昭和時代回想

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関川夏央 著
カバーイラスト 森英二郎
カバーデザイン 日下潤一
集英社文庫
ISBN4-08-747524-7 \476(税別)

あらかじめ失われた10年

 関川夏央さんはオレよりちょうど10歳年上。その関川さんがだいたい10年ほど前に綴った文章を集めたエッセイ集、ということは、これらの文章を書いたとき、関川さんは今のオレとほぼ同年代であったと言うことになる。何を措いてもまずその事に少々打ちのめされてしまう。もちろんそれ以前から、文章を書くことで生活費を稼いできた人として、ノウハウもあれば抽斗の中のストックもそれなりに文章書きの素人とは比較にならないモノもあるのだろうけれど、テクニックとしての文章以上に、文章を書く上で、その文章のバックボーンになるモノの取り込みよう、取り込んだモノの再構成と再評価の技術(そう、これは技術に他ならないと思う)の高さを見るにつけ、(比較すること自体ナンセンスなんだけど)自分が垂れ流してるこの駄文の山はいったい何なんだと思ってしまうわけで。

 青春時代、てのをごく乱暴に、10代初めから20代の終わりまでの約20年であると仮定して、関川氏の20年とオレの20年を比較してみたときに、10年の時間差がそれほど大きかった、などとは思いたくはないのだけれども、それでも"ボロは着てても"的な、物質的にはまだまだ苦しい時期ではあるけれども精神的には若い人の心を刺激する物に事欠かなかった関川氏の20年と、後年のバブルにも引っかからず、関川氏の時代のつらさも知らないオレの20年というのはずいぶん違うものなのだなあと思ってしまう。オレの年代の20年間というのは、"ボロは着ていないが心に錦もない"20年だったのかなあ、などとつい思ってしまうのだった。

 もちろん個別の論議を総論にすり替えて、「この世代は…」などとアジ評論することの無意味さは承知しているつもりなのだれけど、それでも、父君が手ずから家を購入し、その家をころに乗せて自分の地所に移動させ、その後、月々の稼ぎから一枚一枚畳を増やしていった、という関川氏の幼児体験と、すでにAから数えてHまで、社宅のアパートが建っていて、そこで育ち、何一つ深く考えることもなく、それでも何となく毎日を(かろうじてにせよ)過ごすことができるようになっていた自分の幼年期から青年期にかけての、得たものと拒否したものの質と量を比較したときに、いかにこの10年で「質」に転化しない「量」が増えてしまったものかと少々驚きつつ、「弱ったなあ」と言う気分になってしまうのだった。

 これが端境期の生まれであるオレら特有の弱みであるなら、オレらより後の世代には、また別の価値観が生まれ、受け入れられているのなら良いのだけれど、オレらがけつまづいた偽りのいろんな事(教育であったり、経済であったり、文化であったり)ってのは、その後のこの国のありように、案外無視できない影響を与えているよなあと思ってしまう(関川さんたちが行く末を心配した、オレらの世代が今、世間的には大黒柱の世代な訳で)と、なかなか複雑な気分になってしまう一冊なのでした。

03/01/22

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