スター・ウォーズ/エピソード1 ファントム・メナス

ポスター
スタッフ
脚本・監督・製作総指揮ジョージ・ルーカス
製作リック・マッカラム
音楽ジョン・ウィリアムズ

 ええと、気分的にかなり複雑でして、なかなか書く気が起きなかったんですが、だんまり、つーのもなんだし頑張って少し書いてみようかと(^^;)

 なぜ複雑かというと、自分の中でいまだに"オレが見たあれは『スター・ウォーズ』だったんだろうか"という気分があるからでして、なんか今回は映画の話をする以前に"スター・ウォーズ"ってなんだったのか?的なお話になってしまいそうな気がするんですが一つご容赦を。さて………

 予備校生だった頃に見た"スター・ウォーズ"の衝撃というのはそれはそれはすさまじくて、とにかく"映画ってこんな表現ができるのか"、という、まことに"センス・オブ・ワンダー"な世界に直結した驚きだったんであって、この一点において"ルーク・スカイウォーカーの冒険"って副題のついたエピソードIV〜VIまでの3作というのは、通してみても個別に見ても、何度見ても楽しく、わくわくして、最後になんかちょっとじーんときてしまう作品たちでした。これはたぶん映画の出来とかお話の面白さとか、そういうレベルの話とはちょっと違う、"環境"みたいなものを共有できた幸福感のようなものであったろうと思うのです。

 たとえば小説の"レンズマン"では、敵味方あわせて数万になんなんとする宇宙戦艦、ブラックホールや恒星そのものを爆弾にしてしまう超兵器、なんてものが宇宙空間を縦横無尽に飛び回るわけで、そういうのを幼少から読んで育った人間としては、宇宙船が一隻、惑星のまわりをぐるぐるまわってるのを毎週見せられるだけの宇宙SFなんて、面白くも何ともなかったんです(すいませんね(^^;)。何か違う。もっとこう、理屈抜きに"おおすげえ"って絵がみたい。ちゃんとしたメカニックが宇宙を翔けるシーンが見たい………

 そんなごくごく原初的な、見た目のハッタリを"さあどうだい"と見せてくれたのが最初の"スター・ウォーズ"だったわけで、この、大マジでハッタリを作り上げた世界に、僕はもう首まで漬かっちゃう快感に浸れることができたわけですね。これはちょっと、他の映画に対する楽しみ方とは違う物なのではないかとも思います。"体験した"のと"鑑賞した"ことの違いというのか………

 んだからそんなこんなで、わたしゃ、"スター・ウォーズ"と名前がついてはいるけれども、これはかつて自分が体験した、なんかこう理屈抜きの熱いものをもう一度与えてくれるような、そんな映画ではないのだろうな、と、わりと冷めた気分で見に行ったわけです。で、自分の気持ちの中にそういうところがあったせいか、特に気分が高揚するでもなく、かといってがっかりするようなこともなく、淡々とゴージャスな映像を鑑賞するにとどまってしまったのでした。

 もちろんいいところはたくさんある映画です。SFX技術の進歩はこんな絵がつくれるのか、って感じのさまざまなカットの完成度はさすが。今の映画の技術の最高峰にある物でしょう。"スター・ウォーズ"はいつもそうなんですが、じっとしてるとカッコ悪いメカが、動きだしたとたんにぐっとかっこよくなるところも健在。お芝居関係も総じていい感じ。幼いアナキン役を演じたジェイク・ロイド君のかわいらしくも凛々しいお芝居は、これが10才の男の子かいなと思わせますし、"レオン"の美少女、ナタリー・ポートマンも美しい。殺陣のキレもずいぶんよくなったと思います。オビ=ワン対ダース・モールの剣戟シーンはこれまでのシリーズ中最高に格好のいい殺陣なんじゃないでしょうか。

 にもかかわらず、この映画からはかつて感じた"スター・ウォーズ"の"薫り"みたいなモノが伝わってこないんですね。それがどういうモノなのかを説明できればいいんですが、たぶんそれは無理なんでしょう。だって説明できないモノをいきなり見せつけられたショックこそ、僕が"スター・ウォーズ"に入れ込む原動力になってるわけですから(^^;)………

 かつて、"よほど革新的な映像技術のブレイクスルーがない限り、ルーカスは新しい『スター・ウォーズ』をつくることはないのではないか"という説をどこかで読んだか聞いたかした覚えがあります。その"技術"、どうもCGIのテクニックだけでは役不足だったようですね。残念ですけど、これは僕にとっては"スター・ウォーズ"の正統な後継ではないです。よくできた、ゴージャスな映画ですけど、それだけ。

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