「裁判ゲーム」

裁判沙汰になるとこんな目にあう!

表紙

 別冊宝島編集部 編
 カバーデザイン 坂川事務所
 写真 田中史彦
 宝島社文庫
 ISBN4-0966-1596-2 \562(税別)

 「別冊宝島」の文庫化。親本は1993年・刊。5年前の本ということになりますが、日本における「裁判」てものの状況というのははたして変わったのかそうでもないのか。新聞などを見るにつけても、どうもその答えは後者のような気がしますね。

 我々は(というか僕個人は)割と馬鹿正直に、裁判所、あるいは裁判官というものは多少の偏りはあるにしても、おおむね公正なものであり、一般に我々が考える判決とは少々違った結果が出たとしても、厳密に法解釈を行った場合、そういう結論を出さざるを得ないのかもしれないな、などと考えていたのですけれども、どうもそういうモノでもないようです。

 「裁判官になる奴はみんな子供のころから優等生なんですよ。他人よりも評価を落としたくないと思って勉強してきた。だから、毎月評価され、他人と比較されるようになると、競争意識が生れ、はりきるのですよ。効率よく裁いていくと、じつに気持ちがいい。僕自身そういう時期がありましたからね。」

 最近とみに評判の悪い、官僚たちのことではなく、これは裁判官であった人物がみずから語る言葉。何のことはない、学歴偏重、偏差値優先の日本的な優等生が、裁判所のなかでもやはり大きな勢力として存在する、ということか。ここには「公平」も「構成」もなく、あるのは「能率」だけ。勢い「公正に正邪を判断する」コトよりも「波風を立てない判決を心がける」体質が、裁判官にも染み込んでいる、ってわけです。ある意味恐ろしい話。

 しかも建前上は「公平」が重視されるために、裁判官たちは他人との付き合いに極めて慎重で、いきおい世間知らずな人物になってしまうようです。本書でも語られる事例に、ゴルフ場でプレイヤーが打ったドライバーショットが、別の組のキャディーに当たってケガをした、という事件がありますが、この事件に対する判決が"スコアが100程度の人はドライバーは使うべきではない"というものだったというのはもはや笑い話レベル。でもこれが"判決"なんですよ、恐ろしいことに(^^;)。

 これにかぎらず、本書のなかでは、一般に我々が抱く「裁判」についてのイメージがことごとく打ち砕かれるような事例が次々と紹介されています。弱者の最後の砦であるべき「裁判」が、実のところ強いものほど有利になっている、という現実には、少々暗澹たる気分になってしまいますね。

 そう、わかっていただきたい。無実の罪で捕まっても無罪になるなんて考えてはいけないのだ。あきらめてください。弁護士も人の子でそこまで面倒見きれない。裁判所というのは耳を貸さない、目を開けない、無罪を争っても多くは儀式である。検察の起訴事実に沿って有罪にしておけば責任を感じなくてすむが、無罪となれば自分の判断を入れなければならない。面倒くさいし、自信も勇気もない。ピリッと目の醒める弁護活動をする弁護人もいない。

 これが日本の裁判所の現実の姿だとしたら、ワタシら、どうしたらいいんでしょうね(^^;)

99/10/2

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