![]() |
スタッフ | |
---|---|---|
監督 | ヤン・スヴェイラーク | |
製作 | エリック・アブラハム/ヤン・スヴェイラーク | |
脚本 | ズディアック・スヴェイラーク | |
撮影 | ウラジミール・スムットニー | |
編集 | アロイス・フィシャレーク | |
音楽 | オンドジェイ・ソウウップ/ズビニェク・ミクリーク | |
キャスト | ||
オンドジェイ・ヴェトヒー タラ・フィツジェラルド クリシュトフ・ハーディック チャールズ・ダンス/オールドリッチ・カイザー/ハンス・ヨルグ・アスマン デヴィッド・ノヴォトニィ/ラディム・フィアラ/ルーカス・カンター |
||
公式サイト | ||
http://www.albatros-film.com/movie/darkblue/ |
戦争が終わってやってきたのは共産主義者たちだった。かつて祖国の自由のため、他国の義勇兵としてドイツと戦い続けた戦士たちは、ともに戦った国がブルジョアジー国家であったと言うだけの理由で逮捕され、今は死のみが恩赦となる収容所で強制労働の毎日をしいられている。そこは暗く、辛く、見渡すばかり灰色の世界。だがそんな中で、かつて友と飛んだ青い空、仲間の命を飲み込んだ青い海、そして愛してしまった女性の思い出を今もなお鮮やかに心に持ち続けている一人の男がいた。フランタ・スラーマもとチェコ空軍中尉。過酷な労働条件下で肺炎を煩い、収容所内の診療所で治療を受ける彼の脳裏を、様々な想いが駆けめぐる…。
チェコ・英国共同製作映画。本国チェコでは国民の10人に1人がこの映画を観たという。
お話は、強制収容所に入れられ、重病で診療所に運ばれたフランタと同室の患者、元SSの医師との間での暗く重たい雰囲気の中での言葉のやりとりと、唐突に切り替わる色彩豊かな英国での思い出がカットバックで構成されている。暗く重たい彼らの"現在"では、体制によって厳しく管理される現在の自分たちにとって、恋や友情がなんになるのか、という問答がいろいろな形で繰り返され、色彩豊かな過去の回想では、その恋や友情が、けして思い通りには行かないものであったとしても、でもそれは信じるに足るすばらしいものなのだと言うことが語られていく。いくつかの痛みや、悲しみ、修復されない傷を残すことはあっても、それでもそれはすばらしいものなのだ、と。
フランタ、カレル、スーザンを巡る恋模様、フランタとカレルの友情は、誰一人納得のできない形で終焉を迎えてしまう、それはそれで悲劇なのだが、個人が個人の意志の元に取った行動であれば、それはどんな結末であれ、少なくとも認識し、受け入れることができる。だけど突然降りかかる訳のわからぬイデオロギーと、それに操られて"個"であることをやめてしまった人々による無意味な圧迫には、その大元がどこに潜んでいるのかがわからないが故の、言いようのない怖さがあるのだ、と、そういうことを言いたかったのかなあ、と思った。
などと書くとずいぶん重たい話のように感じられるかも知れないけど、脚本がうまいのだろうな、確かに奥底には重いテーマがあるのだなあと感じつつも、お話自体はとてもわかりやすく進んでいく。ここらはうまい。暗く重いテーマ、甘く切ない恋物語、そしてそういう暗い気分を振り払うかのように空を舞うスピットファイアの爽快な映像(涙が出るほどステキ。敵役のイスパノ・メッサーも)のバランスが、とても上手に取れているのだろうな
さてラスト。暗い、灰色の収容所に射す陽の光の美しさが何を意味するものなのか。これがフランタたちにとって完全な救いの光なのか、たまたま射した明るい光なのか(個人的には後者なのだと思うけど)、これが意味するものはなんなんだろう。いびつなイデオロギーの暴走など、結局は長続きしはしないのだ、ということなのか、ばかばかしい制度や体制などとは別のところで、人間の本質というものはそう簡単にはねじ曲げられたりはしないのだ、と言うことなのか。わかりやすいハリウッド映画ばっかり観てると、映画を観て何かを考えるってことを忘れてしまうのかも知れないね。エンドクレジットが終わって劇場に灯りが戻っても、何となく椅子を離れたくないような気にさせられる映画でありました。
・あまりにもどうでもいいツッコミ。
本編のヒロイン、スーザンの夫は海軍士官として洋上勤務にある訳だが、彼が座乗してるらしい艦の写真がどうみても(アメリカの)サウス・ダコタ級戦艦に見えるんだけどなあ。夫はアメリカ人なのかしら………つーか待て待て、映本土航空決戦当時、まだサウスダコタ級は完成してないじゃん。これは一体どうしたことか…