フィンチの嘴

ガラパゴスで起きている種の変貌

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ジョナサン・ワイナー 著/樋口広芳・黒沢令子 訳
カバーイラスト 岡崎 立
ハヤカワ文庫NF
ISBN4-15-050260-9 \900(税別)

 かつてダーウィンが"進化"という概念のインスピレーションを得た島、ガラパゴス諸島。そこは火山活動によってできた、切り立った溶岩性の岸壁に守られ、外からの進入がきわめて困難な、一種の閉じた生態系を持つ世界。この島々に住む小鳥、ダーウィンフィンチは、きわめて狭い世界であるにもかかわらず、様々に特徴的な嘴を持つことで知られている。ガラパゴス諸島で20年以上にわたってフィンチの嘴の研究をつづけるグラント夫妻によって、それらの形の多様性と、微妙な自然環境にあわせるかのように、刻々とその姿を変えていくフィンチの嘴こそ、ダーウィンの進化論の証明であり、さらにその進化は今もなお止まってはいないと言う事が明らかになってきた………。

 我々は進化論、と聞くと割と単純に、これまでの進化の過程の頂点に人間があって、とりあえずそこで進化の過程は一段落した、と考えがちであるけれどももちろんそんなことはなく、今でも進化の過程は続いているのであって、それは我々人間も例外ではない、ということを再確認させられる本。日本人の体型一つとってみても、食生活の変化、いすに座る時間の増加に伴なって、今の人たちは昔の人々に比べて体は大きく、足は長くなっているわけで、これだって立派な進化なんだよな。

 生物の研究って言うのは、たとえば物理の実験みたいに、実験に必要な条件以外を簡単には排除できないことが多く、その成果もどうしても誤差を含んだものになりがちだけれど、四方を海に囲まれ、険しい崖で周囲を守られ、しかもあまり多様な植物の繁殖が不可能な溶岩性の土壌、というきわめて特殊な地理的条件を備えたガラパゴスの島々は、生物に関する実験、検証にはもってこいの場所だったのだろう。さらにその環境の狭さ、厳しさ故に生物たちにかかる進化の圧力も濃縮されたものになってくる、ということなのだな。わずか一年程度のスパンで、鳥たちの嘴の大きさ、形が微妙に変化していく様というのは、ちょうど高速度撮影で生き物の進化を見低るようなものだったのだろうと思う。専門の科学者ではなく、科学ジャーナリスト、という肩書きを持つワイナーは、この、小さな島で起きている猛スピードの生命の進化の様子を、研究者たちのさまざまなエピソードを上手に織り込んで、楽しく読める物に仕上げていると思った。これでもまだ、いわゆる「物語」に比べれば読むのがしんどい類の本ではあるのだけれど、学者先生が書いた本を、同じく学者先生が訳したが故に訳のわからんものになってしまったいくつかの本に比べれば、はるかに上等。

 長く地道な研究者たちの活動が、学問の上できわめて重要な事実を発見していく、というルポルタージュとしても良くできた本なのだけど、この本が重要なのは、この、"進化"というプロセスが今もなお、止まることなく続いているのだと言う事を明らかにして見せた点においてより大きいものがあるのだと思う。何もトリさんの嘴に限ったことではないのだ。殺虫剤をものともしない害虫たち、最近になってまた症例が現れ始めている結核菌、そして言うまでもなく、エイズウイルス。それらもすべて、地球環境の中で、絶えることのない選択圧にさらされ、より生存に適したからだを持とうとする、生命活動がその根っこにあるということなんだな。そして、それは生き物が生存のための活動を行っていく中で、決して避けて通れないものである、という事なのだろう。人間がこうして地球上で最も優れた生き物として存在しているだけで、それは人間のみならず、地球の生態系全体に対して強力な進化のための圧力を加えているのだ、ということになるわけだ。お題目のように"環境保護"なぞと唱えてみたって、その活動もまた別な形での圧力を生態系に加えてしまうことに他ならないわけで、なまじ考える力を発達させてしまった生き物というのは、これはこれで難儀な存在であるのかも知れないと思ってしまった。

 ダーウィンの進化論では、解かれていく巻物は、開くそばから常に書き込まれている。書き込む文字はその時のはずみで決まる。われわれは完成品ではなく、現在は最終段階ではまったくない。世代を越えて旅するものにとっては、完成した形はありえない。生命の書はまだ執筆中である。物語の終わりは前もって決まってはいない。進化は続く。

 結局人間もまた、地球という生態系の中に組み込まれた一部分にすぎないということ。偉ぶってはいけないし、何も必要以上に卑屈になることもないということなのだろうと思う。この先も多くの生き物が絶滅していくだろうし、その反面、全く違う能力を備えた生き物が登場してくることもありえるのだろう。それらは人間に対してもまったく平等に当てはまると言う事なのだろうね。

01/12/11

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