ダニエル・キイス 著/堀内静子 訳
カバーイラスト 影山徹
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ ダニエル・キイス文庫
ISBN4-15-110106-3 \660(税別)
ISBN4-15-110107-1 \620(税別)
理解者の助けと理想的な環境下で、徐々に人格の統合が進められるかにみえたビリー。だが、そんな彼の置かれた状況を必ずしも快く思わない一団の動きは、徐々にエスカレート。ついにビリーは、オハイオ州きっての劣悪な環境といわれる州立ライマ病院へと送られてしまう。そこは、ただ立ち上がれば命が助かるような状況下で、自分の意志だけで首つり自殺を強行する患者が20人以上出たといういわくつきの病院。いったん好転しかけたビリーの多重人格症状は、この過酷な環境下で再び取り返しのつかない危機に直面することになったのだった。
「24人のビリー・ミリガン」の続編。前作では必ずしも大団円とはいえなかったラストの部分、比較的あっさりと語られたその部分に実はどういうことがあったのかが詳しく語られます。"多重人格"という、一般に馴染みが薄く、その本質をうまく理解できない人が大部分というただいま現在の世の中で、その病に囚われたビリーには、これまで以上に過酷な運命が待ち構えているわけですが、そんな中さまざまな曲折の末、ついに"統合された"自分を取り戻すまでのビリーの軌跡は感動的です。が、しかし。
これは直接ビリーの物語にかかわってくるような話ではないのですが、この"多重人格"という考え方が秘めた、非常にヤバい可能性についても、あらためて考えなくてはいけないのかなあ、という気持ちもまた新たになりました。
ビリーの物語の場合、ビリー自体に"善"を司る人格があり、最終的に統合されたビリーは、多重人格の問題はあるにせよ、自分が罪を犯したことについてはその事実を厳粛に受け止めている、つまり、結果的にビリーはその本質が"善"寄りであったがゆえに自分も、そして周囲も救済されたわけで、そのこと自体はすばらしいことなのですけれども、それではたとえば、地下鉄に毒ガスを撒くことを指令したあの人物が突然、自分は多重人格だと主張しはじめたら、その時人々、とりわけビリーが多重人格に分離せざるをえない理由があることを認識し、その事を理解できたような人々は、ビリーのときと同じ情熱を件の毒ガス人間にも注げるのか、それは感動的な話になるのか、ってところなんですわ。
ものごとはすべて相対的、見たいな逃げ方もできなくはないのかもしれないですが、果たしてそれでええのんか、ビリーの物語は感動的に完結しましたが、それではすべての多重人格症に悩む人に、本質的にビリーと同じゴールがあり得るのか、ってのは難しい問題であるように思います。
基本的な解決策はただ一つ、一つの人格が分離しないような、そんな(多くの場合)幼児期であるように、人々が気をつけてあげないといけないものなのでしょうが、うーむ、なんか消極的なんだよなあそれだけじゃ(^^;)
99/10/16