「医学者たちの組織犯罪」

関東軍第七三一部隊

表紙

常石敬一 著
カバー装丁 田村義也
朝日文庫
ISBN4-02-261270-3 \660(税別)

 森村誠一さんの「悪魔の飽食」などで一躍その存在が知られた旧日本陸軍、関東軍第七三一部隊、通称"石井部隊"。禁断の人体実験により、さまざまな細菌兵器の開発研究を行ったとされるこの機関には、とうぜん、当時の日本の医学会の俊英が集められていたわけです。彼らはそれなりに抜き差しならない状況下であったにせよ、中国人を主体にした捕虜たちを使い本来人道上不可能な人体実験を次々と行ない、さまざまなデータを収集していった訳ですが、ではそんな医学者たちは、戦後どうなったのか。

 京都大学を主体にした当時の気鋭の医学者たちは、人によっては決して望んでそうしたわけではないにせよ、恩師のなかば強制に近い薦めなどで石井機関に参加し、そこで通常であれば決して実行不可能なさまざまな生体実験に手を染めた人々の多くは、終戦後、そのことで特に非難されるでもなく、順調に医学会でその地位をのばし、学会、産業界で高い地位についているのだそうです。著者の常石さんはその理由を、閉鎖的な日本の医学会の体質に求めます。

 しかし今もう少し退いて考えてみると特に隠すという意識すらないのかもしれない。それは戦争中も同じだった可能性が高い。それが部隊の医学者による人体実験を、彼らが発表した論文その他によって意外に容易に立証できたことの原因かもしれない。それは次のように考えられる。非医学会の人間にとっては、自分が被害者・被験者にされるかもしれないかもしれない、あるいは殺されるかもしれないと思うから、残虐行為であることが理解できる。しかし医学会の人間にとってそれらは日常的な営みであり、特別な行為ではないということなのだろう。

 ちょっとややこしい文体ですが、つまりは"研究"という名前がまず先に立ったとき、狭く閉ざされた日本の学会はお互いに自分がやっていることの問題点を指摘するよりは、変な仲間意識が先に立ち、重要なことをあっさり忘れてしまう体質がある、ってことでしょうか。薬害エイズの一連の流れなどを見てみても、そういう流れは今になっても変わってはいないようです

 戦争には(少なくとも今までの歴史のなかでは)、さまざまな悲劇を生み出す顔と、科学技術の飛躍的な発展を促進する顔という二つの側面があると思うわけで、すべてを単純なヒューマニズムだけで断じてしまうわけにはいかないとも思うのですが、少なくとも何かをやった人は自分がやったことに対して、最低限自分がそれにかかわっていたのだという意識を持ちつづけることは大事なことだと思います。どうもわれわれ日本人は、"恥"は知ってるけど"責任の所在"みたいなモノはいつもいつもうやむやにしてしまう国民のような気がしてきました。困ったことです。

99/9/13

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