「メディアの権力」

表紙

デイヴィッド・ハルバースタム 著
筑紫哲也・東郷茂彦・斎田一路 訳
カバー 伊藤鑛治
朝日文庫
ISBN4-02-261267-3 \980(税別)
ISBN4-02-261268-1 \980(税別)
ISBN4-02-261276-2 \980(税別)
ISBN4-02-261277-0 \980(税別)

 「ベスト&ブライテスト」でケネディ、ジョンソンとそのまわりに集まった大統領のマシーンたちの栄光と挫折、自信と失意、希望と誤算を余すところなく描き出したハルバースタムが、その後5年の歳月をかけて1979年に発表したのがこれ。前作と表裏をなすような形で、今度は行政、立法、司法に続く「第4の権力」となったメディアから、ワシントン・ポスト、タイム、ロスアンジェルス・タイムズ、CBSというアメリカを代表する4つの報道機関と政治権力との関りを描いて読み応え充分。

 新聞、雑誌、ラジオ、そしてテレビと時代ごとに移り変わっていくメディアの表現形式のなかで、その特性を正しく理解でき、自由にそれを操ることのできる政治家だけが生き残り、権力を握ることができるのだということが、本書のなかでのルーズヴェルト、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンという歴代アメリカ大統領のエピソードから鮮やかに浮かび上がってきます。

 メディアの特質を正しく理解し、積極的にそれを操作することのできたルーズヴェルトとケネディは自らの権力をさらに強固にしていくためにメディアを自由自在にコントロールできたのに対し、その特徴と力を正しく理解できなかったジョンソンとニクソンは、やがてメディアによって手痛い打撃を受けることになるわけ、ニクソンが辞任に追い込まれたウオーターゲート・スキャンダルがそれを端的にあらわしているといえるでしょうか。

 新聞から始まったメディアは、雑誌という傍流と共に全盛期を迎え、次にラジオの時代がやってきて、さらにテレビの時代になっていくわけですが、このメディアの表現手法の移り変わりに伴って、メディアを受け取る側(つまり、我々ですね)が徐々に忘れっぽくなっていく、というハルバースタムの指摘は大変説得力があります。おそらく紙のメディアだけが報道であった時代であれば、一度失脚に近い敗北を喫したニクソンが、それから程無くして再び大統領選に出馬し、さらに当選してしまうようなことはありえなかったでしょう。まして彼にはかつての「赤狩り」でもっとも先鋭的なタカ派としてならした人物だっただけにその感はなおさら。

 また、メディアが人々に与える影響力が新しくなるにつれ、強力になっていることも見逃せないでしょう。「読む」「聴く」そして「見る」と、受け手の行為がより努力を必要としない方法になっていくにつれ、そのメディアの与える影響力は有無を言わせぬものになっていく、その様子も鮮やかに描き出されています。

 ボビー(ロバート・ケネディ/注 乱土)は言葉を続けた   ぼくの少年時代、子供たちに大きな影響を与えるものが三つあった。家庭、教会、学校だ。いまや、四つにふえた。テレビが加わったのだ。
 その数年後、テレビはその中で、少なくとも第二位を占めるようになったのだ。

 本書が世に出てからさらに20年。世の中にはさらにインターネットという新しいメディアが登場しています。画期的なメディアであることは確かなのですが、このことがさらに市民たちの"忘れっぽさ"を助長することにはならないか。一人一人がその事に対して、いっそう注意深くならなければならないのでしょうね。

99/11/12

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