第三帝国の神殿にて

ナチス軍需相の証言

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アルベルト・シュペーア 著/品田豊治 訳
カバー写真 AP/WWP,PPS
カバーデザイン EOS Co.,Ltd
Art Direction 吉田悟美一
Design 山影麻奈
中公文庫BIBLO20世紀
ISBN4-12-203869-3 ¥1,095(税別)
ISBN4-12-203881-2 ¥1,143(税別)

理性がカリスマに飲み込まれる瞬間

 ナチス・ドイツの軍需大臣、アルベルト・シュペーアによる回想録。元々建築家としてヒトラーの覚えめでたい人物だったシュペーアは、前任の軍需相、トート博士の急死によっていきなり軍需相に抜擢され、ヒトラーの信任を武器にドイツの産業構造の改革を進め、戦時中、しかも徐々に負けが込んでいくドイツにあって毎年兵器、弾薬の増産を成功させた人物。狂気と追従に支配されたナチス首脳部にあって、まだしも正気を保っていたと思えるのはこの人物と、あとはミルヒ(空軍次官)ぐらいしかいなかったのではないか。シュペーアの場合は、ぎりぎりまで「ヒトラーの建築家」という限定された立場を堅持し続けたこと、ミルヒの場合はその上にゲーリングという最強の反面教師の存在があったことが幸いしたのかな。本書はニュルンベルク国際軍事法廷で禁固20年の刑に服している間に書きためられた覚え書きを元にされているため、基本的に熱に浮かされた時代を、冷静になってから振り返るスタイルになっていて、当然ながら「悪い事しました」が基本のスタンスなんだけど、闇雲に反省してみたり、反省しつつ自分の事だけは巧妙に保身しようともしていないあたりは立派なものだ、と思える。

 そこまでしっかりした人間が、んじゃなんであんな熱に浮かされたようなところに身を置いて、しかも積極的にその狂騒を推進していけるのだろう、とか、せめて冷静な誰かが、なんとかあの狂気を押しとどめようとしなかったのか、とかいうのは後からならばいくらでもいえることだろうけれど、その熱病が蔓延している状態のただ中にある者にとってはそういう発想自体が、熱でどこかに飛ばされてしまっていたんだろうな。

 今も一番恐ろしいと思うのは、あの時代に時折起こった私の不安が、主として、自分が建築家としてとった道のこと、テッセノフの理論との距離感についてであったということである。それにひきかえ、ユダヤ人、フリーメーソン、社会民主党あるいはエホバの証人派の人たちが、私の周囲の者によって野良犬のように殺されたことを聞いても、私個人には関係ないと思ったにちがいない。自分さえそれに加わらなければいいんだと。

 というシュペーアの回想は、だからとても重要なものなのだと思う。彼は終始一貫して冷静なのだ。少なくとも自分の本業である建築、というモノを相手にしている間は。ただ、そこから一回り広い部分を考えなければいけなくなったとき、突然その思考が停止してしまう、という状況に彼はあり、それをおかしいと思うこともなかった、か、つとめてそのことは考えないようにしてしまった。つい最近の日本でも、似たようなことがあったなあと思ってしまう。

 狂気のエントロピー、みたいなものがあるんだろうか。どこかで一線を越えたとき、それ以降のエントロピー増大をだれ求められなくなってしまう、みたいな。で、エントロピー増大の結末は熱的死でしかないわけで、それはそこまで増大したエントロピーの総量が大きければ大きいほど、カタストロフの度合いも大きかった、ということになってしまう。ナチスに指導されたドイツが経験したカタストロフというのは、そういうものであったということなんだろうか。

 その始まりから終わりまでをしっかりと自分の目で目撃していて、しかもシュペーアほどに冷静にものを見ることができる人物にして、ナチスが崩壊してもなお、以下のような独白をヒトラーに関して述べさせてしまう、この奥にあるものというのはいったい何なんだろうと思ってしまう。

 私が前日に録音した演説と、私が今では彼の死をいらいらしながら待っているということほど、私のうちにある矛盾をはっきりと証明するものはないだろう。しかし、ここで改めて、私と彼との感情的な結びつきに気がついた。 〜中略〜 滅びゆくものへの同情の念がますます強くなっていった。おそらく彼についてきたもののほとんどが同じように感じたことだろう。義務の遂行、誓い、忠誠、感謝の念と、個人の不幸および国家の不運に対する不満とは互いに相対立するものであった。その双方とも一人の人間を通じて生じたのである。それはヒトラーであった。

 繰り返すけれど、後から何か言うのは簡単なことだ。だけどそれができなかったときにこそ、大きな悲劇は生まれるものなんだろう。そして、それを矯正するチャンスっていうのは、そのものごとが起こりかけている、ごくごく初期の間にしかないものなのだ、という気がした。雪山の山頂から小さな雪玉を転がしてみたときに例えられるかもしれない。ある時を境に、転がり落ちる雪玉は一人や二人の人間ではどうしようもなく大きなものにふくれあがってしまうということなんだろうな。そしてその雪玉の中にいるものたちもまた、いったん転がり始めた雪玉の中で理性を勢いに殺されてしまっていく、その様子が率直に語られていくところに本書の価値はあるのだと思う。

 というわけで大変良い本なのだが訳(というか訳後の監修)はかなり悪い。"ユンケル社"ってなんですか(ユンカース社のこと?)?前線の兵士は自動拳銃を熱望していた、ってあなた、そりゃMPは(英語読みで)マシンピストルですけど、ドイツのMPってのはシュマイザー機銃なんかに代表される、軽量のサブマシンガンのことをいうんですってば。ヴェルナー・フォン・ブラウンをヴェルンヘア・フォン・ブラウン、などと表記した本をオレは初めて見た。しかも部分的には校正されてたりするのが謎。この辺はもう少し神経使って欲しい。大概は単純な読みのおかしな(あるいは一般的でない)部分だけど、自動拳銃の下りなんかは本気で意味が通りませんよ。

02/05/19

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