読者は踊る

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斎藤美奈子 著
カバー 大久保明子
文春文庫
ISBN4-16-765620-5 \676(税別)

こんな本がなぜ売れる?キミが、ワタシが買うからだよ

 由緒正しい読書家は、売れてる本にケチなどつけない。なぜって彼らはブームに踊らされたりしないから。日本経済を支える多忙な企業人も、文句は言わない。彼らはだいたい本を読まない、というか読む暇がないからだ。巻頭で述べた「踊る読者」とは、あなたや私のような小市民的読者のことなのである。

 古今東西のベストセラー、話題になった本253冊を次々と俎上にあげて、なぜそれが売れたのか、それは売れるだけのことはあった本なのか、それが売れるとはどういう事なのか、その背景に何があるのかをばっさばっさと斬っていく痛快書評本。

 ベストセラーなんて物は一種のはやり物であって、しばしば本自体の力とは別の物が働くものだけど、本書が取り上げている'90年代後半の話題の書、流行の書に共通するものがあるとするなら、それは「楽して知った気になる」って事だったんだなあとふと思わされる。手っ取り早く"ブンガク"した気分に浸りたい、グルメのコツをつかみたい、"時代のキーワード"ぐらいは押さえておきたい、そんな「楽したいけど語りたくもある」世の中ってのは、早い話がインターネットの世界な訳で、これは世の中のニーズがインターネットに合致していたと言うことなのか、はたまたインターネットの普及がリアル社会においてもwebのノリをものすごい勢いで伝播させてしまったと言うことなのか。どっぷりwebに浸かって暮らしてるオレとしては、この痛快書評集をげらげら笑いながら読み進む内に、何となくこの世の中の先行きに、漠然とした不安も感じてしまったりするんだった。

 本書で斉藤氏もこのことには少し触れておられるんで、その辺は読んでいただくとして、全体に、他国は知らずこの日本の国においては、最近は長い時間をかけ、まっとうな方法論で得た知識であったり技であったりという物を軽視しておきながら、同時にそういう正攻法の(本来付け焼き刃では歯が立たない)物事のエッセンスだけは何とか楽してわが物とし、それを語る(語るだけなんだけど)事への欲求のほうだけはどんどん肥大化してきているような気がする。ベストセラーとなった本たちの案外浅い底までの深さに笑うのもいいが、そんな底の浅い本をありがたがるのもまた"小市民的読者"である我々な訳だ。しかも、我々はこの本を読むことで、「楽して知った気になりたがる」我々自身の姿を「知った気になってまた語りたがる」というわけで、ううむ、これはまんまと罠にはまってるぞオレ、とか思ってみたりもする。

 本の世界で遊ぶエンタティンメントとして、充分に楽しめるけど、ここでばっさりやられてるような本たちが引きも切らずに出版されていると言うことは、とりもなおさず読者のレベルもまた、どんどん薄っぺらい物になっているというわけで、そこはちょっと個のレベルから天下国家のレベルまでひっくるめて、先行きが不安になってしまいますな。

 ま、それはそれとして特撮ファン、なかんづくアンチセブン派としては、桜井浩子(フジ隊員)と菱美百合子(アンヌ隊員)の回想録を読み比べたときの斉藤氏の比較はちょっと我が意を得たりの感がある。ちょっと長いけど。

 率直で自己解放的なフジアキコ(桜井浩子)が、いつの間にか忘れ去られる一方で、キュートなおバカさんを演じながら、自己犠牲的に振る舞う友里アンヌ(ひし美ゆり子)が、何十年も「女神だ」「ひまわりだ」と讃えられる。ひどいわ。働く女性をバカにした話ではないでしょうか。

 たかだか特撮ドラマの話じゃないかって?いやいや、わかりません。三〇年前に提出された二つの女性像のうち、その後の特撮ドラマやアニメは、結局アンヌ的な女性像の方を選択した。そして、三〇年後の現在、職場の人間関係を考えてみると、男性社員は女性の同僚=OLをまだまだ一人前とは認めていないところがある。他方、女性労働者たちもOLと呼ばれることに甘んじて、処世術だけを発達させているように思える。まるでだれかさんのようにである。あえていおう。それ、アンヌ・コンプレックスと呼べないか?

 あーもう全面的に同意、っす。三二年前に江戸川百合子に惚れた身としては(^^;)。

02/01/15

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