6.瑠璃の果て
   (Ruri no hate)




「おまえは、最初からそれを狙っていたのか? 私に、さらなる汚名を着せようと・・・」
中大兄皇子は、手のひらに冷たい汗が滲むのを感じて、ぐっとこぶしを握り締めた。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。呑まれてはいけない。
「だが有間、はたして、おまえに無実の証しがあるのか。赤兄は一応、こちら側の生き証人だ」
有間は軽くいなした。
「赤兄の言葉など・・・誰が信じるでしょう」
「私が、みなに信じさせる」
中大兄皇子の声にも、強い意志がこもる。
有間は、平然と微笑んだ。

「ならば、お調べになればいい。私の館、私と接していた者たち、どこをどう探っても、私があなたを討つために、何の備えもしていなかったことがおわかりになるでしょう」
「備え、だと?」
「人ひとり亡き者にすることの大変さは、蘇我入鹿を討ったあなたが、一番おわかりでしょう」
中大兄皇子は、胸のうちの暗がりを探られたように、眉をしかめた。

「どれほど綿密な企てをし、何人討ち手を用意したか・・・ああ、あなたご自身が、見事な討ち手でしたね」
有間の表情は、まるで、この事態を楽しんでいるようだった。
「あなたは、武芸にも秀でておられる。けれど、私はご覧の通り、女子の如き頼りなさです。剣も弓もたしなみません」
目の前のたおやかに白い顔。その腕は細く、指先もしなやかで、剣の重さを支えられそうには見えなかった。

「よもや、私があなたと相打ちでもいい、自ら斬り込もうとしたなどとは思いますまい。少なくとも、剣の腕のたつ者を数名、用意しなくてはならない」
有間は、満足気に笑みを浮かべる。
「その人選、打ち合わせ、他にも様々な備えが必要。人を討つとは、そういうことなのでしょう?」
中大兄皇子は、苦々しく顔をそらした。

そうだ、わかっている。蘇我入鹿暗殺の折、費やした労力の大きさ。
せっかく用意した討ち手は、入鹿を目の前に脅えきって、まったく足しにならなかった。
必死に剣を振るったのは、自分と鎌足だ。
血なまぐさい記憶を払おうとする中大兄皇子の耳に、なおも涼やかな有間の声が聞こえてくる。

「企てが事前に敗れたとしたなら、なおのこと、それらの形跡を何も残さずにいるなど、無理だとは思いませんか」
中大兄皇子は、唇を噛みしめた。
これだけ有間が平然としていられると言うことは、やはり実際の企ては、何ひとつしていなかったのか。
あくまでも、赤兄が勝手に騒いでいるだけだと、言い通す自信があるのだろう。

有間は、こちらの心を読んだように、ふっと口元をゆるめ、
「そうです、赤兄が何と言おうと、ただの思い込み・・・表面上は」
微笑んだ顔の中で、そこだけ少しも笑っていない目で、中大兄皇子を射抜く。
「けれど、あなただけは、私の真意を知っている・・・ さあ、どうなさいます?」
有間は、翻弄するように言葉を続ける。
「今殺さなければ、私はきっとこの先何度でも、同じことをする。あなたは、そう思わずにはいられないはず」


まるで、有間にじりじりと追い詰められているようだった。
おかしなことだ、と中大兄皇子は思った。
今、有間が自分に迫っている選択は、むしろ有間自身をも確実に滅ぼすものであるはずだった。
(しかし、なぜ?)
中大兄皇子は冷静さを取り戻そうと、ずっと心に引っかかっている、その一点の疑問に、考えを集中させた。

有間は、憎んでいる中大兄皇子の死を望んでいるわけではない。
自分を殺させて、中大兄皇子の名を汚そうとしている。
自らの命を切り札として、相手にわざと奪わせる。
このような考えは、中大兄皇子には絶対に浮かばない、不可解なものだった。
たとえ、どれほどの苦境、危機に陥ったとしても、人は生きることを前提に、きり抜ける道を考えるのではないのか。
相手への恨みを晴らすためなら、なおのこと。
なのになぜ・・・


「なぜ、自分の命を投げ出す?」
中大兄皇子は、思ったままを口にした。
有間の瞳は、少しも揺るがない。そして冷たいほどの声も。
「命など・・・ どのみち私は、永らえること叶わないでしょう。あなたがいる限り、あなたがいつか帝位をと望んでいる限り、私にやすらぎなどありはしない」

中大兄皇子は、ハッと胸をつかれた。
有間の言葉の底に、絶望をも超えた、醒めきった虚無が見える。
否、とは言えなかった。
確かに、どんな形であるにしろ、有間の存在を無視できないことが、中大兄皇子にもわかっていた。
鎌足が言うように、出家させれば、一時はごまかせよう。
けれど、古人大兄皇子の例もあるように、いずれはまた、疑惑や不安の種になる。
それが膨れ上がり、自分の足元を脅かす日が来る。
自分が帝位を目指す限り、いつかは有間を亡き者にしようとするのだろう。
中大兄皇子は、小さくため息をついた。
「そうだな。おまえと私が、共に在ることはできない、おそらく」

すべてわかった上での、捨て身の抵抗。
この年若い従兄弟は、紛れもなく、自分と同じ血を分け合っている。
強靭な意志、冷徹なほどの聡明さ、必要とあらば、何かを切り捨てることを迷わない潔さ、覚悟。
高みを目指すための血、受け継がれて行く帝の座。そこには、同じ血筋を持つ者同士の、逃れられない宿命が絡み合っている。
有間は、その冷酷な真実を受け入れ、自らの手で、己が命運を摘み取ろうとしたのか。
まるで、それが帝の血筋への報復であるかのように。
(けれど・・・)
ざわざわと、まだ納得しきれない思いが波だっている。


「私は、あなたの思い通りに、あなたの都合に合わせて殺されるなど、ごめんです」
有間は、きっぱりと、そう告げた。
「だから、自分で・・・」
何かが、中大兄皇子の心の中で弾ける。
その感情を掴みきれないまま、中大兄皇子は叫んでいた。
「違う!」
荒々しく発せられた中大兄皇子の声に、有間は、不審気に眉を寄せ、目を細めた。
「有間!おまえはなぜ、まっすぐ私を倒そうと思わない?」
中大兄皇子は、自分の言葉で、胸の中に渦巻く感情の正体がわかった気がした。

「共に在れないなら、私を憎むなら、すべてを賭けて私を葬ればよい。なのになぜ、私に倒されることを選ぶのだ!」
怒りだった。自分を倒そうとしない有間への、もどかしいような怒り。
中大兄皇子の目に、いつもの、相手をたじろがせるほどの強い光が戻っていた。
有間の言い訳を聞こうともせず、中大兄皇子は言葉を続ける。

「知略を尽くし、策を練り、人々を操り、こちらの弱みを突こうとする。それだけの度胸と知恵を持ちながら、なぜ最初から、負けることを選ぼうとしたのだ」
中大兄皇子の強い口調に釣られたのか、有間の声も高まる。
「わたしは、死ぬことが負けとは思っていません!むしろ・・・」
「負けだ!」
きっばりと、決め付けるように、中大兄皇子は言い切った。

「生きることを前提としない策など、すべて敗者の、臆病者の策だ!」
有間は、憤りのあまり言葉を失い、目を見開いた。
中大兄皇子の言葉が、張り詰めた心の内側に突き刺さり、ひび割れさせて行くようだった。
必死に築き続けてきた、自分なりの決意が、そして誇りが、今にも崩れ落ちそうな気がした。
そうだ、確かに自分は最初から死ぬことを覚悟した。
中大兄皇子の監視の目が、自分の周りに張り巡らされたことを知り、逃れられないとわかった時、命を捨ててでも、一矢報いる策を練った。


生き残るがいい。無実の者を何人も死に追いやり、残虐な血を皆に忌まれながら、生き続けるがいい!
いずれ、また同じことのくり返しとなる。
無事、帝位についたとしても、今度は自分の血を受け継ぐ者が、同じ目に遭うのだ。
ならばいっそ私は、呪われた帝の血など、自分から捨ててみせる。
そして、自由になる・・・そう思った。

けれど、それは、すでに負けを意味していたと言うのか。
たとえ手を汚してでも、帝位につき、この国を導いて行こうとする決意を持った中大兄皇子。
自分は、争うのを厭い、汚れるのを厭い、俗世から離れて清雅なままでいたいと言いつつ、逃げていただけなのか。
有間は、自らの迷いの中で、身動きが取れなくなった。


「残念だな。おまえが全力で私を倒そうと向ってきたなら、容赦なく斬り捨てることができた。だが・・・」  
ふいに、中大兄皇子の声の調子が変わる。低く、切なげに。
「今のおまえは・・・ 哀しすぎる」
中大兄皇子の目が、ひたと有間に据えられる。
それは、いつも有間が見知っている、冷たい輝きを湛えた目ではなく、深い悲しみに満ちた、温かささえ感じられるまなざしだった。
それを見たとたん、有間の心の中のタガが外れた。
頬が、紅潮する。唇が、小さく震えだす。

「憐れみなど、いりません!」

悲鳴にも似た、高く張り裂けるような声。
「あなたに憐れまれるなど、そんな・・・ そんなみじめなこと」
有間のわななくまなざしに、中大兄皇子は初めて、年相応の若さの持つ脆さを感じた。
そうだ、この者は、まだこんなにも若く、頼りない存在だったのだ。
「有間・・・」
その細い肩に、手を置こうとしたとたん、ピシッとはねのけられる。
有間は、追い詰められた小さな獣のような、脅えと怒りに燃えた目を、中大兄皇子に向けた。
「あなたが殺さないと言うなら、自ら命を絶ちます!」
「有間、なぜ・・・」

「あなたには、おわかりにならない! あなたは、帝位を望んでおいでだ。私は・・・帝に繋がる血など欲しくはなかった。平穏に、歌を詠んで生きられれば、それで・・・」
有間は、ぐっとこぶしを握りしめ、声を呑み込んだ。
ああ、そうだろう、と中大兄皇子は心のうちで深く頷いた。


おそらく、帝の血を引く者の誰よりも、有間は帝位から遠ざかることを望んでいたのだ。
けれど、父である軽皇子が帝になってしまった。
いや、そう仕組んだのは、中大兄皇子自身だ。
蘇我入鹿を討った直後に、帝になることはできず、代わりに傀儡(かいらい)となってくれそうな軽皇子を帝位につけた。
あの時から、有間の運命も、大きく狂ったのだ。

「けれど私はもう、後戻りできない。父上の魂に誓った、私自身が心に定めた」
有間はそう言い放つと、がくりと肩を落とし、俯いた。
「こうなるしか、なかった・・・」
細い肩が、震えた。
泣いているのかと、中大兄皇子は思ったが、すぐに顔を上げた有間の目には、涙の気配はなかった。
ただ、乱れた息を整えようとしている。
その様は、羽を痛めた鳥が、なんとかもう一度飛び立とうと、必死に力をためているように見えた。


「わかった」
中大兄皇子は、低く頷いた。
これ以上、何を言っても、有間の誇りを傷つけるだけだ。
有間は中大兄皇子の情けなど、わずかほども欲してはいない。
生き永らえることも、考えていない。
ならば・・・
「有間、望み通り、おまえを殺してやろう」
冷徹な声で、言い放つ。

有間の血の気の引いた顔から、一瞬、すべての感情が流れ去ってしまったかのようだった。
淡く虚ろな目は、何も見ていない。
魂を抜かれた美しい人形の如く、有間は動きをとめ、自分に発せられた言葉の意味を呑み込もうと、瞬きだけを繰り返した。
徐々に、その目の焦点が合ってくる。
「謀反の罪でな。赤兄が証人だ」
中大兄皇子は、口元に皮肉っぽい微笑を刻んだ。
「その後に、どのような噂が流れるかは・・・今までのおまえの手並みによるであろうがな」

中大兄皇子は、さらに言葉を継いだ。
「これは、帝の血を継ぐ者たちの宿命。昔から、そしてこれからも、逃れることのできない呪いのようなものなのかもしれぬ」
有間は、無言のまま、聞いている。
「ならば、私は今一度、その呪いを受けることとしよう。おまえが、私に課した呪いをな」
中大兄皇子の顔に、不敵な自信が覗く。

「そして、帝となる」

凛と響く、中大兄皇子の声。
有間の顔に、血の気が戻り始めた。
安堵したような、あきらめたような、不思議な表情のまま、有間は細い声をぽつりともらした。
「あなたらしい」

「おまえの恨みは、存分に背負ってやる」
それを聞いて、ようやく、有間はかすかな笑いを、口元に浮かべた。
「ではせめて、私が、あなたの最後の呪いになることを願いましょう」
中大兄皇子は目を細め、有間を見やった。
「そうだな、おまえだけで、もう十分だ」

有間は、すっかり落ち着いたように見えた。
先ほどまでの、平然とした顔を、中大兄皇子に向ける。
「あなたは、これから先のご自分の悪名を、どう晴らすか、せいぜいお考えになればいいでしょう」
その皮肉めいた声に、中大兄皇子は、あきれたように、有間の頭を軽くこづいた。
「最後まで、生意気な奴だな」
有間は、にっと小さく笑い返した。


ほんの一瞬、気遣わしげに有間をみつめると、中大兄皇子はゆっくり立ち上がった。
有間も、中大兄皇子を見上げる。
まっすぐ、静かに、ふたりの視線がぶつかる。
中大兄皇子は、すっときびすを返し、扉の前まで歩を進めた。
扉に手をかけたまま、ためらうように足を止め、振り向く。
「今更、このようなことを言っても信じまいが・・・」
穏やかな微笑みを見せる。

「有間、私は、おまえの歌がとても好きだった」
有間は、え?と言うように目を見開き、すぐに笑って首を振った。
「そのような・・・ 信じませんよ。第一、私ごときの歌、あなたの耳に入るはずもない」
「そう、かな」
「けれど」
有間は、ふと思い出したように、言葉を続けた。

「私の最後の歌だけは・・・ もしかしたら、あなたにも伝わるかもしれません」
「ほぉ、それはなぜだ?」
有間は、遠くを見るようなまなざしになった。
「ここまでの旅の間に、二首歌を詠みました。おそらくある人が、その歌を監視の者から聞き出して、みなに聞かせることでしょう」
中大兄皇子は、静かに頷いた。
「そうか。では、楽しみに待つとしよう」
そうつぶやいて、背を向ける。
すらりとした後姿が、扉の向こうに消え、ぱたん、と扉が閉まった。


* * * * *            


扉から少し離れた暗がりに、鎌足が立ったまま、うな垂れていた。
中大兄皇子が出てくると、黙って礼を取る。
「鎌足、すべて終わった」
「はい・・・ 皇子さま、大変なお役目を押し付け、申し訳ありませんでした」
「本当に、難儀なことを押し付けてくれたものだ」
中大兄皇子は、笑いを浮かべようとしたが、それは途中でぎごちなくゆがんだ。
「これしか、道はなかったのだな、やはり」
慌ててそらした瞳に、きらりと何かが光ったような気がして、鎌足はますます深く頭を垂れた。
中大兄皇子は、足早に立ち去る。
鎌足は、その姿勢のまま、扉の向こうに取り残された、か細い姿を思った。
心の中で、中大兄皇子にも、有間皇子にも詫びていた。
しんとした闇が、すべての音を吸い込んで行く。


* * * * *      


有間は、一人座ったまま、目を閉じていた。
ようやく終わった・・・そう感じた。
これで、すべての楔から解き放たれる。
もう、自分の中の恐怖や怒り、哀しみと戦わなくてもいいのだ。
まるで、硬い殻に閉じ込めるように、感情を抑え、人の心を操り、冷酷な策士になりきる努力をしなくてもいいのだ。
ふわりと微笑んだ有間の顔は、静かで、儚く、そして驚くほど幼く見えた。
表情を固く覆っていた氷の仮面が溶け出し、傷つきやすくやわらかい素顔が覗いたようだった。

自分は、何者として死んでゆくのだろう。
そう考えた時、突然、頭に歌が浮かんだ。
ここへ来る途中、磐代の浜で詠んだ歌だった。
「・・・ ま幸くあらば、・・・ また還り見ん」
ぽつりとつぶやいたとたん、膝に置いた手の上に、何か暖かいものが滴り落ちた。

はっとして目を開ける。
涙が、幾筋も頬を流れていた。
有間の記憶に、松の葉の緑が、そしてその砂浜の向こう、海原の青が、くっきりと鮮やかに蘇った。
「美しかったな・・・ なぜだろう、今になって、ようやく思い出した」
有間は、涙をぬぐうこともせず、ひたひたと胸に寄せてくる様々な思いに、身を任せていた。


* * * * *


数日後、額田王のもとには、有間皇子が最後に遺した歌があった。
監視の者は、頼まれた通り、有間の歌を紙に書きとめ、それを額田王に届けてきたのだ。
同時に、有間の最期についても、知らされた。
藤代の坂で、絞首されたのだと・・・

「皇子さま・・・」
額田王は、涙ながらに、有間の歌を読んだ。
二編あった。
どちらの歌も、さりげない調子で、旅の無事を願っている。
けれど、その底に、どれほどの切なる思いがこもっていたことか。
有間が、旅立つ時すでに、死を覚悟していたのだろうことは、額田王にも容易に知れた。
いや、もっとずっと前からかもしれない、と思った。

「皇子さま、すばらしい歌をお遺しになって・・・ きっとあの方も、この歌を見て、どれほどしみじみなさることでしょう」
額田王は、有間が目の前にいるかのように語り続けた。
「皇子さまはご存知なかったでしょうけれど。あの方は、ずっと、皇子さまの歌を愛でておいででした。お忙しい方なのに、私を見かけるたびに、皇子さまの歌をお聞きになりたがった」

有間の歌が記された紙を、やさしく指先で撫でる。
まるで、そこに逝ってしまった人の魂が宿っているとでも言うように。
「私が皇子さまに、あんなに歌をねだったのは、あの方にお聞かせしたかったから」
白い頬が、微笑みにやわらいだ。
「もっともっと、皇子さまのすばらしさをお教えしたかった」
額田王の目に、新たなる涙が溢れる。

「あの方、中大兄皇子さまに・・・」

額田王は、細い指先で、涙をそっとぬぐうと、有間の遺した歌を、ゆっくりと読み上げた。
ふくよかな美しい声が、晴れ渡った空へと流れてゆく。


磐代の 浜松が枝を引き結び ま幸くあらば また還り見む


ふいに、額田王の脳裏に、緑濃い松の樹が、そして青い広々とした海原が浮かんだ。
その海の面を、まっすぐ滑るように有間の姿が進んで行く。
ああ、行ってしまう、と額田王は思った。
声をかけようとしても、何の言葉も浮かばなかった。
ただ、ひどく美しい光景が、胸をしめつける。
ぽろぽろと、額田王の瞳から涙が零れ落ちた。

果てしない瑠璃の海の向こうへと、なつかしい有間皇子の、たおやかな後ろ姿が消えて行くのを、今、額田王は見送っていた。


                                                  (完)


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