硫黄島の星条旗

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ジェイムズ・ブラッドリー/ロン・パワーズ 著/島田三蔵 訳
カバー写真 AP/WWP
デザイン 斎藤深雪
文春文庫
ISBN4-16-765117-3 \952(税別)

「知ることのできる」戦争とは、つまりは戦争などではないのだ

 "史上もっとも有名な戦争写真"のひとつ、硫黄島、擂鉢山の山頂に星条旗を立てる米海兵隊員たちの姿を切り取ったこの写真に写し取られた6人の若者たち、彼らはどんな若者だったのか、この写真で一躍ヒーローとなった彼らのその後はどんなものだったのか。わずか400分の1秒の瞬間が彼らと、彼らを待つ故郷の人々に何をもたらしたのかを丹念につづる本。

 著者、ジェイムズ・ブラッドリーは、この写真に撮影された若者のひとり、ジョン・ブラッドリーを父に持つ人。だがその父はなぜか、自らがアメリカのヒーローになった硫黄島の戦いのことを、ほとんど家で話すことはなかった。それどころか、海軍(6人の中で、彼だけは海兵隊員ではなく海軍の衛生兵だった)では名誉勲章の次に価値があるとされる海軍殊勲賞を、同じ硫黄島の戦闘で授与されていたことも、誰にも教えることなく秘密にしていたのだという。いったいジョンの沈黙の意味するものがなんなのか、その真相を探し求めていくジョンの息子が目にしたものは、「普通のこと」がある日突然普通じゃなくなってしまうことの恐ろしさと、そこでなお「普通であること」を押し通したひとりの男の物語、と言うことになるか。

 世界恐慌からまだそれほど経っていないアメリカで少年時代を過ごし、若者らしい怖いもの知らずでヒロイックな正義感で徴兵に応じた若者たちが、軍隊という組織の中で人間的に一皮むけ(それを「成長」と言っていいものか、ちょっとためらってしまう)、アメリカが望むアメリカ人として戦場に向かい、そこで信じられないものに遭遇して、というお話で、それだけなら今までにもそういうお話は結構あるような気がするのだけれど、彼らにはその先、さらにもう一段、信じられないことが待っていたわけで、それこそが、一葉の写真と、それが撮られた場所から遠く離れた場所でそれを目にした者たちによる大騒ぎだった、ということ。それは今もなお何かにつけて話題になるメディアによる無責任で軽薄なバカ騒ぎなんだよな。

 この有名な写真で立てられようとしている星条旗は、実は激戦の末、ついに硫黄島に翻ることになった最初の星条旗ではなかった、というのは何かの本で読んだ憶えがあるのだけれど、この写真から伝わってくる躍動感のようなものとは裏腹に、実際にはきわめて平穏とも言える状況下でなされた行為であったこと、硫黄島の激戦は、実はこの旗が翻った、そのあとこそが本番であったというのは知らなかった。その激戦の中で、この写真の6人のうち3人は命を落とし、ジェイムズの父、ジョンもまた負傷する。彼らの誰ひとり、自分たちがやったことが戦争の中で特筆すべき英雄的な行為だなどという意識は持ってはいなかった。でも、この写真自体が、戦場にいないものにとってはあまりにビビッドに、アメリカの「良い戦争」をビジュアルとして見せるものだった。そこで悲劇の種がまかれた。皮肉な話だと思う。

 父は、あの写真を見たときに人々の頭の中で起きたことで、自分の人生を左右されたくなかった。あの写真は、人々にとっては重要だが、ジョン・ブラッドリーにとっては妥当性のないものを表現していた。あれは確かに美しいし、高雅だし、人々を鼓舞する。史上もっとも多くの複製が作られた写真の映像でもある。世界でもっとも背の高いブロンズの記念碑のモデルにもなった。

 だが、誤解だ。基本的に、決定的な誤解だ。実際———ドクと仲間たちがあの戦闘の間に目撃した多くの瞬間を背景にして判断すれば———なにも表していないのだ。

 ごく普通のアメリカの若者だったジョン・ブラッドリーは、その「普通である」と言うことを守るために沈黙を選んだと言うことだったのだろう。ただし、それだけではなかった、という部分も用意されていてそこはお話の構成のしかたとしてうまいと思った。この辺は読んでみてくださいな。本書は最初、ジェイムズが20数社に原稿を送ったのだが軒並み断られた後、ピュリツアー賞作家でもあるロン・パワーズと組んでようやく出版されるや、一躍ベストセラーになった本なんだそうだ。恐らく読み物としての構成の仕方などに、ベテランのロンによるかなり大幅な直しが入ったのではないかな、と言う感じはする。

 この本で描かれるアメリカの若者たちの少年時代とは、貧乏だけれども明るく、素朴なものなのだけど、その世界を守らなくてはならなくなったときに人はどう変わってしまうのか、彼らを取り巻く世界はどう変わるのか、兵士になると言うこと、とりわけアメリカ最強と言われる海兵隊の兵士になると言うことが人をどう変えるのか、その中でも変わらないものとは何なのか、そこらを少々考えさせてくれるという意味でかなり良い本だと思う。訳者、島田氏は本書がアメリカにとっての「良い戦争」ぶり、それに敵対する日本軍の鬼畜ぶりが際だっていることに疑義をはさみ、文藝春秋のヒマな編集部は著者の南京虐殺による中国人犠牲者の数にいちいち律儀に「異論もある」などとコメントを入れているが、的はずれな話だと思う。これは戦争そのものを扱った話ではなく、戦争に関わらざるを得なかったアメリカの若者の話なのだ。ここのところの無粋さは気になるが、総じて読み応えのある、いい本だと思った。

02/02/21

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