米原万里 著
装画 N・V・パルホメンコ
カバー 大久保明子
文春文庫
ISBN4-16-76101-8 \562(税別)
ロシア語の同時通訳者として、また最近は作家、エッセイストとしても活躍している米原万里氏の文庫版最新刊。シモネッタとガセネッタとは、イタリア語通訳の名手、田丸公美子氏と、スペイン語に関するこれまた名手、横田佐知子氏に奉られた尊称、と言うか屋号、正式にはそれぞれ"シモネッタ・ドッジ"と"ガセネッタ・ダジャーレ"、なんだって。通訳と言う人種がガセネタや下ネタ大好きの人間の集まりである、と言う意味では決してなく(いやそう強くは否定できないかも知れないが)、とりわけ当意即妙の翻訳が必要とされる同時通訳の世界では、単なるAからBへの翻訳にとどまらず、話し手のガセを上手くごまかし、ジョークのつもりの下ネタを、直ちに別の言葉でそれに類するフレーズを見つけて翻訳し、その場に笑いを巻き起こすだけのセンスと知識が必要とされる、つまりこれは通訳に対する最大級の褒め言葉のようなものなのだ………ろう、きっと。
二つの異なる言語と、それぞれの言語の背景にある膨大な文化の仲立ちとなる通訳、と言う仕事の悲喜こもごもを、軽妙に、時には幾分かの警告混じりに綴るエッセイ集。わたしゃ日本語が少々できる程度の人間なので、二つの言葉とそのバックグラウンドを同時に参照し、お互いの意思疎通の仲立ちをやってのけてしまう人間、なんて言う存在は無条件に尊敬してしまうわけだが、そんな人たちが仕事の中で出くわす困った事態と困った人たち、取り返しのつかない失敗談が面白くないわけがないのである。プロがやらかす珍プレーが一番面白いのと同じ理屈かしらね。
そのうえで、これら外国語を自由自在に扱う人々こそが、一番分かりやすく、きれいな日本語を使っているよなあとも感じる。異なるルールでできあがっている二つの言語の間で、"意味"を間違えなく伝えようとする人々が、一番言葉という物に敏感な存在なのだろうね。そして、意味を伝える事の重要さを知り抜いている人たちだからこそ、実は他の誰よりもものごとに対して柔軟である事もまた可能なのだろうと思う。
どんなに時の為政者が、強大な権力にものを言わせて強要しようと、正義をふりかざす団体が当然とばかりに圧力をかけようと、どんなに権威ある学者や専門家が高邁な学識を動員して啓蒙しようと、圧倒的多数の人々が、その言葉を使うようにならない限り、その言葉は言葉になれないのである。このあたりは、小気味よいほど単純民主主義なのだ。
だからこそ、己の美意識を露ほども疑うことなく、
「日本語はこうあるべきだ」
と悲憤慷慨する人の姿は、何だかひどく哀れでおかしい。
まことにもってその通りだと思います。
ってことでここでCMが入ったことにして、クイズの答え。駄洒落ってのは通訳の上で一番むずかしいもので、ここで泣かされる通訳の方は数知れないのだが、にもかかわらず同時通訳者たちには駄洒落好きが多い、と言うエピソードから。
(少し前略)生真面目度においては、優劣つけがたい韓国語族も負けてはいない。
「米原さん、金正日総書記の好物、知ってますか?」
なんて尋ねてくるのは、南北対話の進展で最近景気のいい韓国語同時通訳の長友英子さん。
「サンドイッチなんですって。サンドイッチのこと、韓国語で何というか、知ってますか?」
「エッ、あれは韓国にとっても朝鮮にとっても外来品だから、サンドイッチって言うんじゃないの?」
「ハムハサムニダって言うんです」
コーヒー吹き出しそうになっちまったぜ。
03/07/22