ゲーム・プレイヤー

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イアン・M・バンクス 著/浅倉久志 訳
カバーイラスト 松本零士
角川文庫
ISBN4-04-288601-9 \895(税別)

 一万数千年の未来、人類の勢力範囲は銀河系全体に広がり、30兆を超える人間たちと、きわめて高度に発達したAI群が共存する一種のユートピア。その世界は<カルチャー>と呼ばれ、<マインド>と呼ばれる超AIによる緩やかな管理の元、人々は飢えや疫病のおそれも無く、数百歳を越える寿命を持って生活している。この世界では人々はそれぞれ、自分の知的興味をかきたてる物に没頭する自由があり、その達人ともなれば<カルチャー>全体にその高名を轟かせることができる。そんな、人々の興味の対象の一つであり、この世界ではきわめて高い人気とステータスを持っている物に、ゲームがあった。

 <カルチャー>屈指のゲーム・プレイヤーであるグルゲーはしかし、最強のゲームマスターである自分の生活に、ここのところ少々生き甲斐を失い、スランプに陥りつつあった。そんなある日、高位の<マインド>によって構成される機関、<コンタクト>が、文字通りグルゲーにコンタクトしてきたことから彼仁大きな転機が訪れる。<カルチャー>に敵対するアザド帝国で行われる、全帝国規模のゲーム《アザド》のトーナメントにゲストとして参加してみないか、というのだ。そのゲームこそ、アザド帝国の権力構成、皇帝までも決めてしまう、究極のゲーム。のっぴきならない事情から、《アザド》への参加を余儀なくされたグルゲーだったが、この一連の流れの裏には、実は………

 英国が誇るストーリー・テラー、イアン・バンクスは、SFを書くときにはミドルネーム"M"を入れ、イアン・M・バンクスとなるんだそうだけど、Mつきバンクスによる未来史シリーズである<カルチャー>ものの一作。ゲームプレイヤーがプレイしていたゲームが、実はゲームであると同時に他の意味合いも持ってた、って話には、カードの「エンダーのゲーム」とか、ディックの「俺は誰だ?」、「タイタンのゲーム・プレイヤー」なんて話があったけど、こちらはゲームそのものが国や世界を左右する存在である、ってことで、シチュエーション的には「火星のチェス人間」なんかの方がむしろ近しいのかもしれない。

 オレもゲーム屋の端くれだった時代もあるんで、ゲームとは「公平な条件下でプレイヤー同士の優劣がつく」物でなくてはならない、という部分だけは絶対にはずしてほしくない、という意識が働いたりするのだけれど、どうもゲームをあつかった小説を読んでいても、そこら辺のゲームの規則に関する部分の記述については巧妙にぼかした物が多く、ちょっとそこらで欲求不満に近い物を感じてしまう。ゲームを扱うのなら、ゲームのルールをはっきり見せて欲しいのだ。んで、この作品でもそこら辺はやっぱりいまいちこっちに見えてこない。惜しい。

 ただこの作品、そういう(個人的に)不満に思える部分も無くはないのだけれども、エンタティンメントSFとしてかなり楽しめる物にはなっていると思う。SF的なバックグラウンドやガジェットの作り方が上手なので、それなりにワンダーがあるのだな。今から一万数千年後の人類社会の描写、ってあたりの興味深さはそれなりにあるといえるし、キャラクタの描き込みも悪くない。グルゲーと旅をともにするAI、フレールがなかなか良い味を出してて本作の一押しキャラって感じだ。

 それでも、やっぱりゲームをテーマにするなら、もう一歩ゲームに踏み込んで欲しかったような気がする。ゲームのルールがある、そのルール故に、窮地に陥った主人公は土壇場で大逆転が可能になる、そんな痛快なシーンを読ませて欲しかったのだけれどもな。

 そうはいっても楽しめるお話なのは間違いなし。松本零士が、絶対本を読まずに描いたと思われる(^^;)カバーイラストは困った物だが、それ以外は総じてお買い得な一冊なのじゃないかな。

01/11/16

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