あなたをつくります

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フィリップ・K・ディック 著/佐藤龍雄 訳
カバーイラスト 松野光洋+岩郷重力
カバーデザイン 岩郷重力+WONDER WORKZ.
創元SF文庫
ISBN4-488-69616-3 \920(税別)

壊れているのは誰だ?

 人類が太陽系内を自由に宇宙航行するようになった1980年代。ピアノと電子オルガンの製造、販売を行うわたし、ルイスと相棒のモーリー。だが、順調だったこの商売も、ライバル会社の画期的な新製品のおかげで最近は売り上げが落ちていくばかりだった。劣勢を挽回しようとモーリーは全く新しい商品の製造を思いつく。それはこれまでになく精巧な模造人間(シミュラクラ)による、限りなく史実に忠実な南北戦争の大パノラマ。先行試作の形で作られたシミュラクラ、かつての北軍の陸軍長官、エドウィン・スタントンのできばえは、スイッチの存在以外は人間と寸分違わぬレベルのものだった。勢いづいたモーリーは、第二弾としてリンカーンのシミュラクラの製作に着手、同時に謎めいた億万長者へのコンタクトを試みたのだが………。

 サンリオSF文庫から「あなたを合成します」のタイトルで出版されていた本の新訳版。ディックがペイパーバック・ライターからメインストリームたる本格文学の作家への転針を目指していた時期の作品に当たるのだそうだ。それかあらぬか、やけに安っぽく見えるSF的アイデアがごろごろしている前半と、「アンドロイド…」などでも存分に味わえるディックらしさとも言える「オレってほんとにオレ?」的不条理感が妙にパワーアップして語られる後半で、妙なちぐはぐさを感じてしまうちょっと不思議な本。

 究極のシミュラクラは、ルイスの許で働く宇宙開発局を辞めたエレクトロニクス専門家と、モーリーの娘で、精神分裂症を抱えたプリスによって製作される(ちなみにこの本で描かれる1980年代は、アメリカ国民の多くが精神病を患っている世界でもある)のだが、ルイスは普通の人間以上に人間らしく振る舞うシミュラクラと、人間でありながら分裂症の影響で何を考えているか全く判らない行動を取るプリスとの間にいることで(デッカードのごとく)それでは自分はどっちなんだ、というアイデンティティの部分にどんどん自信が持てなくなっていき、結果的にみずからもまた分裂症の様相を呈していくわけなんだった。このあたりの描写、かなりこう、鬼気迫るものを感じて凄いなあ、と思いつつも、どこかこう、ちぐはぐな感じも持ってしまうのがちょっと惜しいかもしれない。

 自分のアイデンティティに自信が持てなくなる、てのは読んでる人ならご存じの通りディック作品の共通テーマだったりするわけなんだけど、主流文学への転身を図るディックにとっても、この人間の内面をえぐりまくるテーマこそ、自分がもっとも書きたいものなのだ、てな意識が過剰に働いたのかどうかは知らないが、いつもにも増してここらの描写が念入り、かつしばしば唐突なものになっていて、特に後半部分は(前半にはそれなりにあった)SFっぽさが影を潜め、なにやらカフカ的というかなんというか、そんな不条理な強迫観念に追いまくられる一人の人間の姿を執拗に描写することに終始してて、なにやら晩年のディック作品に通じる訳のわからなさがこの時期すでに芽を吹いてるのかもしれないな、などと思った。

 一見さくっと読み飛ばせる軽いSFの体裁を取っておきながら、よく考えると案外深いところまで考えているなあと思わせるいつものディック作品のノリとも思えるのだけど、今回はちょっとばかりそのバランスの取り具合がうまくない分、なにやら異様な読後感を味わうことになってしまうんだった。いや、そこがこの本の魅力なんだけどね。

 この本が出たあたりのディック、私生活でもかなり本書の主人公、ルイスと被るような状況でもあったらしく、そういう意味ではこれってディック的な私小説と言えるのかもしれない。このあたりは牧眞司氏の解説が詳しいのでご参考に。ディックらしい壊れ具合で、わたしゃ結構好きですこれ、ええ。

02/04/10

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