蒼海に舵をとれ

海の覇者トマス・キッド(2)

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ジュリアン・ストックウィン 著/大森洋子 訳
カバーイラスト Geoff Hunt
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫NV
ISBN4-15-041043-7 \940(税別)

真に畏怖すべき敵

 戦列艦デューク・ウィリアム号をあとに、新たな任地に向かうキッド、その親友レンジ、さらに何人かの水兵たち。彼らが向かう先はさまざまな武勲で知られるフリゲート艦アルテミス号。巨大な戦列艦と違い、何もかもにスピーディーな動作を有給されるフリゲートの暮らしに最初はとまどったキッドたちも、徐々にこの新しい環境になじんでいく。ナポレオンの軍勢を相手に陸では劣勢の続く英国だけに、海軍の活躍だけが英国民の希望。そんななか、さらに武勲をその歴史に刻んで帰港したアルテミス号に新たな任務が。それははるか東方、インドへの航海であった。しかもアルテミス号の最終的な目的地はまだ先だという。見知らぬ極東の地でキッドたちを待ち受けるものとは…

 ということで強制徴募で無理矢理水兵にされてしまったもとカツラ職人、トマス・キッドが海の男として少しずつ成長していく姿を描くシリーズ第二弾。前作では慣れない水兵暮らしで泣き言垂れまくりだったキッドも、いつの間にやらたくましい海の男に成長し、今度は逆に(おか)での生活が自分にとって馴染めないものになってしまっている。たった一話でここまで海の男になっちまっていいものかとも思うんだが、まあしかたがないか。

 さてこのシリーズ、なりたくもないのに船員になっちゃった男が主人公ってだけでも充分型破りなんだけど、本書ではいわゆる海洋冒険小説のお約束のパターンってヤツを全く無視してお話が進むってあたりもかなり、型破りなものになっている。たとえば「ボライソー」シリーズだとおおむね、一話の中で海戦→陸戦→海戦、ってパターンがあって、この矢印の中にいくつかの人間ドラマがはさまる、みたいな構造になってるんだけど、本書では目立った海戦は一度だけ、それもお話が始まってすぐに行われ、あとは延々と長く辛い航海と、その果てにたどり着いた全く異種の文明との遭遇、その中で発展する小さなロマンス、そしてまた長く辛い航海、その果てに…なんていう作りになっていて、この手の小説にはある程度ワンパターンを期待して読んでいる私なんかは、「ダレ場が終らんなあ」なんていう感想をついつい持ってしまうわけなんだがそれ故、読後に残る感覚はなにやら深く、新鮮なものがあった。ちょっとネタバレになっちゃうけど…

 いくら戦争のさなかだとはいえ、多くの軍艦にとって、その生涯の大部分というのは敵よりもまず、自然との闘いに費やされるわけだよな。その船に乗り組んだ人々にとっても、その暮らしの大部分って言うのは実戦に費やされる時間じゃあなく、厳しい船上の生活であったり、たまさかの上陸でのらんちき騒ぎだったり、(ごく希にうまれるかもしれない)故郷を遠く離れた土地でのささやかなロマンスだったりするわけだ。一瞬のはなばなしい戦闘の陰に隠れてしまっている、長く、辛く、少し切ない船乗りたちの物語、と言う意味でとても"リアル"なものになっている、と言えるのかもしれない。ブーフハイムの「Uボート」(映画版でなく、小説の方の)での、長い長い長い、そして退屈な哨海任務の描写がいつか、圧倒的な存在感をこっちに感じさせてくれるような、そんな感じ。ちと褒めすぎだが。

 だからこのお話では、最後の見せ場は圧倒的に不利な状況で敵との勝負に臨む主人公たち、ではなく、屈指の難所、"吼える南緯40度"、"狂える50度"を超え、ホーン岬をまわるアルテミス号の人間たちと、荒れ狂う大自然との攻防であり、そして、その難所を乗り切ったと思った、その後にやってくるもう一つの難敵、と言う事になっている。「ダレとるなあ」と思いながら読んでいった私なんだけど、このラストの持って行き方にはちょっと感心した。全体にやや、散漫な印象も無しとしないけれど、うん、こういう海洋冒険小説もあっていいんじゃないかな。「つまらんなあ」と思いながら読んでいって、最後の最後になぜか「面白かったかも」と思えてしまう不思議な本でありました。

03/09/02

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