チグリスとユーフラテス

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新井素子 著
カバー 花井正子
AD 鈴木俊一デザインチーム
集英社文庫
ISBN4-08-747440-2 ¥686(税別)
ISBN4-08-747441-0 ¥571(税別)

ぽよぽよふよふよした美しい狂気

 地球から5光年離れた惑星ナインに、人類の移民団が入植を開始して400年。その折々で、特別な事情とそれが可能な地位にあるごく少数の人々は、未来に望みを託してコールド・スリープによる目覚めるあてのない冬眠状態に入っていた。そしてある日、そんな人々のうちの一人が長い眠りから目覚め、最初に目にしたもの。それは少女趣味満点のけばけばしい衣装に身を包んだ………一人の老婆だった………。

 新井素子の長編を読むのは実は初めてなんだけど、読む前に漠然と不安に思っていた、"あの文体"からくる一種の取っつきにくさみたいなものには実はそれほど違和感を感じることもなく(いやそうでもないな、この辺は後述)、ごく普通に読み進んでいくことができた。上下巻に分かれた文庫版だが、上巻がやや冗長(ううむ、そう感じるということはやはり、文体に違和感を感じているのかもしれない)で読みづらいものを感じたのだけど、下巻に入ってからはぐっと読み応えのあるストーリィ展開になっている。

 ネタバレ気味になるのを許してね。このお話、とある植民地惑星の入植者たちの最後の一人となった老婆、ルナがキイ・パースン。彼女はその惑星の"最後の子供"として生を受け、そのステータスによって永遠に子供のままで生きていかなくてはいけない宿命を背負わされた人物。なにしろ周りの人物は皆、彼女より年上な訳で、徐々に年長者たちは寿命を全うして死んでいき、やがて惑星上には彼女一人が取り残される。大人になれないままで。そこで彼女が取る行動が、過去、コールドスリープについて眠っている人々を、自分の遊び相手として強制的に起こすこと。次々とルナによって覚醒させられる人々によって、惑星ナインの歴史が、現在から過去へと語られていく、と言う構成はうまい。んでもって、そのストーリーの中で徐々に、ルナという老女の本当の心根みたいなものが見えてくるあたりのお話の持って行き方もうまいと思う。

 基本的にこのお話に登場する人々というのは、皆多かれ少なかれ狂気に駆られた人物たちで、その狂気が、より大きな狂気と対峙してさあどうなる、ってなエピソードが続くあたり、そして、最高に狂っていると見えるルナという老女の本性が実は、というあたりが見えてくるあたり(これが上巻の中盤以降)から、お話が俄然面白くなるんだな。

 オレは「解説」で大沢在昌氏が述べてる、"この物語は「神」の物語である"という位置づけにはちょっと同意しづらいものを感じる。神の物語である前に、これは狂気の物語であると思うのだな。神様を見る、なんてのは多少狂気が入ってなきゃ不可能なことだと思えば、そうとも言えるのかもしれないけど、それ以上にこれは、なんかこう、ふかふかした狂気に駆られた人々の、その人なりの狂気との向かいあいかたを綴った物語であると感じた。「神」がどうとか、そんなことは新井素子はどうでもいいと思っていたのではないのかな。

 それより何より、狂ってしまった物事のどこかに、妙な美しさ、愛らしさみたいなものを作者は見て取ったんじゃないだろうか。この辺、オレも男なんで、女性のものの考え方って良くわからんところがあるんだけど、「神」がどーしたこーした以前に、ぽよぽよ、ふよふよした訳のわからない狂気のなかで、本当に正気を保っていたのが誰だったのか、ってあたりをかなり残酷に明らかにしてみせるあたりで、「男にゃ書けねえなあこの話は」などとしみじみ思ってしまった。

 というわけでかなりこう、「来る」タイプのお話なんだけれど、そのテーマというか、シチューションの強力さ故、本来の新井素子作品の魅力の一つである"文体"が、逆にしばしばお話の完成度にとって邪魔になってしまったのではないかな、と読み終わってからは感じたことを差し引いても、ええ、これはなかなかいいものを読ませてもらったと思ったです。

02/06/12

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