真説・写楽は四人いた!

表紙

村中陽一 著
カバー・表紙デザイン Ren DeSIGn STUDIO
宝島社新書
ISBN4-7966-1756-6 \690(税別)

 世界の美術マニアの垂涎の的にして、印象派の大家たちに多大な影響を与えた日本の芸術、浮世絵。そのジャンルの中でもとりわけ異彩を放つ一人の絵師、東州斎写楽。わずか10ヶ月の間に150枚以上の浮世絵を残し、その中でそれまでになかった強烈なディフォルメに満ちた人物画を著わして江戸の人々の度肝を抜いた写楽、だがその実像を伝える資料はあまりにも少ない。はたして写楽とはどんな人物だったのか?いや、それ以前に本当に写楽という人物は実在したのか?

 さまざまな研究者、作家たちによって出された説、さまざまな資料にあたって、著者、村中さんが出した写楽の真実とは?………ってまあタイトルがある意味ヒントになっちゃうわけですが(^^;)。単なる書誌学的な研究にとどまらず、ちょうど現代の浮世絵とでも言えるマンガにおける表現、漫画にまつわるエピソードなども交えて語られる写楽の真実へのアプローチは、独り写楽にとどまらず、写楽が活躍した江戸時代の大衆出版文化の有り様までもがほの見える、楽しい研究書。

 写楽をはじめとする、浮世絵師の人と作品については、僕も通り一遍のことしか知らないのですけれども、その大胆な画風とあまりにも短い活動期間から、前々から歌麿説、北斎説、何人かの浮世絵師による工房説などがあることは聞いたことがあったんですが、まとめてそれらの説を見ていくと、どれもそれらしく、どれも疑わしいのがおもしろい。村中さんが導き出した結論も、オーソドックスな説のつなぎ合わせに見えてじつは考え抜かれたものであるところはなかなか。それでもなお、

 たとえ、それが写楽の正体を明らかにする有力な決め手としては物足りないものであっても、既成観念にとらわれず、自分が感じた「可能性」をどんどん推し進めていくこと、そして、読者は、その意見を柔軟な姿勢で受けとめること。それが「写楽の謎」に取り組む上での最低限のマナーであり、楽しみ方のコツなのではないだろうか。

 とご自身が述べられておられるとおり、これは本質的に、解けない謎と向き合う知的な楽しさを読者に提示してくれる本。コミックスからのさまざまなアレゴリーも(僕自身は完全に成功しているとは思えないのですが)、この"知的な楽しさ"の一環としてみると、なるほどとうなずけようってもので。すんなりと読める楽しい学問の本です。

 ただ、時折挟まれるコミックスによるアレゴリーに関しては、少々異論がなくもない。これはもしかしたら、著者、村中さんとオレの年齢差に起因するものなのかも知れないのですけれども、昭和40年代前半生まれの村中さんが意外に感じたことの多くが、昭和30年代中盤(前半、といわないあたりが情けない)生まれのオレには自明なのです。僕らが小学生の頃、ちょっとでも「マンガ家になりたい!」と思った少年なら、石森章太郎さんの"マンガ家入門"は読んでたはずだし、これを読んでいれば、いわゆるトキワ荘グループの青春時代の一コマがどんなものだったのかは予想できる。であれば、トキワ荘つながりで藤子不二雄作品に石森章太郎がヘルプに入ったであろう事はたやすく予想できると思うし、藤子不二雄がユニットであることもわかると思う。また、村中さんが藤子さんの作品、「魔太郎が来る」を引き合いに出しておられたけれども、この作品と前後する形で、同じ「チャンピオン」誌で、藤子さん(これも我孫子さん主導の作品だったとは思いますが)の作品、「まんが道」が連載されていたことも想起されていいでしょう。これは"満賀道夫"と"才野茂"という二人の少年が、手塚治虫に感動して富山県から上京し、プロマンガ家になる、という藤子さんの自伝的作品であって、これを読んでいれば、その二人がとりもなおさず藤子不二雄の二人である、ってのはかなりたやすく予想できると思うのだけれど(余談ですが、僕は19歳まで富山県の高岡市で暮らしてました。藤子さんの地元で、件の「まんが道」に登場する風景のいくつかは、僕の少年時代にもそのまま残っていました)。この辺は年代的な格差があるんでしょうかね。

01/2/15

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