ファイナルファンタジー

ff.jpg/4.0Kb スタッフ
原作・監督・製作坂口博信
製作会田純/クリス・リー
共同監督榊原幹典
脚本アル・ライナー
声の出演
ミン・ナ(アキ)
アレック・ボールドウィン(グレイ)
ヴィング・レイムズ(ライアン)/スティーヴ・ブシェーミ(ニール)/ペリー・ギルピン(ジェーン)
ドナルド・サザーランド(シド博士)/ジェームズ・ウッズ(ハイン将軍)
公式サイト
http://www.FF-movie.net/

 30数年前に獅子座流星群とともに地球に接近し、燃え尽きることなく落下した一つの隕石。その中にはあらゆる生命エネルギーを奪い去る、謎の精神エネルギー生命体、"ファントム"が潜んでいた。"ファントム"の災厄と、それを根絶しようとする人間と"ファントム"との間での30年にわたる戦闘は、地球環境を徹底的に破壊した。そして今、2065年の地球は、バリアによって厳重に防御されたいくつかの都市の中に、わずか1億7千万人の人間が明日をも知れぬ生活を送る星となってしまっている。しかもその間にも"ファントム"は着々と勢力を拡大し、地球の余命はあといくばくもない状態なのだ。軌道上に建造した超大型兵器、"ゼウス砲"による乾坤一擲の大勝負に出ようという、ハイン将軍をはじめとする軍部と、"ファントム"の精神エネルギーを解明し、その活動を無力化しようとする、シド博士とごく少数の彼の協力者たちのグループの間で意見の対立が続く中、かつてお互いに惹かれあう間柄だったシド博士の助手、アキと軍のエリート特殊部隊のリーダー、グレイは廃墟と化したニューヨークで思いもよらぬ再会を遂げる、そして………。

 全編フルCGIで製作された話題の映画。その野心的な製作企図とは裏腹に、興業収益的には惨敗を喫し、おそらくスクウェアが作る、最初で最後の映画になるであろう作品。お客さんの反応ってのは案外正直で、面白くないものはちゃんと嗅ぎ分けてしまうわけで、その嗅覚はまったく正しい。ありていに言ってつまらんのだ。なにより映画としてとことんつまらん。これが致命的。

 ガイア理論であったり、獅子座流星群だったり、精神もまたエネルギーである、とするコンセプトであったり、いろいろと今風なヒキを用意して、観客の興味を惹こうとしているのはわかるのだけれども、映画って言うのは何よりお話な訳で、いろんなヒキがお話の中に上手に取り込まれ、それらのネタがスジを追っていく中で絡まったり離れたり、思わぬところで思いもかけぬ意味を持って登場してきたりするから面白いのであって、単純に獅子座流星群と一緒に何かがやってきたー、大変だー。これを解決するのはガイア理論だー、などとやられてもお客が楽しめるわけがないでしょうが。

 これ、ゲームだったらまだしも救いようがあったんだろうと思う。とりわけRPGって言うのは文字通り、プレイヤーが(ロール)演じる(プレイング)ものである以上、お話自体はプレイヤーの行動によってどんどん補完が効く、ていうかうまく作られたRPGとはお話自体は上手に"足りない部分"をつくっておいて、そこをプレイヤーがそれぞれのお話で補完していって、一つのスジを作っていくようなものになっているわけだけど、映画はそういうわけには行かない。お話を楽しんでもらうためには、楽しめるお話が用意されてなければならない。その辺をこの映画のお話を作った人たちは、少々甘く見ているのではないか。

 なんていうかな、映画が始まった直後から、見てるこちらがバカにされているような感じを持ってしまうんだった。シャープなデザインの宇宙船、訳ありの美人科学者、破滅に瀕した地球、攻撃ばかりを主張する軍人たち、謎の精神生命体、それに対抗する軍のエリート特殊部隊(しかもその構成は黒人の鬼軍曹、マッチョな女性兵士、軽口ばかりの白人兵士、って、なあ、おい)、異端視される科学者に最終兵器。あのねえ(^^;)。

 世界一の大富豪が、DoGAのコンテストに持ち込んだ作品、って感じなんだよなあ。知ってるネタを片っ端からつぎ込んで、それを最低限のスジでつないだだけの作品って感じがする。お話になっていない。普通ならここで完全にアウトなんだけど、んじゃこの映画を単なるクズ映画、と位置づけてしまっていいかと言われるとこっちはちょっと微妙。スジが来たからにはヌケとドウサ(それぞれお話、映像、芝居のことです。マキノ雅弘氏の言葉なんだとか)にも言及するならば、この作品、少なくともヌケに関してはかなりいい線行ってると思うし、ドウサにもなにがしかの可能性を感じさせてくれるんだな。

 この辺は実際に映画を見た人なら同意してもらえると思うけど、掛け値なしにスクウェアの技術はすごい。本当に、CG役者を生身の人間と錯覚してしまう時が、ある。まだまだ所在ない芝居を所在なく演じるまでには至っていない(どうしても"同じ表情"をしばしば見てしまうのは辛い)けれども、特定の条件の下では、CGIは完璧に人間の芝居に取って代わることができる、その可能性を見せつけたって点は大きいと思う。オレはもっと人間の動きとか、ぎごちないところが多いのじゃないかと思っていたのだけれど、意外に気になる場所は少なかった。同じ表情が繰り返される問題とか、言ってしまえば揺らぎとか、ノイズが入らなくて不自然に感じるところはあるけれども、総じてCGIのレベルは高い。それだけにこの技術をこういう風に使ってしまったのは惜しかったと思うなあ。

 映画の魅力の一つに「こんな映像、どうやって撮ったんだろう」って驚きがあると思うんだけど、この映画、最初っから「こんな映像、CG使えばできるのね」ってのがわかっちゃってるわけで、そりゃあ苦戦もするわなあ、と今思いましたね、はい。

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