スヌーピーと生きる

チャールズ・M・シュルツ伝

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リタ・グリムズリー・ジョンスン 著/越智道雄 訳
カバー装幀 ゼフィルスデザイン
PEANUTS ©United Features Syndycate,Inc.
朝日文庫
ISBN4-02-261390-4 \840(税別)

君はいい人、チャールズ・シュルツ(でもちょっとかわいそう)

 オレは富山県の某県立高校を出てるんだけど、特に思い出もないこの高校に、一点だけ高く評価しているところがあって、それは校歌を作詞したのが谷川俊太郎さんである、と言う部分だったりする。そう、スヌーピーやチャーリー・ブラウンが活躍するマンガ、"PEANUTS"の日本語訳を担当した詩人がウチの学校の校歌を作詞してくれたのだね。スヌーピー(ワシが厨房の頃、その名もズバリ"SNOOPY"と言う雑誌があったのだよ)の訳をした人が校歌を作詞してくれたのか、すげえや、と素直に感動したわけでして(ちなみに作曲は確か中田喜直氏だったと思う。なのでウチの高校の校歌は、甲子園に似つかわしくないこと甚だしいメロウな歌だったように思う。よく覚えてないけど)。

 世界でもっとも有名なコミックの一つ、"PEANUTS"を産み出したマンガ家、チャールズ・M・シュルツの"公認"伝記。著者、リタ・グリムズリー・ジョンスンはジャーナリストなんだが、旦那様がマンガ家と言うこともあり、シュルツとは親しいつき合いのできた人物らしい。で、この伝記。多芸な才人(犬)スヌーピー、達観した悲観論者チャーリー・ブラウン、毒舌の冴えるルーシーと言ったキャラクタを産み出し、40年以上にわたって変わらぬ人気を保持し続けた天才的マンガ家の実像とは…

 これがねえ、「いい人」のひとことでほとんど語り終えてしまうような人生を送ってきた、ある意味ドラマティックとはほど遠い人間なんだなあ。大恐慌時代にもただ実直に床屋を営み続けた父親(ちなみにチャーリーのお父さんも床屋さんですな)を尊敬し、彼のように生きたいと思い、規則正しい生活を送り、酒もタバコもたしなまず、常にマンガのストックは余分に用意して………ってそんな聖人君子の伝記が面白いわけがないじゃないですか、ねえ(苦笑)。

 さて、実生活においてことほどさように立派な人ぶりを発揮しているシュルツ、その生い立ちから現在(というか亡くなる10年ほど前)までの伝記も、全体においてほほえましくはあるが正直しばしば退屈になってしまうわけなんだけれど、一点だけ、とても深く彼の内面に対する考察がなされてて、そこはとても興味深い。

 それは、シュルツの基本的な気質が永遠に負け犬根性から抜け出せないでいるものである、ということ。別にシュルツは人生に於いて何度も何度も挫折を味わってきたような人物じゃあない。むしろその逆と言ってもいい位の人だ。周りの人は皆、彼を間違いなく成功者として見ている。ところが肝心のシュルツ自身は、たとえば学童だった頃、年上の女学生に鼻も引っかけてもらえなかったこととか、自分の貧相な風体へのはずかしさとか、そういう恥ずかしさや悲しかったものごとを、すべて忘れることができないまま生きてきている人物だと言うこと。難儀な人やねぇ。

 彼は、幸せに関する本を書き、しかもベストセラーになった。その中で彼は、幸せをたくさんの形で定義づけている。 <中略> こんな具合に、シュルツは幸せを、見事な例をあげて定義づけることができるくせに、自分で見つけ出すことはできないようだ。過去に失ったもの、過去の恋、そしてすべての過去についてくよくよ思い悩む。

 そしてその悲しみがチャーリー・ブラウンのあの性格と彼のその"ついてなさ"に反映され、その悩みがピーナツの子供たちを、時折驚くぐらい哲学的にさせると言うことなのだね。著者が言うとおり、シュルツの不幸こそが、世界の利益なのだってことか。

 もちろん総じてシュルツの人生は実りの多いものであったのだろうし、本人も幸せな人生を送ったという自覚はあるのだろうけど、それでも"悲しみを忘れることができない"一生というのがどういうものであるのか、ちょっと想像つかないところもあるな。その分、悲しみを決して前に出さないチャーリー・ブラウンが今までよりいっそう愛おしくも思えるのだけれどもね。

02/11/06

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