風雲の出帆

海の覇者トマス・キッド(1)

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ジュリアン・ストックウィン 著/大森洋子 訳
カバーイラスト Geoff Hunt/Kervin Tweddell
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫NV
ISBN4-15-041000-3 \860(税別)

叩き上げだよ英雄(ヒーロー)

 ある日の英国。友人たちとパブで談笑していたカツラ職人の若者、トマス・ペイン・キッドの運命はその日を境に大きく変わってしまった。突如パブに乱入した英国海軍の強制徴募隊(プレス・ギャング)によって否応なく拉致され、英国軍艦デューク・ウィリアム号の乗員として生きていくことになったのだ。時はまさにフランスで起こった大革命がいよいよその炎を大きく燃え上がらせようとする1793年、何が起きたかもわからぬまま、過酷な軍艦乗組員として苦闘するキッドを乗せたデューク・ウィリアム号は、フランス沿岸に向けて出帆する………。

 ハヤカワNV文庫、1000タイトル記念の新シリーズは、2001年に英国で出版されるやベストセラーとなった、新しい海洋冒険小説。時代的にはホーンブロワーやボライソーなどが活躍していた時期とちょうどかぶる、18世紀の後半。帆船ものの海洋冒険小説にとっては一番華やかな時代。これまでの海洋冒険小説の人気シリーズが、みな主人公を士官に設定していたのと違って今回の主人公、トマスは、海のことなど何も知らない、ただのカツラ職人。今で言う戦艦にあたる、巨大な戦列艦に乗せられたはいいが、何もかもが始めてで、しかも過酷。そんな暮らしの中にありながら、優れた友人と知り合い、また、今まで見たこともない広い海を体験することで、自分の中に秘められてた海の男の血がたぎって………、とまあそんなお話。

 ちょうどボライソー物の第一作、「若き獅子の船出」にとっかかりの雰囲気はちょっと似てるかな。主人公がかたややる気満々、かたや「なんでオレが」って状態なのを除けば、まずは巨大な戦列艦で、不慣れな海の暮らしを一つずつ覚えて成長していく、ってあたりだけは。

 若い(確か初登場時は12歳ぐらいじゃなかったかな)とはいえボライソーは士官候補生なんで、一般の乗組員からは「サー」だの「ヤング・ジェントルマン」なんぞと呼ばれ、それなりの敬意も払ってもらえるけれど、トマスの方はそれまで海のことなんか知らずに育ってきた若者。船に乗っても"陸者(おかもの)"と呼ばれ、一般の水兵以下の扱いを受けるわけで、シリーズ開幕編の本書でも、トマスの目を通して、巨大な軍艦に乗り込んだごく普通の乗組員たちの船での生活が事細かく描写されてて、そこはなかなか新鮮。先発のシリーズ物では主人公の周りで胴体がちぎれてのたうったり、砲弾にぐちゃぐちゃにされたりするその他大勢たちが、この本ではみなそれぞれに個性を持った存在として描かれている。その分大所高所からの見渡しに欠けるところがあり、この手の小説の最大の魅力である、操艦術の限りを尽くした帆船同士の海戦シーンのおもしろさがちょっと控えめなのは残念かな。このあたりはまあ、キッドがこの後出世して行くにつれて味わえますよ、お楽しみにね、ってことなんだろうけれど。

 著者、ストックウィンの構想ではこのシリーズ、年1作のペースで、全11巻を予定しているんだとか。果たしてこの先、もう11年長生きしたいと思うようになるかどうか、これ一作だけではわからんので、次の作品をとりあえず待ってみるとしようかね。とりあえず本書に限るならば、水兵たちの視点から見た英国海軍、という部分は興味深かったけれども、お話としての引っ張り力みたいな物は(たとえばボライソー物なんかに比べると)少々弱いかな、という気もする。なにせ巻き込まれ型主人公なので、巻き込まれた場所で戦い抜いていくための強力な動機が必要だろうと思うんだけど、その辺、どうかな?とは思ったな。この辺もあわせて、次作に期待。

 ちなみに一介の平水夫がトントン拍子に出世する(するだろうな、当然)なんてうまい話がほんまにあるんかいな、とはアナタもワタシも当然抱く疑問ではあるけれど、ストックウィンさんの取材によるとこの時代、水兵から士官になった者が120人、そのうち22人は艦長まで務め、さらにそのうちの3人は提督まで昇進しているんだそうです。とりあえず我らがトマス君も、がんばれば提督位まで上り詰めることは可能ってわけですな。

02/02/01

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