)、日本橋を五街道の基点(右一番下の写真)と定め、各街道に一里塚を築かせた。これによって日本の幹線道路は、日本橋を中心に決められ、江戸の市街は、放射状の道路を形づくることになった。 江戸時代の人にとって、日本橋の橋上にたたずめば、江戸城と富士山を望め、江戸が日本の中心であることを実感できる場所であったにちがいない。(これも上記ページからの勝手に抜粋です) |
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そして、日本橋の手前には「三越百貨店」があります。 この写真を撮るのは、ちょっとはずかしかった・・・ 三越百貨店の歴史と言えばご存じの方も多いでしょうが 1673年 三井高利が「越後屋」を開いたことに始まります。 |
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さらに、その近所には日銀と三井住友銀行。 いずれも石造りで重厚な建物! このあと丸善書店に寄って今日の散歩は終わりです。 |
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