レンズの子供たち

レンズマン・シリーズ 4

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E・E・スミス 著/小隅黎 訳
カバーイラスト 生頼範義
カバーデザイン 岩郷重力+WONDER WORKZ
創元SF文庫
ISBN4-488-60319-X \900(税別)

壮大なヴィジョン、悲しみのファミリー

 「レンズの子ら」じゃ何かまずいことでもあったのかなあ…。

 キニスンらの活躍により、ついに二つの銀河系から完全に駆逐されたと信じられた邪悪なボスコニアの文明は、だがまだ完全にその命脈を断ち切られた訳ではなかった。20年の時が過ぎた今、再び不可解かつ残虐な事件の報告が銀河調整官。キニスンの元に届けられる。再び活動を開始するキニスンら第二段階レンズマンたち。だが敵の活動はかつてにも増して巧妙きわまる。だが、銀河文明には最後の切り札があった。アリシア人によって慎重に調整され進化を続けてきた人類最高の遺伝子の保持者、キムボール・キニスンとその妻クラリッサの間にできたひとりの息子と四人の娘。銀河系の誰ひとり知るものはいないけれども、実は彼ら五人こそが、アリシア人たちが長い時間をかけ、作り上げてきた究極の超人類、第三段階のレンズマンたちだったのだ…。

 "レンズマン・シリーズ"、正史の完結編。前作でも触れられているんだけど、キニスンとクリスの血統って言うのはアリシア人によって、人類の歴史のごく早い段階から慎重に調整が繰り返されてきた究極の血筋なワケで、その二つの血筋が融合したときにできる人類こそが、アリシア人が自分と同レベルの力を持ち、かつ邪悪な存在であるエッドア人を打ち倒すための最後の切り札になる、というわけ。アリシア人すらしのぎかねない総合力を備えた息子のクリストファー、まだまだ現役、と思ってるキニスン、ウォーゼル、トレゴンシー、ナドレックというおなじみの4人の第二段階レンズマンをそれとなくサポートする、とはつまり強力な知力を備えた第二段階レンズマンにすら察知できないポテンシャルを秘めた4人の娘たちの大活躍、そして彼ら、もはや今までの人類とは根本的に異なる"種"へと変貌したものたちを待つ未来は…。

 ってことで、表向きはいつものメンバーが大活躍してるように見えるんだけど、その陰では第二段階レンズマンすら及ばない能力を持った"レンズの子供たち"がアリシアとエッドアの抗争において決定的な役割を果たし、さらには永きにわたるアリシア人による銀河文明への援助の時代から、アリシア人なしの新しい文明のとば口に立つまでを描く、単なる痛快スペースオペラにとどまらない、壮大な未来史観も併せ持った作品になっている。そのスケールの巨大さは今読んでもやっぱりすごいもんだと思う。

 でもなあ、これはちょっと悲しい話だよな。本人たちにはなんの断りもなく、よその星の人間によってその血統を原人レベルまで遡ったところから選別され、危機から隔離されて育て上げられてきた新種の人類。もっとも愛する親やその友人たちにも自分たちの本当の姿を知られてはいけない。ここまで何度も死線をくぐり抜けてきた両親とその同僚たちを(その能力の足りない部分をおぎなってやる、というなかなか高飛車な)それとなく援助してやる、という活動ぶり。お節介な宇宙人によって何万年目かに強制的に親離れさせられてしまう子供たち、そのことに気がつかない親たち、ってのはあまりに悲しい構図のような気がするんだよな。

 SFのジャンルには"種"を扱ったものがあって、そのジャンルってのは往々にして古い側の種ってのはどうしても少しばかり悲しい役回りを受け持たざるをえないのだけれど、ここまでの3作であれほどがんばってきたおなじみのメンバーがいきなり子供扱いされちゃうってのは、やっぱりちょっと淋しいものがある訳ですよ。圧倒的な能力を持っていながら、肝心なところで父の教えがなければあと一歩を踏み出すことができなかった息子、みたいなシーンを私は見たかったわけなんですがドク、そういうのはただの人間だから持ってしまうつまらん感傷なんでしょうかね?

03/04/12

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