解剖学個人授業

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先生=養老孟司・生徒=南伸坊
カバー装幀 南伸坊
新潮文庫
ISBN4-10-141033-X \400(税別)

 群体レギオンの解剖までやってのけちゃった解剖学者、養老孟司さんを先生に、イラストレーター、南伸坊氏を生徒に迎えて、楽しく「解剖学とは何か?」をお勉強する本。養老孟司さんって方は、ご専門の解剖学者としてのキャリアもさることながら、脳にまつわるエッセイを出したり、宮崎駿さんと対談してみたりと、なかなかに多芸な人なんですけれども、そんな養老先生の魅力を、聴き手である南さんが上手に引き出して、そいつをいったん南さんの言葉に置き換えて、わかりやすくレポートしてくれる。んでそのレポートに対して、養老さんが「先生から」という形の小さな講評を寄せる、というスタイルの15講。

 メインになるテーマは解剖学なんですが、そこは個性的な先生と生徒のこと、解剖学とはそもそもどういう事なのか、ってところから話はいつしか、最近の若い人達の、いわゆる"ルーズな"ファッションのどこが異性を惹きつけるのか、「現実」とはなにか、人のどこがそれを認知するのか、人がそれぞれに認識している「現実」とか「世界」とかいうものは、どういうものなのか、さらには、脳はどうやって「無限」を認識できるのか、といったところまで話は飛躍。これがなかなか楽しいんだ。

 なにせ理屈でものを考えられない人間ですから、しばしば話が見えなくなりかかるんですが、それでも楽しい。何と言っても中盤の、哲学者、カール・ポパーの唱えた「世界3」という考え方。

世界1とは、事物の世界、我々が普通に外界と呼んでいる世界のことである。さらにポパーは意識というはたらきの世界を世界2、表現の世界を世界3と呼んだ。ポパーはこの世界3を、われわれの精神が生み出すものとした。

・・・中略・・・

ごくふつうにいわれる例でいうなら、あなたの見る赤と、私の見る赤とが、同じ見え方をしているという保証はない。そこでは「赤」はつまり世界2に属している。しかし、そこに表現されている「赤」が美しいとか、場違いだとか、それをわれわれはたがいに論じ合うことができる。それは世界3に属する話なのである

 うむ、ワシらが毎日あーだこーだと埒もないことどもを書き連ねていることどもも、全ては「世界2」と「世界3」の間のずれがその根本にあるのだな。解剖学のお話が、いつしか人の間の認識のずれの問題にまで発展していくってのは、なんだかおもしろいなあ。コンパクトな本ですが、楽しいですよ。

01/4/9

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