< 7章 〜襲撃〜 >



(支える・・・自分が、丞相を支える)

城下を歩いて行く間、姜維は ずっとそのことを考え続けていた。
趙雲の言った言葉が、繰り返し蘇ってくる。


――― おまえにしか、できないのだ。


それは、姜維を戸惑わせ、同時に心を沸き立たせもした。
自分にできるのだろうか、あの貴き人の力に、本当になれるのだろうか。
孔明との間の、断ち難い絆を感じながらも、そのことの重大さに畏怖の念をも覚える姜維だった。


                             * * *


あまりに深刻に、考えに沈んでいたせいか、珍しく周りへの注意力が散漫になってしまっていたようだ。
ふと我に帰ったのは、後ろから聞こえる足音の、奇妙な執拗さに気づいてからだった。


(・・・つけられている)


頭の中に、すっと冷たい霧が流れ込んだように、にわかに、五感が研ぎ澄まされて来た。
決して大きな足音ではない。むしろ、あまりにも忍びやかなだけに、逆に相手の目的が察せられたのだ。
ひたひたと張り詰めた殺気が、距離を保ったまま、ついてくる。
どういう相手かはわからぬものの、あきらかに自分を狙った刺客に相違なかった。
足音から推測するに、二、三人というところか。
わざと考え事を続けているふりをしながら 、姜維は通りを抜け、城門を出た。
城下で騒ぎを起こすのはまずい。


                             * * *


城門から離れると、振り返ることなく、姜維は足を速めた。
広い草地に出たところで、足音は露骨に迫ってきた。
もはや隠す必要はないと言うことだろう。ざざっと、草を踏み分ける音が大きくなる。
歩調をゆるめずに、背後の気配に神経を集中させた。
ニ、三人どころではない、どこに潜んでいたものか、どうやら六人、いや七人だなと、姜維は推測した。
この人数に囲まれて、はたして切り崩せるか。

やるしかあるまい・・・
姜維は、どこか投げやりな度胸に支配されている自分を感じた。
皮肉なものだ。
死んでもいいと思った時には生かされ、ようやく居場所をみつけ、力を尽くそうと思った矢先に、今度は命を狙われるのか。
青白い焔のような憤りが、胸のうちに湧いた。

槍が手元にないのは惜しい。まとめて串刺しにしてやったものを。
ふっと口元に、薄く冷笑を刷く。
なぜか、恐怖心はなかった。不気味なほど、落ち着き払った自分がいる。
姜維は、歩を進めながら、剣の柄に手をかけた。



次の瞬間、背後から殺気が襲ってきた。
振り向きざまに一太刀浴びせる。返す刀でもう一人・・・。
身なりだけは町人の様子をした刺客がふたり、血飛沫をあげて倒れる。
その手元から、鋭い短剣をとっさに拾いあげると、剣を振りかざして向かってきた、もうひとりの喉元めがけて投げつける。
ぐおっとうめき声がして、その者も倒れた。

姜維は返り血を浴びたまま、残りの刺客たちを見渡す。
あと四人・・・。
あっと言う間に仕留められた三人を見て、四人は姜維の手強さを悟ったようだ。
大きな動きを止め、じりじりと、こちらの間合いを伺っている。


「どこの手の者だ、名乗れ!」
姜維は鞭のような鋭い声を発した。四人は一瞬素早く顔を見合わせたが、そのうちのひとりが低く答えた。
「蜀に降った裏切り者に、名乗る必要などない!」
「なるほど、やはりそういうことか。ならば・・・」
姜維は、ぴたりと剣を構え直すと、冷たい口調で続けた。

「この程度の人数で私を狙えと命じたうつけ者を、あの世で恨むのだな」
「なにを!」
挑発に乗り、四方から疾走してくる敵を、ぎらぎらした目で見定める。
長剣がふたり、あとは短剣に、おそらく飛び道具。
風を切って飛んできた、矢じりのような小刀数本を、剣で払い落としながら、たった今、それを放った者に向かって 全速力で迫る。

鋭い気合と共に剣を振りかぶる。相手のひるんだ顔が、瞬時に血に染まる。
さらに回り込んで、短剣を構えたもうひとりに立ち向かう。身軽な跳躍で接近する相手の短剣が、姜維の首筋を狙う。かばった左腕を切っ先がかすめた。
かわしざま、向きを変えて剣を相手の腹に突き刺す。


ゆっくりと倒れかかる相手から 剣を抜き取ると、残りのふたりを、鋭く見据えた。
相手はあきらかに、姜維の鬼気迫る剣さばきに気圧されていた。
この呼吸のまま押さねば・・・、姜維は、唇をぐっと引き結んだ。
相手に立ち直る隙を与えてはならない。

姜維は、ふたりのほぼ真ん中を目掛けて駆け出した。
敵も一挙に距離を詰めてくる。
身体の中で瞬発力が爆発したようだった。信じられない身のこなしで、姜維は襲ってきたひとりの剣を跳ね飛ばし、背後から斬りつけた。そのまま突進し、もうひとりの腹を薙ぎ払う。
どさり、と音がして、最後の刺客も草地に倒れこんだ。
ふっと、詰めていた息を吐き、姜維は険しい顔で、周りを見渡した。
立ち上がろうとする者は、一人としていない。
後には、かすかなうめき声が、あちこちで漏れるばかりだった。


                             * * *


我ながら驚くほどの 剣の冴えだ。
姜維は、他人事のように思った。
まるで、何かに憑かれたかのように・・・これは 憎しみのなせる業なのか?
思いがけず自分の心に沸き立った、冷徹な憤りの正体を見極めようと、姜維はゆっくりと剣を収めた。

たかが地方の武将ひとり、蜀に降ったところで、わざわざ魏が手を下すことはない。
これは、あくまでも個人的な恨み。
おそらく、刺客を放ったのは、天水から逃げ出したと言う元の太守、馬遵に違いあるまい。
どこにどう落ち着いたかは知らぬが、その後の姜維の噂を聞いたのだろう。
自分の不運を、姜維のせいと思い込み、恨んでいたのか。
あの小心なくせに執念深い馬遵のやりそうなことだ。
姜維は、苦々しく眉をひそめた。
             
         
大きくため息をつき、顔にかかった返り血を手で拭う。草地には、すでに息絶えた者、虫の息の者が七人転がっていた。
これからも狙われるかもしれない。しかし怖れる気持ちはなかった。
どのみち、戦場に出れば、同じことだ。
斬りかかってきたら、返り討ちにするまでだ。失敗したなら、そこまでの運命だ、斬られればいい。


姜維は、しんと醒めた思いで、血に染まった草地を眺め回した。
いつしか、日は山の端に落ちかけていた。
姜維は、身体中の血の匂いに顔をしかめた。こんな格好で明るいうちに城に帰ったら、さぞかし騒ぎになるだろう。
(もう少し暗くなってから、帰ろう)
振り仰いだ空に、一番星が淡く光を放っていた。