幻の終戦

もしミッドウェー海戦で戦争をやめていたら

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保坂正康 著
カバーデザイン 山田健二
中公文庫
ISBN4-12-203857-X \857(税別)

 向かうところ敵なしにみえた連合艦隊が初めて喫した大敗、ミッドウェー海戦。これにより太平洋をめぐる戦況は一気に日米互角といえるところまでその状況を一変させたと言われるエポックだったが、実はこのときこそ、太平洋戦争を、日本にとって名誉ある形で終結させることができた最後のチャンスではなかったのか。そして、もしそうであるならば、その時に誰が、どう動けば日本にとって名誉ある終戦の形が実現していたのか。

 太平洋戦争(日米間の戦争、という意味合いにおいてこの言葉を使いますが)の一大転換点、ミッドウェー海戦にいたる史実を克明に追った第一部と、そこでの敗北を機に、「もし」日本を終戦に向けて動かして行こうとする勢力が胎動を始めていたら、という観点でのシミュレートが行われる第二部の、二部構成の本。非常に興味深い。

 「ジリ貧」と「ドカ貧」の二者択一を迫られて、なしくずし的に決意された日本の指導者たちによる大戦略なき開戦に、終戦に至る明確な計画などあるはずもなく、結果「負け」を認めることを拒む為だけに、徒に悲惨な戦局の拡大を招いて行ったのが当時の日本だったわけだけど、もしこのとき、日本にとって充分に名誉ある状態で、戦争終結のビジョンを描くことができる人物が、正しく、果断にそのビジョンの実現を目指していたとしたら、というのは確かに興味深いシミュレーションではある。本書では、そのキーマンになるのは吉田茂。うむ、彼しかいないだろうとはオレも思う。ただ、保坂氏が描くシミュレーションでは、終戦に至るビジョンを描くのは吉田だが、吉田はあくまでその絵を描く人物であって、その「絵」を現実のものにするのは、吉田の意を受けて東條内閣を倒し、新内閣の首班となる近衛文麿であるとする。ここがオレとしては、「そうかな?」と感じてしまうんだな。

 近衛もまた吉田と同様、独伊よりは親英米の立場を取り、反軍部、反戦の立場を取っていた、当時としては極めてリベラルな人物であったのは確かだろうと思うのだけれど、それと同時に、近衛という人物のあやふやで気弱な人格が、吉田の説得や東條への個人的反感がいくら大きかったとしても、ここまで思い切った決断ができるだろうか、という(とても重要な)点において、どうもこう、たやすくは頷けない物も感じてしまうんだな。

 日本新党を立ち上げた細川護熙は、近衛の孫にあたる人物であるけれども、細川もまた、リベラルな思想とスマートな身のこなしで一躍世の中の人気者となりながら、状況が自分に不都合になると、まるで飽きてしまったかのようにぽいとその責任を放棄してしまった前科を持つ人間だが、祖父である近衛も、現実の歴史においては同じことやっている人物であり、その後も二度と、政治の世界で敢然とした態度を取ることのなかった人物である。これは、はなはだ論理的でも科学的でもないけど、「血」のなせることだと思っている。鎌倉以来の名門、五摂家筆頭という近衛には、天皇に対する敬愛の念と、天皇を全力で補佐しようとする気持ちにはまったく疑いはなかっただろうと思うのだが、そこからさらに一歩踏み出した、天皇を含む日本という国自体に対する責任感などというのは、案外希薄ではなかったかと思うのだな。ゆえにこの国家存亡の危機に際しても、近衛は天皇の身の上を案じはするだろうけれど、国体が大きく変わるかもしれない、それによって天皇の地位もまた確固たるものになるかもしれない(し、大きくその威光を減ずるかもしれない)状況に直面したとき、果たして本書で描かれているような果断な行動に出ることができただろうか、という点が気になってしまうのだ。お公家さんにこの決断はできるかな、ってことだな。

 もちろん吉田が決意し、近衛が同調しなければこのシミュレーションはハナから成り立たないわけで(^^;)、仕方がないともいえるのだけれど、たとえば近衛でなく幣原ではだめなのか、広田弘毅ではだめなのか、というあたり、ちょっと気になるんだよなあ。吉田が描いた絵の中心に来る人物が、近衛でなかったら、オレはもっとこのシミュレーションを「あり得た」ものとして捉えることができたように思うのだけれど。

 それはそれとして、このシミュレーションを経て現代に至る、「あり得たかもしれない」日本はかなり魅力的なものにオレには感じられるのも確かだ。経済的には世界で10位程度、国際的な発言力、影響力はそれほど大きいものではない。日韓、日中の関係は問題も多いけれど少なくとも互角の対話ができる。常備軍は持っているが国民、および文官のしっかりした統制が効いており、(とりわけ)陸軍には大きな構造改革の手が入っている、という日本。それは無条件降伏を免罪符に責任を果たさず権利だけを追求して膨らんできた現在ただいまの日本に比べれば、はるかに国として、そのあるべきひとつの姿を明らかにしてみせるものだと思うのだけれど。

01/8/3

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