M/世界の、憂鬱な先端

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吉岡忍 著
カバーイラスト 増田寛
デザイン 石崎健太郎
文春文庫
ISBN4-16-754703-1 \819(税別)

安心という名のブラックホール

 日本を震撼させた連続幼女誘拐殺害事件。その犯人、宮崎勤は何を考え、あの凶行に及んだのか。昭和帝の崩御、ベルリンの壁の崩壊と続く大きな歴史のうねりの中で突然現れたかに見える、それまでの価値観では計り知れない犯罪が意味するものとは何だったのか。宮崎の事件以降頻繁に発生する、同じように常人の理解を超える少年犯罪の背景にあるものとは何なのかを、これまた矛盾に満ちた宮崎に対する精神鑑定の結果をとっかかりに、著者が丹念に追っていく。

 その壁一面を埋め尽くすビデオテープの山、乱雑に部屋にばらまかれたエロ本の類がテレビニュースで全国に放映され、ちょうどそのころ生まれた「オタク」という単語がその状況に安直に連結され、「オタク」という言葉のイメージだけが妙な方向に拡大されていった、という記憶だけが、今となっては残っているにすぎないこの事件なんだけれど、実はその騒ぎを(自分にも思い当たる節があると思い、なにやら居心地の悪い思いを抱きながら)思い返してみると、これだけの犯罪を起こした宮崎勤という人物が、何を考え、何が理由であの犯罪を起こすことになったのか、という部分に切り込んだ資料というのは驚くほど少なかった、ように思う。すべてはロリコンアニメや特撮ものに耽溺しすぎた一人の「オタク」と呼ばれるよくわからない、新しい人種の妄想が高じたものであった、というような「解説」ばかりがまかり通っていたような感じがするのだな。

 その結果としての犯罪の残虐さ故に世論が激高し、厳罰を求める声が上がっている状態で行われた複数回の精神鑑定が、目に見えぬ巨大な圧力があったが故に公平を欠いたものとなってしまったであろうことは想像に難くない。この、多分に不完全な精神鑑定書を元に吉岡氏は宮崎勤という人物の、彼の家族の、彼らを取り巻く町の歴史を丹念に掘り起こし、再現していく。この過程の濃密さがすばらしい。

 彼の住む町、家族構成、手首が不自由であったという障碍が彼にもたらしたもの、そしてそれらを背景に、精神鑑定の席で語られる様々なやりとりから浮かんでくる宮崎勤という人物が、「オタク」とはほど遠い人物であったことを知って驚かされてしまう。あの事件があったとき、糸井重里だったかな、誰かが「この人物はマニアなどではない。マニアというのは収集したビデオテープはきっちり整理分類するものだ」などといっていたことを思い出す。実際、宮崎が収集した数千に上るビデオテープのほとんどは、アニメやドラマ、CFや歌番組、報道番組などが乱雑に詰め込まれていたものであったという。それは、今「旬」であるものをとにかく貯め込んでおかなくてはならない、一番新しいものを手元に置いておけば安心できる、という一種の強迫観念みたいなものによって突き動かされたものであってマニアックなライブラリの思想も、オタッキーなセレクションも入る余地のないものだ。ただひたすら、「はやっているもの」を集めていれば安心できる、というこの考え方には、マニアック、とかオタッキー、って言葉が持っている思想が完全に欠落しているように感じられる。ではなぜそうなった?

 そこにあるのは、戦後の教育のひずみ、であったのだろうな、と思わせられる。「みんな仲良く」、「協調性を持ち」得る子供が良しとされる状況、そこから微妙にずれた位置にいる(宮崎には先天性の障碍があり、両手首が不自由で手のひらを上に向けたり便の後尻をうまく拭くことができなかった)人間を、口では「仲良く」といいながら実は、健常者とは違う人間に対する接し方を誰も知らないが故に放置してしまったという過去が、少年期の彼に目に見えぬ傷を付け、その傷は誰にも修復されることなく年々そのひび割れを少しずつ拡げていき、それがあるきっかけで完全な破断に至ってしまう、彼の半生というのはそういうものであったのだなと感じ入る。そしてその「傷つけるもの」の存在は、彼以降の若者たちにもやはり同じように傷を付けまくっているのだということか。

 私の国のこの半世紀のメインカルチャーもサブカルチャーも、いつも明るく、どこでも若かった。不景気だ、高齢化社会がはじまった、とさんざん言われた二〇世紀最後の十年間にも、なぜか文化だけは奇妙に明るく若かった。

 ポジティブなものもほんとうはネガティブなものに裏打ちされ、修正され、削られ、盛り上げられ、縁取られなければ、中途半端にしか輝かない。それはたちまち色あせ、光を失い、平凡に、凡庸になっていくしかない。それが実際に起きたことだった。

 思えば私の国の戦後史とは、人はどこまで記憶なしで生きられるのか、一つの文化はどこまで歴史なしでやっていけるのか、と実験していたようなものだった。

 私の国は、壮大な実験社会だった。

 その結果が、今あちこちで噴きだす不可解な事件として、私たちの前にある。

 そして今も、壮大な実験社会が産み落とした、傷を負った若い人たちが、この国のあちこちで、言いしれぬ苦しみに向き合っているのですよ…。

 とっかかり、やや感傷的な文体で引き気味だったんだが、「出来レース」にしか見えない精神鑑定を元に宮崎の精神の奥底に切り込んでいくルポルタージュの部分の密度はすばらしい。重く、"憂鬱"になる(ワシらはみんな"M"の予備軍なのだよね)本なんだけど、それ故読む価値のある本なのではないかと。

03/01/31

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