過ぎ去りし日々の光

表紙

アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター 著/冬川亘 訳
カバーイラスト 浅田隆
カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-011338-6 \660(税別)
ISBN4-15-011339-4 \660(税別)

 21世紀なかば、地球は500年後の終末を運命づける超巨大彗星<にがよもぎ(ワームウッド)>の発見は人類から未来への意欲を失わせ、人びとは地球環境の保護などよりも、束の間の享楽にわが身をまかそうとしている。そんなとき巨大なハイテク企業、アワワールド社が開発した新技術は人びとに巨大な衝撃をもたらした。世界中のあらゆるところに微小なワームホールを送り込み、ワームホールが捉えた映像を瞬時に見ることができる技術、ワームカム。ワームカムの前にはあらゆるプライバシーは無効となり、人類はかつてない状況で日々を送ることを余儀なくされる。だが、ワームホールがもたらした衝撃はそれにとどまらなかった。あらゆる時空の隔たりを無効にするということは、1光年の距離を超越できるワームカムがあるのなら、それはとりもなおさず1年間の時も超越できるのではないか………

 ボブ・ショウに捧げられていることからもわかる通り、本書はSF界屈指のアイテム、"スローガラス"をがちがちのハードSFで作るとどうなるか、ってあたりをメインテーマに、実にクラークらしい"種"としての人類の変容に対する展望が刺激たっぷりのスパイスとして効いている、なかなかの佳品。

 メインになるのはあくまでスローガラスのアイディアなんですが、それをワキから固める、500年後に衝突が予定されている巨大天体(恐竜絶滅の原因となったといわれる隕石の40倍の大きさ)の存在、ワームカムが過去を見るにいたる過程で、人類からあらゆるプライヴァシーを剥ぎ取ってしまった世界、さらにはワームカムの過去探査機能によって、あらゆる時代のあらゆる人類には消しようのない罪業が染みついているのだということが如実になってしまうことで、人類全体がそのあり方をもう一度真剣に見直さざるを得なくなってしまう、って展開は、言ってみれば人間が自分で自分の"幼年期の終わり"を演出する話、と言えなくもないような気がする。久々にスケールの大きなSFであります。

 距離を超越し、はるかかなたの天体までも居ながらにして探査してしまう、という行為、一人の人間の起源の起源までも遡って探査していく、という行為、SFにしか描けない壮大なビジョン(しかも仕掛けあり)であります。なぜにわざわざ大きい活字で二分冊にするかなー、とか、バクスターの扱いがちょっと不当に低いんじゃないかとか、些細な不満もありますが、まずは満足な一作。久々の(オジサンにとっての)本格SFだと思うよ。

00/12/25

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