島津奔る

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池宮彰一郎 著
カバー装画 田屋幸男
カバー印刷 鏡明印刷
デザイン 新潮社装幀室
新潮文庫
ISBN4-10-140816-5 \667(税別)
ISBN4-10-140817-3 \667(税別)

 秀吉の急死とともに、先を争って帰国しようとする朝鮮出兵中の諸将にあって、動揺することなく名誉ある撤退の途を探り、七千の軍勢で二十余万の明鮮連合軍をうち破ってその名を天下に轟かせ、その後長く"最強"の名をほしいままにする薩摩、島津家。その当主、島津義弘は天才的な戦術家であると同時に、大局を見過たない確かな眼力を併せ持ち、日本全国の名だたる武将たちがこぞって一目置く存在だった。六十二万石の石高とは裏腹に、痩せて収穫力に乏しい領国と、二度に渡る朝鮮出兵で疲弊した薩摩の財政を、なんとか回復させたいと画策する義弘だったが、そんな彼の思惑とは裏腹に、太閤亡き後の日本の支配を巡り暗闘を繰り広げる諸大名にとって、最強を謳われた島津の存在は、見逃しておくにはあまりにも大きいものだったのだ………。

 大好きな池宮彰一郎さんの歴史小説。条件付きだけど今回もおもしろかった。

 池宮歴史小説のおもしろさって言うのは、史実を忠実になぞっているように見せて、要所要所に著者独自の視点を持ち込んでやることで、おなじみの物語が全く新鮮なものに見えるような効果を上げる、ってところにあると思うわけで、その代表的な例が「四十七人の刺客」なんだと思う。この物語でも、その独特な池宮史観が冴えていて楽しい。冒頭から、秀吉の朝鮮出兵の本意は何か、ってところで、それは優秀な官僚である石田三成が提言した、戦国乱世の終結がやがて引き起こすであろう、戦後不況に対する措置であった、ってえかなり大胆な仮説がでてきちゃうのが、もううれしくなっちゃう。

 キャラクタの性格設定もひねりが利いてて楽しい。"慎重"と言われる家康は、慎重どころか臆病過ぎる小心者であり、国盗りの欲望を抱いていたのは家康よりむしろ彼を補弼する三河武士団であった、とか、一枚岩に見える島津にも、実は義弘の兄、義久とのあいだに微妙な軋轢があり、それが戦功赫々の弟に対する兄の嫉妬からきたものだった、てのも興味深い。さらには石田三成を徹底的に頭脳明晰ではあるけれども、官僚的な発送しかできない人間であった(てのはまあ比較的ありがちな設定ではあるけど)がゆえ、叩き上げの現場タイプの武将たちとのあいだにいらぬ軋轢を産み、これが関ヶ原の結果に大きな影響を与えることになっていく、ってあたりもうまい。

 とくに、この超エリート官僚、石田三成がみずからの知力のみを頼りに、周囲の戦上手たちの進言を全く聞くことなく、ただ机上の計算通りに事が運ぶと盲信し、結果、天下分け目の決戦で一敗地にまみれていく過程を、現代の官僚主導が産みだした果てしない不況ニッポンの姿に重ね合わせてみせるあたりはうまいと思う、し実はここが先に"条件付き"と書いた部分でもある。憂国の情押さえがたく、でもないだろうけれど、オレには池宮さんの筆がほんの少し、滑りすぎたように感じられるのだな。つまり、

 吏僚、という化け物は、常人ではない。人外と思っていい。自分の処理・処断がどのような迷惑を生じ、ときには生活破綻を来すような悲劇となっても、一切関知しようとせず、感情を動かすことをしない。彼らから見れば民間のものは無機物に等しく、おのれらが世を統べるのは至高の行為と、骨の髄までそう思っている。官と民とは生物的に異なると思い、民の求めで官の仕事が曲げられることは、神にもとる行為としか考えない。

 ゆえに彼らを人と思ってはいけない。彼らは民から見たら化物である。

 ここまではぎりぎり許容範囲。でも、

 世の中に莫迦は多い。大局を見ずおのれの能に専念して、それを誇り生き甲斐とする。政治莫迦は永田町での功名争いに国家・国民を忘れ、使命を忘却する。官僚莫迦は省益に溺れ、技術莫迦は経営を忘却し、企業莫迦は働くことの本質と意義を省みない。

 これはちょっと"書きすぎた"のではないか。もちろん歴史小説ってのは、しばしば歴史上の出来事や人物から、現代社会にも利用可能な教訓なりハウツーを得る、って効能を持っているのは確かだ。んでも、それは読者が自力で読書して読みとるべきものであって、作家がその著書の中にみずから読み解くためのヒントを仕込むような事はすべきでない、と思うのだな。ここで"永田町"を出されては興趣が著しく損なわれてしまうと思うのですけれども。

 そこだけちょっと気になるんだけれども、でも、全体としてはやっぱり池宮さん、ページターナーの実力は存分に堪能できる。勝っているのに常に負け戦を戦わざるを得ない過酷な状況にありながら、戦うことの意義を定め、みずからが定めたその基幹を決して踏み外すことなく戦いつづける義弘と島津集の、痛快、過酷、感動的なエピソードを軸に、戦国時代の終焉を告げる大決戦に隠れた、官僚主導のプロジェクトの、その官僚が官僚として優秀であるがゆえにおこる悲劇を描ききって読み応え充分。汗だくだくかきながら一気に読むが吉でごわっそ。

01/7/11

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